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第160話 切ない気持ちが重なって -3
「瀬口は、ああいうのが好み?」
シュンとなった有島が屋上を去ってから、相変わらず微妙に不思議な表情の誠人が口を開いた。
立ち去る前の、「嫌わないでください」という必死の訴えをした有島の顔に思いを馳せてしまって、誠人の声は右から左に流れてしまった。
「え?」
「やっぱり、ああいうのがいい?」
聞き返したオレに、またしてもピントのずれた質問をする。
それ、そんなに真剣に訊くことか?
もしかして、さっき有島を抱き締めたから?
言われてみれば、そんなに抵抗なかったな。
ついこの前までは「何だ、コイツ」って思っていたのに、今日はやけに放っておけない感じで。
「うーん……自覚無かったけど、意外とそうかも」
嫌いじゃないかもな、ああいうタイプ。
結構、藤堂と似ているところあるし。
そんな事を藤堂の前で言ったら、確実に激怒されるだろうけど。
だけど、きっと誠人は違う意味で訊いたんだろうな、と分かっている。
「とか、言ってみたりして?」
悪戯っぽく言って見上げる。
「オレだって、たまにはお前にヤキモチ妬いて欲しいって思うくらいいいだろ」
誠人の表情が緩まないから、一応本音を言っておく。
だけど、誠人の表情は変わらなかった。
あれ。
もしかして、本気で心配されてる?
茶化したらダメな話題だったのか?
「いつも、妬いてる」
不安になった矢先に、淡々とした誠人のセリフが降ってきた。
嘘か本当か知らないけど、それは気付きませんで。
「……それなら、ゴメン」
「許すから、俺にもして?」
唐突な要求で、一体何の事なのかさっぱり分からない。
「……何を?」
物凄く嫌な予感がして、恐る恐る訊く。
いつもお前がオレにしてるような事をしろ、と言われたら本っ当に困る。
だけど、許してくれないのも困る。
と言うか、ちょっとからかっただけなのに、条件付けるって何だよ。
怯えるオレを前にして、誠人は何故か両腕を広げた。
何かを要求しているような……。
「俺も、瀬口に抱き締められたい」
この男の頭の中は一体どうなってんだ、と何度も思ったけど、今回もやっぱりそう思った。
正直、もっと凄い事を想像していたから、拍子抜けすぎで今度こそ膝から崩れ落ちてしまった。
つまり、あれか。
さっきオレが有島をギュッとしたのが不満だった、と。
それであんな妙な表情をしていたのか。
「お前……」
近くに迫った、屋上の古びたコンクリートを見つめながら言葉を探す。
言いたい事が上手く出てこない。
というか、見つからない。
呆れるべきか、怒るべきか、それとも照れるべきか。
「大丈夫?」
オレを覗きこむようにして、誠人もしゃがんだ。
顔を上げると、すぐそこに誠人の顔があった。
「お前の頭が大丈夫かよ」
照れ隠しの嫌味のつもりで言ったのに、全く通じていないらしく良い顔でこっちを見ている。
やっぱり、ただ単にオレを困らせて遊んでいるに違いない。
それはもう分かっているからいいんだけど、こうも楽しそうな表情をされるとちょっと複雑な気分だ。
オレが困っているのが、そんなに楽しいか?
目の前の機嫌良さ気な誠人が段々と憎らしくなってきて、勢いよく立ち上がった。
そんな程度でいいなら、いくらでもしてやる。
と言うか、望むところだ。
誠人が立ち上がろうとするより先に、上から覆いかぶさるように抱き締めてやった。
腕を首に絡めて、髪に顔を埋める。
さっき有島にしたよりも、もっと気持ちを込めてギューッとしてやる。
「これで、いいか?」
ちょっと偉そうに言いながら、心臓のドキドキも伝わっているだろうなと思った。
言われてやっているとは言え、オレからこういう事をするって滅多にないから。
自分からするにしても、されるにしても、動悸が激しくなるのは一緒なんだよな。
さっきの有島の時とは全然違う。
誠人だから起こる身体の変調だ。
心臓が動きすぎていて苦しいけど、オレも誠人にギュッとできて嬉しかったりするから、これはこれで満足だ。
「瀬口」
呼びながら、誠人の腕が伸びて不穏な動きをした。
オレの背中に腕を回して、抱き締め返しをしてきやがった。
「位置、変えていい?」
「え?」
返事をする間もなく、視界がぐるりと回って空が見えた。
どういう動きを経てそうなったかは不明だけど、いつの間にか誠人の腕に抱きかかえられている。
背中には、コンクリートではなく誠人の腕の感触。
そして、目の前には誠人の顔が迫っている。
何をされるのか、という不安で、反射的に誠人の襟元を掴む手に力が入る。
「どうせなら、正面がいい」
オレを見下ろす表情は悔しいくらいに楽しそうで、とても満足気だ。
この態勢じゃ、抱き締めるも何もないだろ。
「悪かったな、気が付かなくて」
背中に腕を回しながら、これは「抱きつく」だなと思った。
でも、これはこれでいいかな。
誠人に密着してるの好きだし。
最近は、行き違いがあったりしていたから、こういう単純な抱擁もあまり無かったもんな。
言い出したのは誠人だけど、オレもこうしたかったんだよな。
だけど、誠人はこんなんでいいのか?
放っておいたらすぐに服の中に手を入れてくるような奴が、こんな程度で本当に満足するだろうか。
次の段階があるに違いない、と警戒するオレの髪を誠人は優しく撫でる。
「もっと、強く抱いて?」
オレが一番弱い、震えるような甘い声だ。
あー。
これはもうダメだ。
警戒なんてしてる場合じゃない。
そんな声でそんな事を言われたら、これでもかってくらい力一杯に抱き締めるだろ。
心臓バクバクで、顔真っ赤なのを見られたくないから、絶対に離れないってくらいの勢いで。
「痛くない?」
力を込めすぎてるんじゃないかと心配になって訊く。
とは言え、誠人にオレごときの力一杯が効いているとは思えないけど。
「それはそれで、気持ちいい」
あまりにも嬉しそうな声だったから、頭が腐ってるんじゃないかと別の心配が生まれてしまった。
だけど、オレも抱き付けて気持ちいいと思ってしまったからお互い様だな。
「瀬口」
「何?」
「怖くない?」
ちょっと幸せ気分だったというのに、唐突な質問をされた。
訊かれた事の意味が分からず、困惑する。
腕の力が抜けて、ピタッと密着していたオレと誠人の間に少し距離が出来た。
良くない事を言われるんじゃないかと、身構えてしまう。
「俺を、嫌いになったんじゃないかと思って」
「何で?」
どうしてそんな風に考えるのか分からない。
オレ、誤解されるような態度取ってないよな。
むしろ、真逆な心境だった筈なのに。
もしかして、さっきちょっと警戒していたのがバレたのか?
オレって、思ってる事が顔にも態度にもすぐに出ちゃうし。
「無理をさせたから」
一瞬、何を言っているのか分からなくて、最近の出来事を思い返す。
それって、もしかしてこの前の事か?
雨に降られて不法侵入して、よりを戻せたのはいいけど気が付いたら次の日の朝で、だけど起き上がれなくて学校を休んでしまった時の事。
確かに、前半戦は色々と辛くて悲しくて押し潰されそうではあったけど。
実際には、後半戦で抱き潰された訳だけれども。
記憶は朧げだというのに、自分の痴態は憶えている。
誠人の優しい声も脳裏に残っている。
「可愛い」とか、「もっと」とか、「好き」とか。
それから。
『―――、奈津』
その響きは、回想でも顔が緩む。
耳まで真っ赤になる程狼狽える。
恥ずかしいのと嬉しいので、好きが溢れて混乱する。
「怖い訳ないだろ」
そんなの、全く見当違いな心配だ。
大体、怖かったらこんなに密着できるかよ。
嫌いなら、そもそも会いになんて来ねぇよ。
付き合っている相手にそんな心配するなんて、こいつの思考回路はくすぐったすぎる。
オレが全然成長してないのと同じくらい、誠人のオレに対する気遣いも健在だな。
もっと雑に扱ってくれても構わないのに。
オレはちょっとやそっとじゃ壊れないし、気持ちも変わらないっつーの。
居たたまれない気分になって、名残惜しさを感じながらも立ち上がった。
オレって、やっぱり面倒な奴だ。
いちいち誠人にそんな心配させて。
だけど……。
「何、笑ってんだよ」
誠人の顔を見たら、神妙な気分が吹っ飛んだ。
「強がってるな、と思って」
「強がってねぇーよ!」
慌てて否定した声が予想以上に大きくなってしまって、全然説得力が無い。
大声で誤魔化してるみたいになってしまった。
「それなら……」
立ち上がりながら誠人が口を開く。
「逃げなくてもいいのに」
別に逃げた訳じゃないんだけど、あのタイミングで立ち上がったらそう思われても仕方ないかもな。
でも、だからって、何もそんなに楽しそうな表情しなくてもいいだろ、塚本サン。
しかも、この流れだと、一歩でも引いたら否定できなくなる。
「すぐに捕まえるクセに」
恨めしい気分で言ってやったそばから、手を取られた。
「それは、仕方ない」
そうだな。
オレも、捕まってしまうのは仕方ないと思う。
本気で逃げるなんてできないし。
見上げた先の顔が近づいてきて、唇が重なる。
触れるだけのキスだ。
「瀬口、背伸びた?」
今更気付いたらしい誠人が、少し唇を離して訊いてくる。
お前は、オレの身長を何で測ってんだよ。
「そのうち、誠人も追い越すかもな」
何の根拠もない虚勢だけど、そんな可能性があってもいいだろ。
一応、成長期なんだから。
だけど、一年前の時点で既に180㎝超えを達成している誠人には現実味が無かったらしい。
「んー、どうかな」
ポン、とオレの頭に手を置いて笑う。
笑ってられるのも今のうちだぞ、と言ってやりたいけど、オレもやっぱり「どうかな」と思うから一緒に笑ってしまった。
でもちょっと悔しい気持ちもあるから、「今に見てろよ」って強がりを込めて、誠人の胸の辺りを軽くグーで殴る。
オレが痛むのと丁度同じ所だから、もっと強く殴っても良かったかなと思いながら見上げると、案の定笑ってる顔が飛び込んできたから、今度は遠慮無く肩の辺りをゴン!とやってやった。
■ 終 ■
ここまでお付き合いいただきまして、本当にありがとうございます。
本編は完結です。
以降は番外となります。
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