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《番外》悔みだしたらキリがない -3【弓月】
○弓月視点です。
発端はいつも些細な事。
後で考えると馬鹿馬鹿しい事この上なく、他人に話せば確実に呆れられるくらいどうでもいい事ばかりだ。
朝起きる時間が早いとか遅いとか。
晩飯のメニューが昼飯と一緒だったとか。
知らない所で誰と会っていたとか。
(なかなかヤらしてくれないとか、な)
それが一番重要だ、と頭を抱えながら、夜の11時を過ぎた頃に帰宅した弓月利は玄関に鍵を差し入れゆっくりと回した。
カシャン、と金属の擦れる音が響く。
辺りが静かな分、小さな音でも耳に残る。
正直な所、今夜はもう帰るつもりはなかった。
喧嘩をして、謝ってくるまで帰ってやならない、と心に決めて家を出たはいいが、よく考えると家の主は自分で、居候しているのは向こうだということに気付いた。
つまり、この家の主導権は自分にあり、従うべきは居候の藤堂彼織の方なのだ。
「て、ことで……」
良からぬ事を企みながら、玄関を入ってすぐの所にある彼織の部屋の扉をそっと開けた。
暗闇に廊下の明りが差し込み、室内にひと筋の道を作る。
「?」
異変に気付いたのはその直後。
彼織が眠っているはずのその部屋に人の気配がなかった。
咄嗟に明かりを付けたが、蛍光灯の明りの中で見てもベッドの上には誰もいない。
「は?」
てっきりいるものとばかり思っていたのに、何故かそこにはいない。
この時間、彼織が眠りについていないなんて考えられないだけに、衝撃は大きい。
ここにいないとなると……。
利が次に向かったのはリビングだった。
同様に明りを付けてみても、やはり彼織の姿はない。
途中に立ち寄った風呂場にもトイレにもいなかった。
この、ごく狭い空間にいないというだけで、地球上からいなくなってしまったかのような焦燥に駆られる。
何よりも先に、利の拳は壁に突き立てられていた。
虚しいだけの音が響き、舌打ちをして今度は足で蹴りつけた。
「何でいねぇんだよっ」
待っていてくれる人がいると思い込んでいただけに、誰もいなかった時のショックは大きい。
「どこだ……」
彼織の行きそうな場所を廻らせると、相性の悪い連中の顔ばかりが浮かぶ。
その内の誰を取っても、彼織ならともかく、利がこんな時間に電話どころか、押しかける事などできない人物ばかりだ。
それがまた、より一層苛立ちを増幅させる。
乱暴に頭を掻いて台所へ向かった。
酷く喉が渇く。
コップに手を伸ばし、蛇口から勢いよく流れ出る水を注いだ。
水を呷ってから振り返って、もう一度リビングを見回した。
何度確認しても誰もいない。
そしてふと、たった一人の人間をこんなにも探している自分が馬鹿馬鹿しく思えてきた。
「なんで俺が」
いつの間にか必死だったことが悔しくて、気持ちに強引に決着を付けることにした。
今日はもう寝てしまおう。
考えても苛々するだけなのだから、何も考えないように寝てしまった方がいい。
明日になれば、きっと戻ってくる。
戻ってこない筈がない。
そう言いきかせて、無理矢理に私室へと足を向かわせた。
(俺のいない間に出てくコトねぇだろ)
当て付けなら「振り」だけで充分だ。
何も、本気で行動に移さなくてもいい。
暗くて静かな部屋。
見慣れた風景が侘しく思える。
やけに感傷的になっている気分を振り払うように、手のひらで叩きつけるように蛍光灯のスイッチを入れた。
「ぅー……」
明るくなった室内で、微かな声と一緒にベッドの上で何かが動いた。
布団は人くらいの大きさに膨らんでいて、枕には見覚えのある髪が乗っている。
もしこれが泥棒の類なら、ふてぶてしいにも程がある。
心当たりの人物は一人しかいない。
ゆっくりとベッドに近寄る。
安堵感で、無意識に顔が緩む。
「彼織?」
利のベッドを占領し、すやすやと眠るソレの横に腰を下ろし寝顔を覗き込んだ。
電気が眩しかったのか、顔が半分以上布団に潜っている。
「何でここで寝てんの?」
眠っている相手に訊いても答えなど返ってくるはずもない。
家中を探したと思っていたが、自分の部屋だけは範囲外だった。
利の部屋にいるという可能性は考えていなかったのだ。
我ながら、思ってもいなかった盲点に笑ってしまう。
「寂しかったのか?」
自分でも考えられないほど穏やかな気持ちになっているのが分かる。
眠っていても綺麗な顔がもっとよく見えるように、髪を梳くように避けた。
「なぁ?」
聞こえている筈がないのに、答えるように彼織が寝返りをうってこちらを向いた。
(だったら、素直に俺に従っとけよな)
しかし、淑やかな彼織になんて興味はない。
もし彼織が聞いていたら、「何勝手な事抜かしてんだ、このバカ!」と怒られそうだ。
思い通りにならない歯痒さが心地よい。
と、同時に胸がチクリと痛む。
分っていても止められないのだ。
穢して、壊したい衝動が。
「……とおる?」
か細い声が鼓膜を振るわせる。
彼織の目が覚めたようだ。
寝惚けながらも、彼織は一瞬だけ瞼を開けたが、眩しさにすぐに目を瞑ってしまった。
もぞもぞと布団の中なら腕が出てきて、灯りから逃れるように顔を覆う。
「利」
もう一度、気だるそうな声音で呼ばれた。
「どうした?」
利が訊くと、自分の顔を覆っていた彼織の腕がゆっくりと伸びて、ベッドの横にいる利の服を掴んだ。
「この家、一人だと広いな」
それは、「寂しかった」と同意語。
じっとこちらを見つめる瞳に吸い込まれて、このまま寝込みを襲う事にした。
顎に手を添えて上を向かせ、寝ぼけて無防備に開いている口に舌を差し入れる。
まだ意識がぼんやりとしている彼織の口腔を舐め回してやると、閉じられない口の端から唾液が溢れた。
「は、ふ……んっ」
気持ち良さそうに目を閉じている彼織から甘ったるい声が漏れて、もっとその声が聞きたくて堪らない。
「とー、る」
首筋へと伝う唾液を舐めとるように舌を這わせていくと、うわ言のように名を呼ばれる。
「浮気、した?」
せっかくのイイ雰囲気を壊す一言だったが、不安気に震える声はなかなかにそそられる。
「さぁな」
意地悪くそう言って鎖骨を唇でなぞる。
する訳がない、と声には出さずに答えても伝わらないのは分かっている。
伝わらなくてもいい。
彼織の全てが自分のものなのだから、その不安に満ちた眼差しですら甘美に思えて身体が疼く。
「どっちだと思う?」
顔を上げると、泣きそうな顔をした彼織と目が合った。
自分の言葉一つで、この可愛い生き物の心を乱す事ができるなんて、快感以外の何ものでもない。
ニヤリと嗤って見せると、瞬時に彼織の眉間に皺が寄ったかと思うと、「うりゃっ」と覆いかぶさる利を押し退けた。
掛けていた布団から、素っ気ないTシャツとハーフパンツ姿の彼織の身体が這い出ようとしている。
「おい」
咄嗟に彼織の肩を掴んで声を掛けた。
「出てく」
「出てくって、どこに行く気だよ」
「利には関係ない」
「ある」
「ねぇよ!」
利の手を振り払おうと暴れる彼織の腕を掴む。
大人しくないのはいつもの事なので、対処も手慣れたものだ。
ぐいっと力を込めて引っ張り、ベッドに押し付ける。
勢いを殺しきれずに弾んだ身体は、まだ逃げることを諦めてはいない。
押さえ付ける利の腕を退けようと抵抗を見せた。
「離せっ!」
「暴れんな!」
苛立ち気味に怒鳴っても、彼織には何の効果もないことは知っている。
さらに強い語気で罵る言葉が返って来るだけだ。
しかし、今回は少し様子が違っていた。
「だってお前、優しくない!」
彼織は、ふにゃっと顔を歪めて、駄々をこねる子供のようにそんな事を言う。
「浮気するとか簡単に言うし、オレが嫌な事平気でするし、夜遅く帰って来るし。オレの事嫌いじゃないなら、もっと優しくしてもいいだろ」
精一杯虚勢を張った、けれど頼りない主張は十分すぎる程に効果的だった。
ごく希に、彼織は「カワイイ」で利を殴ってくる。
クリティカルヒットする事も間々ある。
しかも、本人は全く気付いていない。
性質が悪すぎる。
「分かってねぇな」
十分優しくしているというのに、「優しくない」なんて心外な言われようだ。
彼織が嫌いなんて事は無いし、嫌がる事なんてした記憶がない。
文句を言いたそうに開きかけた口を口付けで塞ぐ。
柔らかい唇は、利の行為を拒むことはしない。
「ふ、……んぅ」
ねだるような切ない声が耳を擽る。
舌を絡ませ合いながら彼織の服の中に手を潜り込ませ撫でるが、抵抗の気配はないどころか、力の抜けた身体は利を受け入れているようだった。
白い脚が悩まし気に動き、利の欲情を呷る。
「優しくしてるだろ」
唇を離して可愛い顔を見ると、いつもは大きな瞳を半眼にしてぼんやりと利を映していた。
「もっ、と……しろ」
蕩けるような表情と声でそんな事を言われては、誘われているとしか思えない。
可愛げの無い性格が、一周回って可愛くて仕方がない。
「あんまりカワイイ事ばっか言ってると、無理矢理犯すぞ」
中に挿れた時の搾り採られるような気持ち良さを思い出しながら、サラサラと流れる彼織の髪を撫でた。
利のその言葉に、ピクリと反応した彼織が一瞬顔を顰めた。
しかし、すぐに反抗的に口元を緩めて言う。
「やれるもんなら、やってみろよ」
不敵に微笑う彼織を見降ろして、自分の服を寛げる。
これはもう、足腰立たなくなるまで攻めてやるしかない。
と、思っていたのだが……。
「起きろーっ!」
遠慮の欠片もない怒声にも似た大きな声が響いたと同時に、ぬくぬくと包まっていた布団が剥ぎ取られた。
辛うじて下着だけ穿いているだけのほぼ全裸状態の利には、布団を奪われるという事は体温も奪われるという事でもある。
身を縮ませ、少しでも暖を取ろうと両腕を抱くようにして目を開けた。
カーテンの隙間から差し込む朝日に目をしばたかせたが、やはり無理だと瞼を落とした。
「起きろって言ってんだろ!」
ガシガシと身体を揺らされて、溜まらず起き上がる。
ベッドの横には、登校する為の支度をきちんと済ませた彼織が立っていた。
例によって、大変ご立腹の様子だ。
「早く起きて顔洗って朝飯食えよ。急がないとまた遅刻だぞ」
そう言いながらカーテンを開け放ち、室内を陽の光で満たす。
起き抜けの利には耐えがたい拷問だ。
「なんでお前はそんなに元気なんだよ」
頭を掻きながら欠伸をして、いつもと変わらない彼織に声を掛ける。
振り向いた彼織には、昨晩の情事の余韻などこれっぽっちも残っていない。
むしろ、発散してよく眠れてスッキリしているようだ。
「利がヘタレだからじゃね?」
彼織が愛らしい顔でニヤリと笑って言う。
それは少しばかり心外だ。
要望通り「優しくして」やっただけだというのに。
「あんあん喘いでたクセに」
泣いて善がる姿を脳裏に浮かべながらポツリと呟いて、もう一度布団に沈み込んだ。
彼織の怒声と物理的な攻撃を受けるまでの数瞬を、瞼を落として待つ。
それはいつもと同じ朝でもあった。
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