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《番外》最善の選択とは -1【塚本】

 ○143~150話くらいの塚本視点です。 「オレたち、別れたほうが良くないか?」  瀬口の苦しげな声が、予期せぬ部分に刺さった。  別れたいのではなく、否定してもらいたいのだと、その表情や態度を見ればすぐに分かる。  どうしてそんな試すような事を言い出したのか、塚本は心当たりを探した。  思い当たるのは、先ほどの屋上での出来事。  いつものように屋上で眠っていた塚本が何かの気配を感じて目を開けると、そこには塚本に覆いかぶさるようにして有島がいた。  目の前まで近寄っていた顔が、塚本が目を開けたことに驚いたのか固まって動かない。 「何?」  瀬口でなかったことに若干がっかりしつつ、行動の意味を問う。  ただ単に用事があって起そうとしたにしては、不自然な体勢だ。  どう考えても距離が近すぎる。 「ごめんなさい」  返ってきたのは、欲しかった答えではなく謝罪の言葉だった。 「何が?」  どうして謝られたのかも分からない。  謝るような事をしたのだろうか。 「えっ……と」  有島は言い澱みながら俯いた。  何かしらの説明がありそうな空気が漂う中、屋上の出入り口の重いドアが開く音が響いた。  反射的に視線を向けると、出入り口から姿を現したのは瀬口だったのだが、すぐに扉の向こうへと戻って行ってしまった。  追いかけて、階段を下る前に引き止めることができたまでは良かったが、思い詰めたような表情で先ほどのセリフを投げかけられたのだ。  誤解をしているのは明らかだが、別れるという結論に至る程際どい場面ではなかった筈なのが気になる。  一体、瀬口の目にはどんな風に映ったのだろうか。  有島が謝ろうとしていた理由が関係しているのかもしれない。  どちらにしても、ここで塚本が否定すればいいだけの話だ。  しかし、と不意にどこからともなく悪魔が囁く。  瀬口の言動の裏にあるのは、嫉妬だ。  そこからどういう思考回路を辿って先ほどのセリフになったのか、少し考えれば大体の予想はつく。  有島と自分を天秤に掛けて自分を選んでくれ、と言っているのだろう。  そんなもの、わざわざ天秤など用意する必要もないくらい明白な選択だというのに。  瀬口も、そんな事は分かっている筈だ。  それを敢えて訊く所にいじらしさを感じつつ、塚本の返事を待つ間の緊張した面持ちが妙に心をざわつかせる。  ここで期待に応えても構わないが、そうしなかった場合、瀬口はどんな反応をするのだろうか。  きっと、とても傷付いた顔をする。  表情だけじゃなく、心も。  瀬口の嫉妬の根源にあるものを想像して、胸の奥が熱くなった。  優しく抱き締めたい気持ちに相反する思いが沸き起こる。  瀬口が塚本の愛情を試しているのなら、その逆をしてもいいのではないか。  少し前の塚本なら、そんな発想はしなかっただろう。  敢えて瀬口を悲しませるような事をするなんて。  記憶喪失だった時の反動だろうか。  忘れられた事で、全てを諦める覚悟をした余韻がまだ残っているのかもしれない。 「そうだな」  否定して欲しい瀬口の気持ちを知りながら、抑揚の無い声でそう言った。  もちろん、そんなつもりは更々無い。  例え、瀬口が本気にしたとしても、何もかもを忘れてしまったあの時に比べればどうという事もない。  それに、今の瀬口には記憶がある。  自惚れた言い方をするならば、ここで突き放したとしても瀬口は戻ってくる。  戻ってこなかったとしても、塚本が迎えに行けば必ず戻る。  だから、今は手を放しても大丈夫だ。  困惑して傷付いた表情を見ながら、自分の悪趣味さに自嘲する。  きっと、俯いてしまった瀬口には見えていないだろうが。

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