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第4話
「ちょっ……と、ハク!真っ青だけど、大丈夫?」
翌日出勤すると、同僚の碧井 アキラが、ましろの顔を見るなり早足で詰め寄ってきた。
非日常からようやくいつもの日常に帰ってきた心地がして少しほっとしたましろは、心配させまいと笑顔で首を振る。
「ありがとうございます、ミドリ。少し寝不足なだけだから、大丈夫です」
「とても大丈夫そうには見えないけど」
碧井は信用できないというように、鼻の頭にシワを寄せてこちらを見ている。
碧井とはオープン当初から一緒に働いている、一番仲のいいスタッフだ。
ましろは本店『SILENT BLUE』のオープニングスタッフなので、二年後にオープンした姉妹店である『SHAKE THE FAKE』からのスタッフである碧井よりも一応先輩になるが、彼は年下なのにしっかりしていて、要領の悪いましろをいつもフォローしてくれる。
小柄な体に負けん気の強そうな外ハネのボブ、きゅっと吊り上がった瞳は大きく、一見して少年のようだ。
ちなみに『ハク』とはましろのキャストとしての源氏名で、碧井は『ミドリ』である。
自分の身を案じてくれる碧井の気持ちは嬉しいのだが、どうしてそうなったのかと聞かれたら困ってしまう。
昨日の客でもあった天王寺を怒らせてしまったということを知られたくなくて、ましろは視線を外し、制服である白地に銀糸の刺繍の入ったアオザイの上衣の裾をいじった。
今朝……。
いつの間に意識を失っていたのか、目覚めたときには既に天王寺の姿はなかった。
服は着ていないが体はきれいになっており、何事もなかったかのようだが、身じろぐと受け入れた場所に痛みが走って、あれが悪い夢ではないことをましろに思い知らせた。
天王寺は、何故あんなことをしたのだろう。
恋の一つもしたことのないましろにも、あれが性行為であることくらいはわかる。
過去のことでましろが許せないのならば、他にも痛め付ける方法はあるはずだと思う。
ましろのことを、怒りをぶつける対象にしたいのならば、それでも構わない。
けれど、天王寺はちっとも楽しそうではなかった。
彼が苦しそうな理由を察することすらできないことも、天王寺が怒る一因なのかもしれないが、対話を重ねなければ伝わらないことというのもあると思う。
「(話を、したかったのに)」
ましろはベッドの上で項垂れるしかできなかった。
痛みもあり、なんだかふらふらするので夕方までベッドで休んでいたものの、結局あまり復調しないのでそのまま出勤したが、こんな風に心配をかけてしまうのならば、欠勤した方が良かっただろうか。
……部屋にいると、天王寺のことばかり考えて悲しい気持ちになってしまって、同僚やお客様と話をしている方が建設的かと思ったのだが。
「とにかく、ハクは無理すると熱出たりするし、今日は帰って寝た方が……」
「あの、ミドリ?私は大丈夫ですから……」
「お疲れ~。二人して開店前に何揉めてんだよ」
話をしていて気付かなかったらしい。近くには店長の海河 龍彦 が立っている。
アラブの民族衣装トーブのような長衣に、オルテガ柄のストールを首から下げて、鼻にはほぼ引っ掛けただけの丸サングラス。耳にはうねった触手が絡み合う意匠のシルバーのピアスが光る。
こちらは、勤務中の制服というわけではなく、彼の普段着だ。
背は高く顔立ちも整っているが、かなり怪しい風体なので、声をかけるには勇気がいるだろう。
『SHAKE THE FAKE』の責任者であると同時に、メンズ向け人気アクセサリーブランドのデザイナーでもある。才能豊かな人だ。
ましろでは埒が明かないと思ったのか、碧井は今度は海河に詰め寄り始めた。
「店長〜、ハクのこの顔色、オーナー基準的に仕事したらアウトでしょ。怒られるやつ」
「あ〜、こりゃ酷いな。徹ゲーか?」
「てつげー?」
首を傾げると、二人は「ですよね……」と脱力する。
「そうだな。ハクが徹夜でゲームとかするわけないよな」
「店長ふざけてる場合じゃないから。とにかくハクは」
「あの、本当に、…………っ」
言い募ろうとした瞬間、くらりと目眩がして、その場に座り込んだ。
「ハク!」
慌てた碧井が側に膝をつき、支えてくれる。
意識を失うほどではなく、一つ息を吐いてから、碧井に礼を言った。
大丈夫だと、思ったのだが。
「……ましろ、今日は帰って寝とけ」
いつも曲者風な笑みを絶やさない海河に真面目な顔で言われてしまっては、ましろもそれ以上主張を通すことはできなかった。
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