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第1話 猫の決意(2/6)

とっぷりと夜も更けた頃。 眠りに就く前に、ベッドで寛ぎながら本を読むのがユーベルの日課だった。 年端もいかない少年の頃から、異例の若き司教として務めている大聖堂の上階。 配属されてもう七年になる自分の部屋で、枕元の明かりだけを頼りに細かい字を読んでいると、ほどよく眠気がやってくる。 ちょうど気持ちよく微睡んできたところで、コツンと物音がした。 頭から霧が晴れて、急速に覚醒してしまう。 眠れそうだったのに…と不満に思いつつ再び文字の羅列を目で追おうとすると、またコツンと聞こえてきた。 固くて小さなものが、ガラスにぶつかるような音。 二回とも同じ方向から聞こえた気がしてそちらを見やるが、閉ざされたカーテンがただ静かに佇んでいるだけ。 もう一度同じ音がしたら、一応確認してみるか…と思って本に目を伏せた矢先、 コツン。 やはり窓から聞こえてくるようだ。 虫か鳥でも居るのかな、と本を閉じて窓際まで起き上がると、カーテンをそっと開けて隙間を覗き込んでみた。 静まり返った通りが月明かりに照らされるばかりで、特に目立ったものは見えない。 やっぱり虫かと納得してベッドに戻ろうとすると、向かいの街路樹が不自然に揺れるのが目に入った。 (鳥や猫にしては大きいな…) ガサガサと木の葉を散らすシルエットにじっと目を凝らすと、やはり人の形が浮き上がって、それからこっちに向かって手を振るのがわかった。 『おーっす』 潜められた声は、聞き慣れたものだった。 司教の席に座ってはいても、退魔の依頼で外へ出向くこともある。 そんな時に、背中を預け合う相棒の青年。 窓を開けると、湿り気のある風と虫の声が頬を撫でて、しっとりと心地良い。 「なんだ、猫さんか…何時だと思ってるの」 「けっこうな夜更け!」 「…何してるの? そんなとこで」 闇の中で月に反射して光る目は、彼が人とは違うことを示している。 そんな目を見ていると、心の奥に閉じ込めてある恋情まで見透かされそうで、なんだか落ち着かない。 …というのも、許されざるものだとわかっていながら抱いてしまった、密かな恋心のせいだ。 きょろりと大きな目に、よく笑う口。 他の誰にもない、猫のような耳と尻尾を持つ、司教として共に働く青年。 明るくて、親しみやすくて、隔てなく人と接する割に魔力の扱いに驚くほど秀でていて、厄介な体質である己のコンプレックスを長所に変えてくれたのも、彼だった。 始めは感謝と尊敬の念を抱いていたのに、補い合って、共に実戦を乗り越えている内に、気が付いたらそれは恋へと成長していたのだ。 「降りて来いよ、いいとこ連れてくから」 頭の上で猫のような耳をピンと立てて、楽しそうに手招く無邪気な姿は、きっと単純に喜ばせようとしてだろう。 友人として。 「もっと普通に誘ってよ」 ぎこちなく笑ってみせながら浮き立つ気持ちを心の底に沈めて、平常心を装う。 特別な感情を抱いているなんて、端っこの端っこですら伝わってしまってはいけないのだ。 なにせ、この恋は禁忌だと充分に理解している。 皮肉なことに、同性愛は自然の摂理に反していることだと説いている司教は、紛れもない、自分なのだから。

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