190 / 226
《番外》振り返らずに進め -9【伊原】
「お前、今何て言った!?」
鬼のような形相となった上野が怒鳴った。
ムッとした俺の腕を掴んで、奈津さんたちから少し離れた所に移動する。
ついさっき折られそうになっていた腕なんだから、もっと気を遣えよ。
「何すんだよ!」
「藤堂彼織の次は瀬口奈津って……」
腕を振り払った俺を無視して、上野は頭を抱えて何やら呟いている。
そりゃあ、彼織さんがダメなら奈津さんっていうのは都合が良すぎるかもって自分でも思うけど、そういうのは仕方ないだろ。
それに、上野に怒鳴られる筋合いもないっつーのに。
「お前、柔道部になんか恨みでもあんの!?」
頭を抱えていたかと思ったら、突然顔を上げて怒りだした。
「なんだよ、それ」
どうしてここで柔道部が出てくるんだ。
お前の部活話なんか全くしてないだろ。
「どうして次から次へと厄介な人を選ぶんだよ」
上野の呟きは呻きに近かった。
何をそんなに落ち込んでいるんだ、こいつは。
「それは、男って事か?」
「男とか女とか、この際どーでもいい」
唯一思い当たる節を言ってやったのに、上野は即座に否定した。
そこ、どーでもいいのか?
俺が言うのも何だけど、良くはないだろ。
「つーか、その2人がダメ過ぎなんだよ!」
爆発したように言い放つ上野の表情は、この上なく真剣だった。
「その2人」って、彼織さんと奈津さんの事だろうか。
彼織さんがダメっていうのはこの惨状を見れば分かるとして、奈津さんの方が分からない。
「は?」
「偶然だとしても、お前のその才能は恐ろしいわ」
自分の両腕を擦りながら上野が恐れ戦いたように言う。
その姿が無性に腹立たしい。
「何が言いたいんだよ。それに、奈津さんに関しては、向こうが先に好きになったんだからな」
「なっちゃん先輩がお前の事好きな訳ねぇだろ!」
鼓膜を破るくらいの大声で上野が言う。
その言い草も、内容も、奈津さんの呼び方も、全てにおいてムカツク一言だった。
「そんなの上野に分かんねぇだろ」
「分かるっつーの」
再び頭を抱えて、何やら独り言をブツブツ呟いている。
大丈夫か、こいつ。
「じゃあ、勝手にそう思ってれば? 奈津さんが俺を好きっていうのは、どっちにしろ上野には関係ないんだし」
「あるんだよ! 関係あるからこんなに大騒ぎしてんだよ!」
言われて見ればその通りだ。
関係なければ放っておけばいいだけだしな。
だとしたら、一体どんな関係があるんだろう。
まさか、こいつも奈津さんの事が好きだったり……?
それが一番可能性高いな。
「大体、どうしてなっちゃん先輩が伊原を好きだと思う訳?」
少し落ち着いたらしく、さっきよりも若干冷静を装って上野が訊く。
絶対にあり得ない、と思い込んでいる表情だ。
「上野だって知ってるだろ。奈津さん、俺のことすげぇ心配してくれたし」
「それだけ?」
「第一印象が悪いと、その後のちょっとした善行で株が急上昇的な感じってあるだろ」
彼織さんの事しか考えていなかった時には、ただの邪魔者にしか見えなかったのにな。
弓月から庇ってくれたのとか、すげぇ嬉しいと思える。
「俺だってしてただろ、心配」
「でも、お前可愛くねぇし」
「あー……そうかい」
校内に響き渡る予鈴に乗せて、上野の気の抜けた言葉が届いた。
辺りを見回すと、もう生徒はほとんどいない。
奈津さんも、彼織さんも、あの弓月も。
上野が邪魔しやがった所為だ。
時間が時間だから仕方ないけど、奈津さんともっとちゃんと話をしたかったのにな。
「あれはどうする?」
上野が指した方には、俺の机がある。
どうするもこうするも…。
理不尽だけど、やはり俺が片付けなきゃならないんだろうな。
憂鬱な気分になってそちらの方を見やると、机の傍に誰か立っていた。
予鈴も鳴り、生徒達は皆教室へと急いで向かってしまっているというのに、そいつは全く慌てる様子もなく、不自然な場所に落ちている物をただ不思議そうに見ていた。
近寄ってみると、そいつは俺と同じ1年生らしかった。
そう判断したのは、締めているネクタイの色だ。
この学校は、ネクタイのラインの色で学年を見分けることができる。
そいつの場合、ネクタイを締めているというよりは、首に掛けている、という感じだったが。
ただ、ネクタイ以外は1年生とは思えない風体をしている。
背もやたらと高いし、体格も良い。
落ち着いた雰囲気も、3月まで中学生だったとは到底考え難かった。
「机……?」
無残な姿となったものを見て、そいつがぽつりと呟いた。
気持ちは良く分かる。
「信じられねぇよな、これ」
隣に並んで同意を求めた。
「いきなり弓月って奴が来て、3階の教室からドン!って」
「弓月!?」
それまでの、のんびりとした雰囲気から一転して、そいつが驚きの声を上げた。
なんだ、こいつも弓月を知っているのか。
本当に有名なんだな、あいつ。
「スミマセン! でももう解決したんで、全然大丈夫です!」
何故か上野は敬語でそう言った。
同じ1年相手に、どうして敬語なんだか。
「ここは俺たちで片付けるんで、もう教室に行ってください」
上野が急かすようにそう言う。
「えー、何でだよ。せっかくだから手伝ってもらえばいいのに」
「はぁ!?」
2人より3人で片付けた方が楽だから言っただけなのに、上野は信じられないと言うような声を発した。
「だって、その方が効率いいし」
「そーいう問題じゃねぇ!」
「じゃあ、どういう問題なんだよ」
「いいから! 本当にお前はもう余計な事をすんなっ!」
上野の慌てている理由が全く分からない。
見ず知らずの他人にそんな事を頼むなとでも言いたいのだろうか。
けど、同じ学校に通ってる同じ1年生なんだし、これをきっかけに仲よくなるかも知れないし。
俺はいいと思うんだけど、上野が頑なに拒否るから、結局そいつに手伝ってもらうことは無かった。
文句ばっかの上野よりは、そいつの方がちゃんとやってくれそうで良かったんだけどな。
ともだちにシェアしよう!