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《番外》振り返らずに進め -8【伊原】

「大丈夫か?」  寝そべったままポカンと2人を見ていた俺に、上野の手が差し伸べられた。  その横には先輩もいる。  上野の手は取らずに自力で立ち上がって、さっきまで危機に晒されていた腕を擦った。  折れてはいないけど、まだ痛みが残っている。  彼織さんの登場がもう少し遅かったらヤバかった。 「あの人って……」 「3月に卒業した卒業生」 「藤堂に関わると、もれなくあの人がやってくるんだ」  俺が疑問を最後まで口にする前に、上野と先輩が矢継ぎ早に答えてくれた。  彼織さんに関わるともれなくやって来る…?  それは一体何者なんだ? 「あの人って、彼織さんの……」 「自称・保護者」  またしても、最後まで言う前に先輩が答えてくれた。 「保護者?」  こんな危険人物が!?  どう考えても、彼織さんを保護できるようには見えない。 「恐ろしいくらいに過保護だから、去年までは藤堂をちょっと邪な目でみたり喋るだけでも飛んで来て殴る蹴るだし」  普通だったら、そんな話を信じろって言われても無理だけど、今なら十分納得できる。  喋っただけで殴る蹴るだったら、言い寄ったりヤケドさせたりなんかしたら、机を降らせるだろうし腕も折ろうとするだろうよ。 「その話は中等部でも有名でしたよ。とにかく見たら逃げろって」  初対面なのに上野が弓月を知っている理由はこれだったらしい。  つまり、超有名人だってことか。  今更ながら、先輩や上野の「諦めろ」って忠告の意味が分かった気がする。  あれだけ大きな口叩いたのに、もう後悔してるし。  彼織さんと付き合うには、まずはこの弓月を乗り越えなきゃいけないって事か。  ……無理だな。  戦おうにも、破格すぎて太刀打ちできるとは到底思えない。 「一応、保健室行っとくか?」  考え込んでいたら、先輩が心配そうに覗き込んできた。 「先輩は、こうなる事が分かっていたんですね」  数々の助言やら忠告を思い返しながら先輩を見る。  彼織さんで頭がいっぱいだった俺は気づきもしなかったけど、弓月を知っている先輩は本気で心配してくれていたんだよな。  それなのに、俺は勝手にライバル視して。 「俺、生意気で嫌な事とかすげぇ言ったのに、それでも俺の事心配して忠告してくれてたんですね」 「まぁ、そうなんだけど…結果的には意味無かったな」  落下した机と俺を交互に見て、先輩は暗い声でそう呟いた。  この人って、実は優しいんだよな。  自分の所為じゃない上に、直接は関係も無いのにこんなに気を落としている。  それって、俺の為?  俺がこんな目に合うのが悲しい、とか?  唐突に、今まで感じたことのない感情が湧き上がってきた。 「なっちゃん、って呼ばれてましたよね」  ずっと気になっていた、弓月が呼んでいた名前を聞く。  すると、先輩は険しい表情になった。 「それはあだ名」  いつの間にか定着しちゃったんだよな、と不本意そうに呟いた。  どうやら、本人は認めていないらしい。 「本当は何て名前なんですか?」  よく考えたら、先輩の名前も知らなかった。 「瀬口(せぐち)」 「下は?」  苗字じゃ「なっちゃん」にならないから間髪いれずに更に訊くと、驚いたようで警戒するように上目遣いでこちらを見た。  不意打ちの表情が、予想外にかわいく見えてしまってドキッとする。 「…奈津(なつ)、だけど?」  彼織さんといい、この人といい、名前の響きだけなら十分女の子なんだよな。  いや、彼織さんの方は見た目も結構そうだったか。 「奈津さんって、呼んでいいですか?」 「別に、悪いことはないけど」  戸惑いを隠せない様子で頷いてくれた。 「いきなり、どうした?」  今までの俺の態度とあまりにも違いすぎる所為か、奈津さんが怪訝な表情で訊く。  確かに、自分でも手の平返しすぎだと思ってる。  けど、気づいてしまったのだ。 「奈津さん、俺のこと好きですよね」 「……は?」 「だって、彼織さんと俺の仲を邪魔しようとしたし、あの弓月って人が来て俺が危険な目に遭わないように忠告してくれたし」 「だからそれは…」 「俺が彼織さんを諦めないって言ったのに、それでも助けようとしてくれたじゃないですか」  色々総合した結果、そう考えれば辻褄が合う。  この人は俺の事が好きなんだ。  なのに俺は彼織さんの事しか考えていなくて、きっと傷付いていた事だろう。  これまでは敵としか見ていなかったけど、今ならもっと冷静に判断できる。  彼織さん程じゃないけど、奈津さんも結構カワイイんじゃないかな。  何より、俺の事を考えてくれている。  危険人物な保護者付きの彼織さんよりも、俺には奈津さんの方が合っている気がするし。 「いいですよ、俺。奈津さんと付き合っても」  あまりの急展開に、奈津さんは言葉も出ないくらいに驚いている。  そうだろう、そうだろう。  俺と付き合えるなんて考えてもなかっただろうからな。  だけど、きっとこれで丸く収まる。  と、思ったのに……。 「はぁ!?」  上野の素っ頓狂な声が響き渡った。  なんでお前がそんなに怖い顔でこっち見てんだよ。

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