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《番外》振り返らずに進め -10【伊原】

□ □ □  昼休みになると、猛ダッシュで3年生の教室に向かった。  昨日までは彼織さん目当てで訪れていた教室だけど、今日は奈津さんを探す。  周りは3年生ばかりで少し気後れもするけど、もう慣れてしまった。 「また来たのか」  教室の入り口から中を覗こうとした所に、不意に声を掛けられた。  一瞬奈津さんかとも思ったけど、明らかに違う声だった。  見やると、話したことのない生徒が立っていた。  顔に見覚えはある。  奈津さんと一緒にいる所を何度が見た事がある程度だけど。 「弓月さんにボコられて意気消沈したって聞いてたけど、また来るってすげぇー根性」  愉快そうにそう言って、人の事を舐め回すように見る。  藪から棒に失礼な奴だな、こいつ。 「奈津さんいますか?」  わざとらしい嫌味を無視して訊いたら、そいつは更に興味津々という様子になった。 「瀬口に乗り換えたって、マジなんだ?」  馴れ馴れしくそう言って笑う。  何だよ、こいつ!? 「そんな事、何で知ってるんすか」  睨み気味に訊くと、今度は意外だというような表情になった。 「お前、弓月さん呼び寄せちゃうくらい執拗に藤堂に言い寄ってたクセに、ビビッて瀬口に乗り換えたっていう1年生だろ?」  ほとんど合っているけど、悪意がありすぎて素直に頷けない。  いちいち言い方にトゲがあるんだよ、こいつ。 「大体みんな知ってるんじゃねぇの? 恐れ多くも藤堂に言い寄ってるバカな1年がいて、このままだといつ弓月さんが登場してもおかしくないって、みんな迷惑してたし」  なんだ、それは。  そんな話初耳だぞ。  あのままいったら弓月がやって来るって知っていて、今までの俺の行動をみんなで笑って見てたって事か?  彼織さんの横を歩く俺を遠巻きに見ていた奴らの顔を思い返す。  羨望というよりは、哀れみとか嘲笑じみたものが混じっていなかっただろうか。  危険だと教えようとしてくれたのは、奈津さんと上野だけだったんだ。  それに気づいて、自分の言動に今更ながら反省する。 「あんまり言ってやるなよ、森谷(もりや)」  教室の入り口で騒いでいた所為か、いつの間にか奈津さんがそこに立っていた。  俺としたことが、こんなに近くにいるのに気づかなかったなんて。 「机、大丈夫だったか?」 「ああ、はい。上野が手伝ってくれましたから」  落とされた机やその他諸々散乱した私物は、上野の手助けもあり1限目までに教室に運び込むことができた。  上野は文句ばっか言ってたし、机は交換が必要だったけど。 「あの柔道部の子か。良い友達だよな」  屈託の無い奈津さんの笑顔が不意打ちに眩しくて、一瞬惚けてしまった。  奈津さんがそう言うなら、上野とはずっと友達でいてやる事にします。 「おい、瀬口。こいつにあんまり愛想振りまくなよ。狙われてんだろ、一応」  森谷と呼ばれた先輩は、人聞きの悪いことを平気で言う。  にしても、俺の前でそんなに堂々と言わなくてもいいだろうに。 「狙ってなんか……!」 「その事なんだけど」  反論しようとした俺を遮るように、奈津さんが口を開く。 「今朝の話、ちょっと誤解があったみたいなんだよな」 「誤解?」 「好きとか付き合うとか、オレはそういう理由で忠告してたんじゃないから」  きっぱりとそう言い切られてしまった。  どういう事だ?  奈津さんは俺が好きだったんじゃないのか?  そうじゃなきゃ、忠告や心配をしてくれた理由が見つからない。  もしかして、照れているとか。  クラスメイト達が見守るこの状況じゃ、素直に気持ちを言うなんてできないよな。  それもそうだ。 「分かってますよ」  ここは分かった振りをしてやるのが優しさだよな。  後で2人きりになった時にもう一度訊けばいい。 「随分と物分りがいいな」  疑り深い森谷先輩が、じっとこちらを凝視している。  鬱陶しいな、この人。 「お前、瀬口が好きなんだろ。そんなに簡単に聞き分けちゃうんだ?」  品定めでもしているかのような目だ。  先に好きになったのは奈津さんの方だ、と言ってやりたいのを呑み込んで睨み返す。 「あんまり虐めるなって」  噛み付きそうなくらいに寄ってきた森谷先輩を、奈津さんが引き離す。 「今朝まで藤堂を好きだって言ってた奴だぞ。そんなの、本気な訳ないって」  フォローしてくれるのは嬉しいけど、奈津さんにそんな風に言われてしまうと悲しい。  確かに、今朝まで俺の頭の中は彼織さんしかいなかった。  それをいきなり「奈津さんが好き」と言っても、すぐには信じられないだろう。  その気持ちはよく分かる。  でも、そういう事もあるんですよ、奈津さん。 「そー言うけどな、瀬口」 「全然タイプ違うし」 「好きになるのがいつも同じタイプとは限らないだろ」 「それもそうだけど。でもオレとカオリちゃんじゃ、落差激しすぎ」  どこまでも、奈津さんは俺の気持ちを本気とは取ってくれていないらしい。  彼織さんと比べられたら仕方ないけど、そこまで卑下しなくてもいいのに。  こうして見れば、奈津さんだって十分可愛い。  仕草かな。あと、表情。  元々がカワイイ寄りの容姿だから、そこに動きが加わると「何か可愛い生き物」に見えてくる。 「俺が言いたいのは、余裕こいて甘く見てると危ねぇんじゃねぇのって事」 「そーかなぁ」 「ホントにさ、俺が言うのもなんだけど、もっと警戒しろって」 「いやでも、オレ本当にそういうの無いし」 「……そーだっけ?」  森谷先輩のセリフは溜め息混じりだった。  きっと、何を言っても手応えが無いからだろう。  奈津さんって、ちょっと掴みどころの無い感じの人なんだな。  自分の事なのに他人事のように考えているっぽい。 「お前さ、あんまり調子乗ってると番犬その2が出てくるぞ」  ちょっと背が高いからって、森谷先輩が見下すようにこっちを見る。  思いっきり不愉快だ。 「番犬って……」  そのセリフに、奈津さんが苦笑した。  2人には通じてる感じが何か嫌だ。 「その1って、今朝の弓月って人ですか?」 「そ」 「じゃあ、その2って、もしかして先輩だったりします?」  掛かってくるならいつでも来いって気分で訊いてやった。  だけど、先輩は「バーカ」っていう目で俺を見下ろしただけだった。  何だよ。  口で言えよ、口で。 「違うんですか?」 「とにかく諦めろ。それがお前の為だ」  ポン、と人の肩を叩いてまたしてもその言葉を置いていった。  あんたも言うのかよ、それを。  最近の俺がよく言われる単語ナンバー1の「諦めろ」。  言われた通り彼織さんは諦めたんだ。  この上、奈津さんまで諦めなきゃならないなんてあり得ないだろ。

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