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第60話

「大澤先輩は彼女とやりたくてたまんないってときってありますか?」 「そりゃあるよ」 「もし、そのとき彼女がその場にいなかったら?」 「あ? やりたいときにか? それは我慢するか自分でするしかないだろ」 「…そうですよね。彼女のこと考えてするんですよね?」 「そうだけど…。どうした、祐樹?」  さっきからおかしな質問をしているのはわかっていた。でもこんなことを訊けるのは大澤しかいない気がする。同級生にはとても訊けないし、身内である兄たちにはなおのこと言えない。  おれは大澤先輩には甘えているのかもしれないと思う。  いやじゃないし嫌いじゃないけど、苦手だと思っている大澤に。2年間、週に1度は顔を見に中等部まで通ってきてくれていた、おせっかいでやさしい先輩に。 「おれ、最近ちょっとおかしいんです」  そう告げたものの具体的なことは何も口にしない祐樹に、信号待ちで車を停めた大澤がちらりと目をやった。 「ほかに好きな女でもできたか?」 「そういうのじゃありません」 「じゃあ、彼氏か?」  一瞬、なにも聞こえなくなった。  静寂に包まれた車内で、大澤が静かな調子で続けた。 「お前さ、ほんとは男のほうがいいんじゃないの?」  どきっと心臓の音が耳元で鳴った気がした。静寂をやぶって、どくどくと心臓が音をたてる。否定しなければと思うのに、何ひとつ言葉にならなかった。  信号が青に変わり、車がスムーズにスタートする。  そっと盗み見た大澤の表情は穏やかで変わらない。  息遣いまで聞こえそうな静けさの中、前を向いて静かにハンドルを切っている。その横顔を見つめたまま、沈黙は肯定だとわかりながら、祐樹はそれでも言葉が見つからなかった。

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