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第1話 猫の決意(3/6)
「こっちこっち」
連れて来られたのは大聖堂の裏だった。
積んである薪と配水管を軽く踏みつけて、彼はするすると屋根に上がってみせる。
当然、信心深く大それた行動を慎む傾向のユーベルには簡単には登れない。
「えっ、ちょっと、ここ登るの?」
「おう。これくらい登れるだろ?」
聖堂の屋根を踏むなんて、罰当たりじゃないかなぁ…と不安を抱きつつ、彼の通ったルートを辿ってやっと屋根の縁に手をかけた。
すると目の前に手が差し伸べられて、
「おっそいなぁ」
と笑われる。
「君と比べられても困るよ」
少し躊躇ってから手を取るとしっかり握られて、ぐいっと力強く引き上げられた。
その勢いに乗って壁を蹴ると、少々不格好ながら屋根に立つことができた。
誰かに見られていやしないかと、そわそわと落ち着かなくて、寝静まった大聖堂と修道院の中庭を見下ろす。
「それで、いいとこってここ?」
「いーや、もっと上」
視線を辿る。
「…眺めは良さそうだね」
その目は、大聖堂の中で一番高い所、教会を兼ねているために造られた鐘楼に向けられていた。
鐘が吊るされた塔の屋根にようやく辿り着いたのは、何度か彼の手を借りて、手を繋ぐことになんの躊躇いも感じなくなった頃だった。
かなりの高さだ、真っ直ぐ立つと風に煽られてバランスを崩しそうで怖い。
ひとまず無事で居られたことにほっと一息ついて、その場に座り込んだ。
街灯にぼんやり照らされた街並は、まるでミニチュアのように何ひとつ動かない。
「景色のために連れてきたと思った?」
この高さで平然と立っている彼の声が降ってくる。
「眺めはいいね。他に何かあるの?」
遠くの景色から隣の友人へ、焦点を合わせる。
見上げた彼は得意げな笑顔で、何かを指差してる。
上のほう。
…空?
彼の後ろには星空があった。
夜のカーテンに散りばめられた宝石、そんな表現がぴったりな星空。
深い紺のキャンバスに銀色の砂が散って、輝きの大きな粒が赤や緑を帯びていて、ちらちらと静かに瞬く。
視界を遮るものがない分、いつもと違って近くに見えて、なんだか手が届きそうな気すらしてくる。
誰かが作り上げたわけではない、ただそこにあるだけの輝きに魅了されて、自然と感嘆の言葉が零れた。
「…きれい」
「星、見るの好きって言ってたからさ。穴場なんだぜ、ここ」
隣に座り込んだ彼が照れ臭そうに言った。
胸にじんわりと広がる温かさは、喜びだけじゃない。
騒ぎ始めた心音を表に出さないように閉じ込めて、星を見上げるふりをして心の内側を隠す。
「覚えててくれたんだ。ありがとう」
「やーほら、いつものお礼っていうかさ。こんないい場所、俺一人が独り占めするのもずるいかなーって。それにさ、灯台下暗しって言うだろ? こんな近いとこに居るのに知らないのも勿体ないなーって」
「ふふ、確かに知らなかった。あぁでも、一人で来られるのは猫さんくらいだと思うけどね」
「あっ…あー、そういやそうか…」
やけに口数の多い彼と、夜空を見上げながら笑い合った。
他愛のない会話が心地よくて、このままの関係が長く続くことを願う一方、先に進むことの出来ないもどかしさもどこかで抱いていた。
きっと彼に他意はない。
いつもそうなのだ、彼の言動で喜ぶと心から嬉しそうにしてくれて、それで勘違いしてしまいそうになる。
楽しげに細められた目で見つめられると喜びで胸が締め付けられて、それが嬉しくて、苦しくて。
こんな気持ちを抱いているなんて知られたら、友人ですら居られなくなるのが当然だと強引に閉じ込めて、蓋をして。
はっと気がつくと、いつの間にか沈黙が場を支配していた。
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