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《番外》振り返らずに進め -15【伊原】
一体いつからいたのかは分からないが、その表情から察するに今の会話は聞かれていたと考えて間違いない。
「どうしてお前はそういう事を言っちゃうんだよ! 恥ずかしいだろ、オレがっ」
怒りの矛先は塚本に向けられていた。
こんな風に怒っている奈津さんを見るのは初めてだ。
「瀬口に好かれている事の証明を、と思って」
「もっと他の事で証明しろよ!」
「他の事……」
「あるだろ!」
「今、考えている」
「……無いならいいよ」
拗ねたようにそう言った奈津さんは、そこでようやくこちらを見た。
目が合って、軽く会釈する。
だけど、奈津さんの視線はすぐに塚本の方へと戻ってしまった。
「何か言われた?」
不安そうな表情で塚本を見上げて訊く。
「何かって?」
訊き返しながら、塚本は奈津さんの頭にポンと手を置いて撫でた。
その行為に対して、奈津さんの反発が何も無いのが羨ましすぎる。
と言うか、その光景があまりにも自然で悔しい。
「言われてないならいいんだ」
奈津さんは、少し安心したように息を吐いた。
若干の疎外感に胸がざわつく。
「瀬口が、俺と別れたいと思っている、とか?」
「言われてんじゃねぇかっ!」
時間差で報告した塚本に、奈津さんは慌てたように大きな声を上げた。
けど、残念ながら、まだその話しはついていないんです。
「大丈夫。返り討ちにしといた」
「返り討ち?」
状況が飲み込めない、というように奈津さんは首を傾げた。
返り討ちというよりは、門前払いって感じだったけど。
本当に、どうやってこの塚本を説得してやろうかと思案していると、奈津さんの視線が俺に向いた。
「やっぱり、思いっきり誤解してたな」
溜め息混じりに言う。
「何度も言うのもあれだけど、もう一度言うから良く聞け」
「はい」
少し気合の入った言い方が何だか無性に可愛く見えて、そんな空気じゃないと分かっていても思わず笑みが漏れた。
「オレは伊原の事が特別に好きでもないし、付き合いたいとも思った事は無い。完っ全に誤解なんだ」
一瞬、塚本の手前でそう言っているだけなのかとも思ったが、誰かの目を気にして照れているようには到底思見えない、決意に満ちたセリフだった。
そんな事を言われても、すぐには納得できない。
「でも、俺を弓月から護ろうとしてくれてたじゃないですか」
「あれは……」
「俺の事が好きだから、あんなに一生懸命に彼織さんとの事を邪魔してたんですよね!」
それ以外、この人が俺を気に掛けてくれていた理由が見つからない。
ただの親切で済ませられる程、簡単じゃない。
「そうじゃなくて、弓月さんに来て欲しくなかっただけなんだよ」
奈津さんは、塚本の存在を気にしながら更に続ける。
「弓月さんの機嫌が悪いと、関係無くてもこいつに八つ当たりするから」
「それって……」
奈津さんが護っていたのは、俺じゃなくて塚本って事か?
俺があまりにも彼織さんに近付きすぎるとあの弓月がやってきて、それで何の関係も無い塚本に八つ当たりをするのが嫌だから?
それじゃあ、奈津さんが今付き合っている奴と別れたいと思っている、というのも俺の勘違い?
激しく頭が混乱している。
どこまでが本当で、どこからが誤解とか勘違いなのか、俺の長所でも短所でもあるポジティブ過ぎる頭では判断がつかない。
「まさか伊原がそんな誤解するとは思ってもみなかったし」
困ったような奈津さんの言葉が、錘のようにズシリと凭れ掛かる。
こんなにバッサリと振られるとは思っていなかった。
「瀬口」
淡々とした口調で、不意に塚本が奈津さんを呼んだ。
この重苦しい空気が読めないらしい。
「何?」
「分かった」
「何が?」
奈津さんは律儀に対応してやっているが、面倒じゃないのだろうか。
つーか、俺といた方が絶対に楽しいに決まってるんだけどな。
奈津さんは、こんな奴のどこが好きだと思ったんだろう。
「好かれている、という証明」
「は?」
久々に口を開いたと思ったら、よく分からない事を言い出しやがった。
それは、ちょっと前の会話で奈津さんが言っていた事だ。
済んだ話だと思っていたけど、勝手に課題にして考えていたらしい。
一体、どんな風に証明してくれるんだ、と半ばヤケになって見ていると、塚本は奈津さんにこれでもかというくらいに顔を近づけた。
「キス、してくれればいい」
「!?」
絶句したのは俺だけじゃなかった。
至近距離でそう言われた奈津さんも、呼吸が止ったんじゃないかという程驚いている。
「瀬口が、俺に」
「……は?」
奈津さんのか細い声が震えていたから、反射的に助けなければと身を乗り出した。
こんな所で、どんな神経してんだよ。
状況的に、塚本の奇行を止められるのは俺だけだ。
だけど、俺が止めに入るよりも先に、奈津さんの手が動いた。
目の前に迫っていた塚本の顔を、やんわりと遠ざける。
「そんな事しなくても、オレが誠人をどう思ってるかくらい分かってんだろ」
困ったようにそう言って、恥じらい気味に俯いた。
俺はというと、ガツンと、とても巨大なハンマーが脳天にぶち当たったような衝撃に見舞われた。
その時の奈津さんの表情は、俺には一度たりとも向けられた事のないものだ。
この俺ですら、奈津さんがそいつをどう思っているか手に取るように分かる。
色々と都合の良い方向に考えて、まだ自分にも望みがあるんじゃないかなんて考えていたのが虚しくなるくらいの見事な告白だった。
奈津さんがこいつを好きなのは認めなければならない。
俺が、早くも失恋したという事実も含めて。
ズッシリと落ち込んでいると、真っ赤な顔になった奈津さんを当然のように抱き寄せている塚本と何故か目が合ってしまった。
「証明、いらない?」
白旗揚げて降伏している相手に、今更それを訊くか?
律儀なのか、嫌味なのか。
この状況で、奈津さんが誰を好きだとかの証明なんてもう必要ないっつーの。
「……いりません」
そう答えるだけで精一杯で、できる事ならその場にへたり込んでしまいたかった。
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