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《番外》振り返らずに進め2 -5
どうやら伊原は、オレが頼みを引き受けるまで掴んだ腕を放す気はないようだ。
じーっと見つめられて、目を逸らそうにも逸らせない。
「ドサクサに紛れて触ってんじゃねぇよ」
そう言いながら伊原の手を叩き落したのは藤堂だ。
逆の手は藤堂に掴まれていて、自分じゃできなかったからありがたい。
「こんなの放って行くぞ」
「奈津さん!」
伊原の手が伸びて、再びオレの腕を掴む。
こいつ、本当にしつこい。
知ってたけど。
「こんな事頼めるの、奈津さんしかいないんです!」
嘘を吐くな、嘘を。
いるだろ、他にいくらでも。
むしろ、オレに頼む方が間違っている。
「別に、理由を訊くくらいはいいけど、それで本当に有島を諦められるのか?」
どうにも、2つの話がイコールで繋がらないのが気に掛かる。
上野が邪魔しない理由を知れたからと言って、どうして有島を諦めることができるのだろうか。
「できます!」
「相変わらずいい加減な奴」
呆れたような藤堂の呟きには、オレも同意できる。
伊原の「好き」は簡単で軽すぎるんだよな。
惚れっぽいと言うか、手あたり次第と言う…。
「何をやっているんだ、お前はっ!!」
怒声と共に、伊原の姿が視界から消えた…ように見えた。
実際は、背後からの襲撃により床に沈んだだけで、ちょっと視線を下へ向ければまだそこにいる。
「いってぇーな!!」
「先輩たち、無事ですか!?」
今までの話題の主だった上野が、登場するなり床に潰れた伊原を押さえつけながら訊いてきた。
むしろ、無事じゃないのはお前が下に敷いている奴の方なんだけど。
この光景も久々だな。
「どーしてお前は、またこの2人に舞い戻ってんだよ! 今度こそ本当に殺されてもしらねぇからな!」
いくらなんでもそこまでは、と思ったけど、誠人はともかく弓月さんに対しては過言ではないから訂正はしないでおこう。
「上野、てめぇは何でこんな時に来んだよっ!」
「そりゃ、こんな時だから来るっつーの!」
「意味分かんねぇし」
邪魔されないのが不満だったクセに、いざ邪魔をされると本気で怒るんだな、伊原は。
思いっきり矛盾しているぞ。
「希望が叶って良かったな」
全く気持ちの籠っていない棒読みのセリフを落として、藤堂がオレを引きずって歩き出した。
上野が伊原を抑え込んでいる間に退散するのは賛成だけど、その場合有島の件はどうなってしまうのかが気にかかる。
「あのさ、カオリちゃん」
「瀬口は人が良すぎる」
「え?」
引き摺られながら口を開くと、まだ何も言っていないのに言い返された。
「バカ島のことなら放っておけばいいんだよ。いちいち振り回されてやる事なんか無いのに」
オレの考えていることなんて、藤堂にはお見通しらしい。
ちなみに、「バカ島」とは有島のことだろう。
「けど、誠人に相談されたらって思うと……」
「どーにもならねぇよ! つーか、いい加減にその不安なんですキャラ辞めたら?」
呆れたような言い方がちょっとムカっとくる。
「そんなキャラじゃねぇし!」
有島が誠人に相談するのが嫌っつーのが、そんなに変か?
オレ的にはかなり切実なんだけど。
後方からオレを呼ぶ伊原とそれを阻止しようとする上野の声を聞き流しながら、どーせカオリちゃんには分からねぇよ、と拗ねていた。
今までの経験上、休み時間になると伊原がやって来ると考え、教室以外の場所で時間を潰そうと5限目の終了後すぐに移動を開始したというのに、廊下へ出た所でばったりと伊原に会ってしまった。
「昼にあいつが邪魔しに来たのは例外で、今までずっとそんな事は無かったんです!」
いくら熱弁されても、こっちのテンションは下がる一方だ。
おまけに、弓月さんの一件で有名となってしまった伊原が、人の行きかう廊下で騒いでいれば注目も浴びるっつーの。
きっと、「また何かやらかしてるな」と思われているに違いない。
「でも、邪魔されて怒ってたよな」
何か言わなければいけないだろうと、一応反応を返してみる。
「そりゃ怒りますよ」
即座にそう言われた。
そんなに胸を張って言うことか?
つーか、当然のように怒るなら邪魔されないのが好ましいだろうに。
「邪魔されないなら、それはそれでいいんじゃないのか?」
「そうなんですけど、されないと気になるんです」
それって。
「……邪魔して欲しいって事?」
「違います!」
否定が早い。
そしてうるさい。
「だったら何なんだよ」
「それが分からないから気持ち悪いんです。邪魔して欲しい訳じゃないけど、されないと物足りないし」
「やっぱり、して欲しいんじゃないか」
「そうじゃなくて!」
「声がデカい」
「……すみません」
注意をしたら、肩を落としてシュンとなってしまった。
この不毛なやり取りはどこまで続くのだろうか。
まぁ、次の授業が始まれば、さすがに退散してくれるだろうけど。
「あいつ、俺の事が好きだと思うんです」
不意に予想外な言葉が耳に入ってきた。
「……何だって?」
今までとギャップのありすぎる小さな声だったので、念のため聞き直した。
「多分ですけど、上野って俺が好きなんです。だから、俺が誰かを好きになると居てもたってもいられなくて邪魔をするんだと思うんですよね」
さすが伊原。
話の突拍子の無さが素晴らしい。
そういう方向に考えられるのなんて、お前くらいしかいないぞ。
「だから、今回無視してるのってどうしてなんだろうって」
本人に直接聞けない理由はこれか。
好きになるのは得意だけど、好意を寄せられるのは苦手なのか。
面白いくらい面倒な奴だな。
とは言え、手放しに面白がってもいられない。
伊原の脳内で勝手に作った妄想に巻き込まれるのなんてこれが初めてじゃないけど、慣れるものでもないんだよな。
「こいつ、また来てんの?」
嫌味たっぷりのセリフは、目敏く伊原を見つけた森谷の声だった。
どうやら、森谷は伊原を快くは思っていないようだ。
藤堂といい、森谷といい、伊原には敵が多いな。
「追い払うなら手伝うぞ」
「人をハエみたいに言わないでください!」
「似たようなもんだろ」
手厳しい森谷のセリフに反撃をしてはいるけど、全く相手にされていない。
「大体、瀬口も藤堂もお前なんか相手にしてねぇってまだ分かんねぇの?」
「そんな事とっくに分かってますよー」
逆撫でするような言い方は、わざとなのか、天然なのか。
伊原ならどちらもあり得る。
「じゃあ、何でこんな所にいるんだよ」
「そんなの、先輩には関係ないっす」
「はぁ!?」
伊原の生意気ジャブを喰らった森谷がイライラしている。
「本当に違うんだ、森谷」
ややこしくなる前に間に割って入った。
「何が?」
「伊原に話があったのはオレの方で……」
自分で言いながら、最初はそうだったなぁ、と昼休みに有島に遭遇してから大して時間も経っていない出来事を懐かしく思い出していた。
「そーですよね、奈津さん」
オレの腕に絡みながら伊原を胸を張る。
そういう態度が森谷をイラつかせるって、分かってやっているんだろうな。
「どんな話か知らねぇけど、とりあえず瀬口から離れろ」
「嫌です」
オレと伊原を引き離そうとする森谷と、離れようとしない伊原に挟まれて、どうしようもないくらい無駄な時間を過ごしている気がして若干気が遠くなる。
そんな事をやっているうちに休み時間は終わり、伊原は渋々自分の教室に戻って行った。
それで、また次の授業終わりにも来る。
訴える内容は大体同じ。
昼に上野が邪魔しに来たのは例外で、今までずっとそんな事はなかった。
どうしてなのか知りたい、と。
邪魔されて怒っていたクセに何を言ってんだ、と無視する事もできたけど、引き受けるまで毎回教室に押し掛けられては困るし、有島の事も諦めてもらいたいから、上野と話をするだけという事で勘弁してもらった。
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