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第62話
『結局お前は、あの時から何も変わっていない』
冷たい声音が胸に突き刺さる。
背を向けられて、咄嗟に縋ろうとした手は動かなかった。
行かないで。
「っ……」
びくっと身体が揺れたことで唐突に目が覚め、今のが夢だったと気付いた。
全身から発汗しており、気分が悪く、頭は異様に重怠い。
違和感に視線を落とせば、両手両足を粘着テープで拘束されており、夢の中で縋ろうとした手が動かなかったのはこのせいかもしれないとうっすら思う。
何故、こんなことになっているのか。
やけに濁った思考は、状況を把握するのに時間を必要とした。
「(ああ、そうだ。私はまた……)」
澄子に騙され、攫われてしまったのだ。
一緒に来てと引っ張って行かれた先で車に押し込まれ、乗っていた男に何か薬をかがされた。
くらりとして、酩酊しているような心地になり、そのまま眠ってしまったようだ。
何か甘いような、あまり嗅いだことのない不思議な香りがしたので、睡眠薬というより麻薬のようなものだったのではないか。気分が悪いのはそのせいだろう。
これまでの経緯をぼんやり思い出し、ようやくこの場所は一体どこなのかという疑問に辿り着いた。
弱くなった蛍光灯が照らし出す白い壁紙。ウォルナットの家具で統一された室内は、古めかしい内装ではないのにやけに傷んでおり、ましろが転がされているベッドも埃っぽい。
空調は入っていないようで、吐く息は白く、コートを着込んだままだというのに、汗をかいたこともあって震えるほどに寒かった。
時計がかかっているが、電池が切れているらしく止まっている。
ひとまず、今は人の住んでいない家に連れてこられたということはわかった。
隣の部屋には、澄子と、誰か他に男性がいるようだ。
話し声のようなものが微かに聞こえてくるが、何を話しているのかまではわからなかった。
自分がこれからどうなるのかはわからない。
澄子が、…天王寺の母親である人が、本当に殺されかけていたわけではなかったことだけはよかったと思うが、ましろの扱い方次第では、月華の逆鱗に触れる可能性もある。
できれば、ましろを金にしようとすることがどれ程リスキーなことか改めて説明し、わかってもらいたかった。
そして……天王寺の耳に入るような事態になる前に、穏便に済んでほしい。
これ以上彼に迷惑をかけて、失望されたくなかった。
「(……ちー様……)」
最後に見た、厳しい横顔を思い浮かべて消沈していると、足音が近付いてきて、白いドアが開く。
そこから澄子と、見知らぬ男性が二人入ってきた。
一人は、澄子と同世代か、それよりももっと上かも知れない。髪に白いものが混じった穏和そうな顔。あまり似てはいないが、状況から察するに、もしかして天王寺の父親の大介だろうか。
もう一人、ましろと同じくらいの年に見える男性は、中肉中背、無難な服装も顔の造作もこれと言って特徴のない地味な印象だが、目だけがやけにギラギラとして、不気味だった。
「それでどうするの?坂本とかいう金貸しは、彼はお金にならないって言ってたのよ」
「その人には金にするだけの伝がないということだったんじゃないですか?雑誌や新聞からでなくても、発信する方法はいくらでもあるのに」
「でも、それらしい情報も手に入れられなかったんだろう。そもそものネタがなくては……」
ましろが目覚めたことには気付いているだろうに、声をかけてくるでもなく、三人で話している。
「スキャンダルは、作るものなんですよ」
口を塞がれているわけではないので、何とか説得したいと声をかけるタイミングを見計らっていると、不穏な言葉と共に、若い方の男がこちらをみた。
「『あの大物政治家の孫が裏社会の男相手に体を売っている』……なんて美味しい情報、これだけ綺麗な顔なら、みんな喜んで邪推するでしょうね。動画で段階的に情報を公開していけば、食いついた御大から、連絡が来ますよ。証拠がなくても、彼とヤクザとの繋がりは明らかだ。それを演出できれば」
「では……彼をこの別荘に連れてきたのは、」
この後起こることを想像したのか、澄子は嫌そうな顔をしたが、年配の男性はましろの全身に目を走らせると、ごくりと喉を鳴らした。
「視聴者は、それが真実かどうかなんて、気にしない。誰かが自分より不幸になるのを見て安心したいだけだ。より俗悪で、センセーショナルな絵なら、猶更いい」
男二人が、ベッドに近付いてくる。
影がかかり、四本の腕が伸びてくる気配に、ましろは身を硬くした。
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