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第9章 花を活ける人

 天丼をおごってもらって、その後、用事があるという大澤とは店のまえで別れた。  年末の街はそわそわしていて、祐樹はこれからどうしようと考える。家に帰ってもいいのだが、わざわざ街中まで出てきて天丼だけ食べて帰るのももったいない気がする。 予定では綾乃と映画を見るはずだったが、綾乃が見たがっていた映画なので一人で見る気はなかった。  かといって、いまから誰かを呼び出すのも…と考えていると「祐樹くん?」とやわらかな張りのある声で名前を呼ばれた。  すぐ先の歩道で背の高い男性が祐樹を見て、ふわりと微笑んだ。 「東雲さん?」 「やっぱり祐樹くんだった。久しぶり」  10月に生花教室に見学に行って以来の再会だから、親しげに声をかけられてすこし驚いた。 「はい、あの、こんにちは」  ぎこちなく会釈する。  東雲は綿のシャツを重ね着して下はジーンズというラフな服装で、この寒い中コートも上着も着ていなかった。しかも手ぶらだ。  何をしているんだろう? 「そんな薄着で寒くないんですか?」 「ん? ああ、これから活け込みするから、上着はいらないんだ。車を待ってるとこだし」 「活け込み?」 「そう、今からそこのデパートの正月用の会場設営なんだ」  つまり仕事中らしい。それで手ぶらなのかと納得する。 「そういう仕事もされるんですね。生花教室だけかと思ってました」 「いろいろやるよ。レストランやホテルのロビーの花を活けたりとか、イベントやこういう季節ものの催し物会場の設営もやるし、外国人向けの日本文化体験講座とかね」  祐樹が考えるより仕事の幅は広いらしい。  そうなんですねとうなずいたところで、東雲が急に祐樹の顔を覗き込むようにしてきたので、祐樹はちょっと身を引いた。 「ねえ、ダメ元で訊くけど、ひょっとして時間ある?」 「えー、と。…はい」  質問の意図がわからなくて、戸惑いつつ東雲を見上げると、ぱっと破顔して、それから「お願いがあるんだけど」とやさしく肩をつかまれた。

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