37 / 101
第37話
「先生、こちらもお願いします」
呼ばれるたび東雲はやさしいけれど真剣な顔で、作品を見ながらあれこれアドバイスをしては手を加えていた。
話す言葉はまったく理解できないけれど、その真剣な横顔にはどきっとした。大人の男の人の仕事をする姿を間近に見たのは初めてだった。
「またいつでも来て。きょうみたいに予約してくれればお花も用意しておけるから」
「はい、本当にありがとうございました」
花を入れた長い花袋を持った帰り道、綾乃は上機嫌だった。
「きょうはつき合ってくれてありがとう」
「どういたしまして。習いに通うの?」
「うーん、迷うわね。いまの流派で師範まで取るつもりでいたから、乗り換えるのも気が引けるというか。大学からはちょっと遠いし。でも東雲さんの生け花は好きだから、迷惑でないならこうやってたまに体験に通わせてもらうのはありかなあ」
流派うんぬんのことはよくわからないので、黙ってうなずいておく。
ふしぎな場所だったと思う。教室にいた人たちは楽しそうに話していたが、その内容はほとんど理解できなかった。
東雲のこともやわらかな雰囲気で仕事熱心に見えたけれど、人柄はさっぱりわからないままだった。
「祐樹は?」
「え? おれ?」
自分に話題が振られると思っていなかった祐樹がきょとんとする。
「習ってみたら? 部活もしてないし空手も高校入ってやめたんでしょ?」
「…でも生け花はちょっと恥ずかしいかなあ」
花を活ける自分が想像できなくて、祐樹は照れ笑いをした。綾乃はにこにこと祐樹の腕に片手を絡める。
「でも有名な華道家は男性も多いよ。それに東雲さんの作品、気に入ったんでしょ?」
「ひとつしか見たことないし。きれいだったけど、それで生け花習おうとまで思わないよ」
「そう? 祐樹が花を活けるってとても似合いそうだから、いいかもって思ったんだけど」
花が似合うと言われてもなんだか微妙だった。まあ東雲は男らしい容姿だけれど華道師範なのだし、そんなに気にするようなことでもないのかもしれないが。
仕事をしている姿はたしかに恰好よかったし、一瞬どきっとしたけれど。でもまあ、もう会うこともないだろう。
ああ、そういえば…。
よくわからない成り行きで芙蓉の花を見に行く約束をしたことを思いだした。とはいうものの、なにしろ来年の話だ。一年後の約束なんて、本気のはずはないだろう。
ともだちにシェアしよう!