5 / 109

第1話 猫の決意(4/6)

「…あのさ、もういっこ」 先に口を開いたのは彼の方だった。 変わらない声の調子に、気まずく思っていたのは自分だけだったのだと密かに安堵する。 「うん?」 「もう一個、ちょっとあってさ」 歯切れの悪さを不思議に思って隣を見ると、身体ごとこちらへ向き直って距離を詰めてきた。 緊張した面持ちがはっきりわかる近さに困惑して、ドキンと心臓が跳ねる。 「ち、ちかっ…近い近い! なに?」 「これから真面目に話すから、真剣に聞いてくれないか」 「え、は…はい」 まるで怒気を含むように潜められた声色に気圧されて、頷いた。 夜の冷えた空気がシンと耳を刺してくる中、彼は目を伏せて深呼吸してから、意を決したように口を開いた。 「…おかしいと思うんだ。女好きなのは嘘じゃないし、今までそんな気があったことなんてない。でも、隣に居てこんなに心地いいのに、まだ足りないんだよ。もっと…もっと近い場所に居たい」 一気にそう言った後で、 「スキなんだ」 と続けた。 与えられた言葉の意味が飲み込めずに、ぽかんと口を開けて彼を見る。 琥珀色の瞳が、反応を伺うようにそろそろと見上げてきた。 黒い猫の耳も怯えるように頭上でへたりこんでいる。 「あ、の」 やっと出た言葉は、言葉とも言えないものだった。 徐々に彼の言った言葉が胸に染み込んでくる。 正直、どんな反応をすればいいのか、何から言葉にしていけばいいのか、見当が付かず頭の中がどんどんパニックになっていく。 待てよ、冷静に考えてみよう。 もしかしたら日頃の自分の態度から不純なものを感じて、試してるのかもしれない。 発破を掛けられている、と、そんな風に考えると不思議と落ち着いて、気の抜けた笑みさえ浮かんだ。 「えっと…私のことを、だよね? あの、あれでしょう? 友人として、これからもよろしく、って」 「ちがう」 食い気味に遮られて、なんとも真っ直ぐな眼差しに射抜かれる。 不安そうな、猫の目。 「お前のことが気になってしょうがない。ユーベル、お前が好きなんだ」 はっきりと。 真っ直ぐに見つめながら、彼の唇は「好き」と。 こうもきっぱり言い切られてしまっては、真っ向から受け止めるしかない。 不安を滲ませた目でじっと見てくる彼を前にして、誠意で返さないのは失礼だと、同性愛を不自然だと説いている自分自身に言い訳をして、目を閉じる。 許されざることだと糾弾して、同性で惹かれ合うことを禁じたのは人だ。 不自然さを受け入れられず、共感できない異分子を恐れた、人の作った罪。 少数派よりも多数派が強いのは人の世の摂理であって、罪を罪じゃないと変えていくのはとても難しいことで。 言い訳を重ねる耳に、風の音が嫌に響く。 心のどこかで、遠くの遠くで、欲してはいたけれど、予想はしていなかった言葉を与えられて、湧き上がる歓喜が抑えられない。 彼が本気なのだとしたら、本心で答えよう。 今まで押し殺してきた想いを表に出す日が来るなんて、思いもしなかった。 期待したことはあったかもしれないが、まさか、そんな。

ともだちにシェアしよう!