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《番外》最善の選択とは -3【塚本】
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電車を降りると、雨が降っていた。
小雨ならば気にしなかったのだが、雨具を一切持っていない塚本が突進するには無謀な量だった。
傘を差しても無駄だと感じるような土砂降りを前にして、塚本は濡れずに移動できる範囲で時間を潰して雨が止むのを待った。
弓月が言っていた通り瀬口が家に向かっているのなら、もしかしたらここで会える可能性も考えたが、結局雨が止む頃になっても出会えなかった。
自宅の門をくぐりまっすぐ離れへ向かうと、玄関先で弟の尚糸に遭遇した。
尚志が離れにやって来るのはそう珍しい事ではないが、何故か手に服を持っているのが気になる。
「雨に降られなかった?」
飛び石の上で立ち止まった尚志が訊いてくる。
「止むまで、待って来た」
「兄ちゃんて、そういうトコちゃっかりしてるよな」
呆れたようにそう言い、小さく息を吐いたようだった。
「何でナツと一緒に帰って来なかったんだよ」
非難するような尚糸の一言に、思わず動きが止まった。
「瀬口?」
先に着いていたのか、と思いながら聞き返した。
それならば、駅で待っていても会えないはずだ。
「来てるよ。雨の中、傘もささずにびしょ濡れで」
尚糸の言い方が刺々しい。
どうも、尚糸は兄よりも瀬口の肩を持つ傾向にあるようで、瀬口が関わった場合は全面的に塚本に手厳しい。
今回も、瀬口が雨に降られたのに、塚本が無事に帰ってきた事を少なからず怒っているようだ。
一緒に帰らなかった理由を話せば納得はするだろうが、更に棘が鋭くなりそうなので黙って聞いていた。
「あのまま帰す訳にはいかないし、とりあえず中で待ってもらってる」
口ぶりから察するに、尚糸が引き留めてくれたようだ。
「余計なことだったらゴメン」
無言の塚本を窺うように言う。
「イヤ、良くやった」
「それならいいけど」
少し安堵したような表情を見せたのは一瞬で、尚糸はすぐに訝るように塚本を見た。
「兄ちゃんさ、ナツに何したの? 何だか随分と恐縮してたみたいだけど」
責めるような口調には、確実に棘がある。
何の疑いもなく、塚本に非があると決めつけているに違いない。
しかも、当たっているので、思わず笑ってしまう。
「意地悪を、少々」
随分と簡単な言い回しだが、他に適切な言葉が見つからない。
きっと、瀬口にしてみれば、そんな言葉で片付けられるような事ではないだろうに。
「楽しそうに言う辺り、性質悪いよな。好きな子虐めるにしても、兄ちゃんじゃ可愛気がない」
「分かってる」
「ホントかよ」
すっかり呆れ返った尚糸が、脱力気味に呟いた。
本当に、自覚ならしっかりとある。
しかも、尚志の言う「恐縮」した状態の瀬口を見られなかったのが残念だとも思っている。
もう少し早く帰れば良かった、と後悔もしていた。
「これから着替え持ってくつもりなんだけど、兄ちゃんが持ってく?」
手に持っていた服を軽く持ち上げて、尚糸が訊いてくる。
「着替え?」
「制服びっしょりだったら、あのままじゃ帰れないと思う。サイズ的に、兄ちゃんより俺だろ?」
主語がなかったが、瀬口のことに間違いないだろう。
雨に降られてびしょ濡れだ、と言っていた尚糸の言葉を思い出す。
その為の着替えなら、確かに塚本よりも尚糸の服の方が瀬口に合うだろう。
「それなら、俺が持っていく」
手を出して着替えを要求すると、尚糸は渋々というように服を差し出した。
何か不満があるようだ。
「大丈夫かよ」
ぽつりと呟いた尚糸の言葉が、やけに耳に残った。
さすがに鋭い。
塚本が良からぬことを考えていると、見抜いているようだ。
「あんまりイジメんなよ」
「分かってるよ」
機嫌よく答える塚本を、尚糸は信用できないという視線を向けて見送った。
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