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第61話
マンションの部屋のドアを開けた千駿は、違和感を感じ注意深く室内の様子を窺った。
「シロ?」
千駿が帰ると必ず餌を強請りにやってくるはずのシロが来ない。
最近のシロは、食べた時間とは無関係に、主人(食事係くらいの認識かもしれない…)が外出から戻ると、玄関に詰めており空腹だとアピールをする。
ましてや、今日は夕方からそれなりに長く外出していたのだから、万が一寝ていたとしても、玄関ドアの開く音で飛んでくるはずだ。
リビングにもその姿は見えず、もしや具合でも悪いのではと、いつも寝ている場所を確認していると、違和感があるのはシロのことだけではないことに気づいた。
キャビネットや書棚、つまり一般的に仕事に関わるものや、人目に触れたくないものなどを置いてありそうな場所に僅かな乱れを発見し、やられたかとため息をつく。
プロの仕業ではあるまい。推理小説の探偵のような神経質さがなくとも気付ける程度には痕跡が残っている。
侵入者があったということは、シロが玄関先まで来なかった理由は……。
悪い想像が脳裏をよぎり、慌てて探すと、覗き込んだ寝室のベッドの下に、ようやくその艶やかな黒毛を発見した。
「……シロ」
目が合うと、のそりとベッドの下から出てくる。
一見して外傷もなく、動作にも特に異常はなさそうだ。
見知らぬ人間の気配を察して、賢明にもすぐに身を隠したらしい。
千駿は愛猫の無事を確認すると、安堵の息を吐き出し、怖い思いをさせて悪かったと抱き上げた。
……が、当のシロはじたばたと暴れて千駿の腕から抜け出すと、まっすぐ歩いて行った餌の棚の前で鳴き始める。
「…………………………」
猫とは、人間の感傷とは無縁の生き物である。
ざらざらとドライフードを出してやりながら、当たり前だがいい気分ではなかった。
もちろんシロのことではない、不法侵入者についてである。
落ち着いているのは、両親か、両親の差し向けた何者かだという確信があるからだ。
先日、あれ以上の援助はしないと伝えたから、家探しされる可能性は考えていた。
まだ一緒に暮らしていた頃、独立しようと貯めていた金を勝手に引き出されていたことが何度かあり、子供のものは親のものだと思っている両親の性格はよく知っているため、もらえないならば勝手に盗めばいいと考えることは目に見えていた。
元より見られたくないものは全て会社の方に移動させてあるため、以前のように勝手に金を引き出される心配はないが、だからといって無断で家捜しされるのはとても嫌なので、もう少しセキュリティのしっかりした部屋に引っ越そうと思ってた矢先だ。
相手の行動の方が早かったことに舌打ちしたい気分になる。
また、あれからそれほど経ったわけではなく、両親が経済的にかなり切迫した状況だということが窺い知れて、薄ら寒さを感じた。
「(本当に、金に取り憑かれた人間は何をするか……)」
そう思い浮かべてから、はっとする。
ましろ。
金貸しの坂本がましろは金にならないと言った本当の意味を、母が理解しているとは思えなかった。
あのやり取りだけで諦めるとは思えなかったからこそ、今夜も心配して出掛けて行ったというのに。
どうして自分はせめて部屋に戻ったところまで見届けなかったのか。
『私はもう、子供ではありません。自分の行動の責任は、自分で取れます。だから、私がどこで何をしようと、自由ではないですか?』
ましろがあんな強い物言いをしたのは初めてで、後ろからクラクションを鳴らされるまで、信号が変わっていることにも気づかぬほど驚いた。
ここ数日やけによそよそしいような、様子がおかしかったこととあわせて、ましろが自分といることで不快な思いをするならば、追いかけない方がいいのかもしれない。
……などと、わざわざ傷口を広げたくなくてそのまま帰ってきてしまった自分の愚かさを呪いたくなる。
嫌がられてもいい。せめて安否を確認したいと電話をしてみたが、出ない。
メッセージを送り、しばらく待ってみるがそれも既読にはならなかった。
あれから時間も経っているから、既に寝ているだけという可能性もあるが、万が一を思うといてもたってもいられなくなってくる。
取り越し苦労であってほしいと願いながら、千駿は再び家を飛び出した。
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