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《番外》余談ですが「ネコ耳について」 -3

 意を決して付けてみたネコ耳は、誠人には不評だったようだ。 「奈津さーん」  何だかとても疲労した屋上から教室に戻る途中で、廊下の向こうの方から声を掛けられた。  校内でオレをそう呼ぶのは一人しかいない。  後輩の伊原だ。  もうオレに構わなくてもいいのに、姿を見かけるとどんなに遠くからでもこうして駆け寄って来る。  今みたいに、隣に誠人がいても関係なく寄って来るという事は、下心のようなものは無く、反射的に身体が動いているだけなのだろう。  藤堂や有島にならまだ分かるけど、オレにまで動いてしまうとは可哀想に。 「奈津さん! 偶然ですね……って、何を持ってるんですか!?」  オレの持つネコ耳を目敏く発見した伊原は、耳を塞ぎたくなるくらいの音量で訊いてきた。  やはりそこ、気になるか。  当然と言えば当然だけど、ちょっとうるさい。 「ネコ耳……?」  訊かれた答えに疑問符を付けてしまう気持ち、今なら分かる。  何故自分がこんな物を持ち歩いているのか、甚だ疑問だ。 「え? それ、奈津さん付けるとか? めちゃ可愛いじゃないですかっ」  相変わらず盲目状態の伊原の期待は予想通りだけど、生憎そうとは限らない。  オレとしては当然の結果だったけど。 「割と不評だった」  評価者は一人だけど、その一人が重要な訳で。  そいつがイマイチと言うなら、これはオレには不要となる。 「そんな筈ないでしょ」  またまたぁ、と伊原が笑う。  オレの話を聞かないのも相変わらずだ。  だけど、そんな筈あるんだな。 「な?」 「……まぁ」  無言だった誠人に訊くと、面倒そうに頷いた。  ネコ耳オンのオレは、相当酷い有様だったようだ。  別に褒めて欲しかった訳でも、ドキッとして欲しかった訳でもないというのに、誠人にそういう反応をされると、どうした事かへこむんだよな。  スベると分かっていても、本当にスベると痛いやつだ。 「はぁ? 何で!? 何が!?」  納得できない様子の伊原は、誠人に詰め寄っている。  おいおい、止めろ。  感性の問題なんだから、仕方ないだろ。  あんまり突っ込まれるとオレが惨めになるから、本当に止めろ。  ネコ耳を装着してみたはいいけど、誠人の反応がイマイチすぎて、宣言通り一瞬で外したのはついさっきの事だ。  伸ばされた手が髪に触れても、いつものように撫でてはくれなかった。  よほど酷かったらしく、誠人は無言で手を引っ込めてしまった。  感想言われるのも辛いけど、何も言われないというのも居た堪れない。  そんな誠人に、「何で」とか「何が」とか訊くんじゃない。  オレだって、詳しい感想なんて恐ろしくて聞けていないというのに。  食らい付く伊原の質問に、誠人は鬱陶しそうに口を開いた。  あまり落ち込むような事を言われないといいな、と緊張が走る。 「頭を撫でるのに、邪魔」  おい。  そんな理由かっ!  似合うとかキツイとか以前の問題じゃねぇか。 「くっそ羨ましい……っ!」  と、意味不明な言葉を絞り出した伊原は、その場に崩れ落ちた。  酷くダメージを受けているようだ。  今の誠人の返答のどこにそんな要素が? 「大丈夫か?」 「奈津さん、俺も見たいです」  思わずに覗きこんだオレの手をガシッと握った伊原は、突然そんな事を言った。  どうでもいいけど、手を握らないでほしい。 「何を?」 「ネコ耳の奈津さん」 「えー、ヤダ」  伊原の要求を反射的に断った。  別にネコ耳を付けるくらいどうでもいいんだけど、誠人に不評だった後だし、相手が伊原だと何かと面倒そうで何か嫌だ。 「お願いします!!」  そのまま土下座に近い態勢を取ったかと思ったら、大音量が廊下に響いた。  こいつのはた迷惑さは健在だ。  オレを困らせる才能だけは、溢れんばかりにある奴だ。 「声デカいって。頭を上げろ」 「見たいです!」  大きな声を出せば不可能な事など無いかのように、力強く要求する。  これは、見せるまで動かない気だな。  廊下で後輩に懇願されているなんて、はっきり言っていい見世物だ。  このまま置いて去るのも一つの手だけど、その場合、確実に大声で騒がれるし、休み時間の度に教室に押しかけられる。  そんな厄介は既に経験しているだけでいい。  ふと気が付けば、何故か伊原の行動パターンに詳しくなってしまっている。  なんて不本意な。 「……じゃあ、少し」  このまま付き纏われるよりはまだマシだと判断して、サッと付けてサッと外して終わらせようとした。  だけど、持っていたネコ耳を誠人に取り上げられてしまった。  不思議に思って誠人を見上げると、少し機嫌が良くないように感じた。 「勿体ないから、駄目」  珍しくそんな事を言う。  頭にちょっと乗せるだけの事だ。  オレが恥ずかしいだけで、何も勿体なくなんてないだろう。  その恥ずかしさだって、今、伊原に騒がれて注目を浴び続けるのといい勝負のものだ。 「別に減るもんじゃないし」 「減る」 「そんな事は……」 「ある」  絶対に譲らない強い意思を感じる。  誠人にしては、本当に珍しい。  つまり、それほどオレのネコ耳は酷かったという事か。  誠人なりに、憐れんでくれているのだろう。  頭を撫でにくいとか、遠回しな言い方も誠人なりの優しさなのだろうな。  きっと、減るのは心のHPだろう。  精神的ダメージな。 「さては、ネコ耳の奈津さんがあまりにも可愛かったから独り占めしようとしてますね」  いかにも名推理のような言い方で、伊原が誠人に言い放つ。  何を言っているんだ、こいつ。 「そんな訳ないだろ」  思わずオレが答えていた。  いつもの事とは言え、突拍子が無さすぎるぞ、伊原。 「だって、興味無い振りして独占欲丸出しじゃないですか」  えー、どこが?  オレには「独占欲丸出し」の部分が全く見えなかったけど。  むしろ、二度と頭に乗せるな、って方向の気持ちは見えた。 「だったら逆だろ。あまりにも酷かったから可哀想って方だと思うけど」  だからこそ、珍しく強引な阻止をしているに違いない。  自分と付き合っている奴が恥ずかしい恰好をしていたら、やっぱり嫌だよな。  誠人の気持ちを代弁したつもりでいたのに、当の誠人は何だか複雑な顔をしてこちらを見ている。 「な?」  同意を求めても無言だ。  あれ?  予想、外れてる? 「瀬口」  呼ばれて、見上げた先の表情がやや険しい。  不思議に思っていると、オレの手を取って歩き出した。  強引とも言える誠人の行動に、オレだけでなく伊原も驚いたようだった。  後ろから伊原が何かを言う声が聞こえるけど、誠人の足は止まらない。 「おい、どうした?」  手を引かれながら声を掛けると、階段に続く廊下付近で止まった。  振り返ってオレを見て、それから、ふっと諦めたように誠人が息を吐いた。 「これは、可愛すぎるから、俺以外には見せないで」  それは恐らく、手に持っていたネコ耳を指しての言葉。  「え?」と聞き返す間もなく、誠人が困ったように微笑む。  何だよ、その笑みは。  まるで、本当は言いたくなかったみたいな。 「撫で回したくて堪らなくなるから」 「……はっ?」  懺悔するような誠人の言葉を呑み込めない変わりに、妙な声を上げてしまった。  撫で…まわす、とは。  想像して瞬時に身体が熱くなる。  たかがネコ耳を付けたくらいで、そんな作用があるのか?  それ、考えようによっては、かなり危険なんじゃ…?  半信半疑で未だに誠人の手にあるそれを見ていると、耳元に気配がした。  顔を寄せ、オレにだけ聞こえるように悪戯っぽく囁く。 「無くても、そうしたいけど」  あー……。  そうですか。  あっても無くても撫で回したい、と。  危険なのはネコ耳ではなくて、お前の方だな。  知ってたけど。 「やっぱり、シロに返す」 「それがいいかもな」  全く未練の無い同意に、本当に有っても無くても関係無いんだなと若干恐ろしくなった。  触ってくれるのは嫌いじゃないからいいんだけど、わざわざ言葉にされると少し構えてしまう。  と同時に、その欲求を満たしてあげたい、なんて無謀な事も思っていた。

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