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《番外》振り返らずに進め -4【伊原】

 □ □ □  保健室に到着し、扉の前に立って愕然とした。  入り口には「外出中」の札が掛かっている。  これが掛かっているという事は、養護教諭は室内にはいないという事。  つまり、保健室は無人であるという意味だ。  念のためドアを開けようとしたが、しっかり鍵が掛かっていた。  こんな大事な時に役に立たないなんて、保健室なんてある意味ないだろ。  一体何の為の保健室だ。  治療ができない、という現実を前にして、ただでさえパニックな俺の頭は更に大混乱に陥る。 「ドア、ブチ破るしかないですよね!」 「は?」 「だって、このままじゃ彼織さんが傷物になってしまうじゃないですか!」  鍵が掛かっているのなら、壊して中に入るしかない。  先生がいなくても、何かしらの対処はできるだろうし。  とにかく、横にいる彼織さんの身体が心配で仕方ない。 「人をB級品みたいに言うなっ」  ギラリとこっちを睨んだ彼織さんは、汚れてしまったワイシャツのボタンに手を掛けながら歩き出した。  俺は慌ててその後を追う。 「大体、ブチ破ったりして弁償とか言われたらどうすんだよ」 「そんなの、何とかなりますよ。ドアなんかより、彼織さんの方が大事じゃないですか」 「あのな、オレの身体はケガしてもそのうち治るけど、ドアは一回壊したら元には戻らないんだぞ」  廊下の水道の前で立ち止まった彼織さんが、真面目な顔で当たり前な事を言った。  そりゃそうだけど、そういう事じゃないんですって。  言おうとしている事を分かってもらおうと口を開こうとした矢先、彼織さんは何の躊躇いもなく景気よくワイシャツを脱いだ。  惜しげもなく披露された白い肌に、頭の中が空っぽになって思わず絶句してしまった。  胸の辺りが赤くなっているのが自分の所為だと思うと、心臓が抉られるように痛い。 「……大丈夫ですか?」 「だから大丈夫じゃねぇって。何度も言わせんなよ」  脱いだワイシャツを豪快に水で濡らしながら、うんざりだというように答えてくれた。  彼織さんの身体の事で頭が一杯だったけど、制服もココア塗れだったんだから洗わなくちゃいけなかった。  自分の所為なのだから、俺がやらなければと手を出そうとして動きが止った。  彼織さんの手つきは、汚れたシャツを綺麗に洗っているようではなかった。  軽く水を絞ったワイシャツを広げて、赤くなっている胸に当てた。  それを見て、ようやく彼織さんの行動の意味が分かった。 「あ、そうですよね。冷やさないと」 「気休めだけど、しないよりはマシだろ」 「本当にすみません」 「いいよもう。それより、授業行かなくていいのか?」 「大丈夫です」 「だから、大丈夫じゃねぇだろ」  今度は苦笑しながらだった。  それはきっと、俺のことを心配してくれての表情だ。  彼織さんが大変な時なのに、俺の事まで気にしてくれるなんて。  冷たい態度を取られても、そういう優しい所もあるんだよな。 「彼織さん」  名前を呼ぶと、反射的にこちらを見た。  その表情があまりにも無防備で堪らない。 「俺、一生かけて償います」 「そんな大袈裟な……」 「全然大袈裟なんかじゃないですよ!」  思わず力が入って大きな声になってしまう。 「彼織さんの事が好きなんです。だから、元々人生捧げる覚悟はできています。俺に償わせてください」  勢い余って、これ以上ないというくらい真剣な告白をした。  いや、告白なんて甘いものじゃない。  プロポーズと言っても過言ではない代物だ。  それを受け止めてくれた彼織さんは、固まったまま動かない。  俺の真剣な想いに圧倒されているのだろう。  これは、ほぼOKと捉えて差し支えない感じだ。  そう解釈して、ゆっくりと手を伸ばして華奢な肩を捕まえる。  白い肌に手が吸い付くようだと思った。 「……っ!」  こちらを見上げる瞳が驚いたように大きくなったのとほぼ同時だった。  肩を掴んでいた手が勢いよく振り払われた。  呆気に取られる間も無く鋭い拳が飛んでくる。  そして、彼織さんの目の前に立っていた筈の俺は、一瞬にして廊下に倒れていた。  彼織さんの予想外の行動に、頭の中が真っ白だ。 「な、何するんですか!?」 「それはこっちのセリフだ、この馬鹿野郎! 気安く触んじゃねぇ!」  精一杯の低い声でそう言い放った彼織さんを見上げて、自分の身に起こった事を理解した。  倒れた衝撃で全体的に痛いけど、精神的にかなりのダメージだ。 「ちょっと待ったぁ!!」 「!?」  怒声のような叫び声と共にどこからともなく何かが現われ、続けざまに見事な急襲にあった。  立ち上がろうとした俺を、更に打ちのめすような事態だ。  まるでサンドバッグに体当たりされたかのような衝撃だった。

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