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第1話 猫の決意(4/6)
「…あのさ、もういっこ」
先に口を開いたのは彼の方だった。
変わらない声の調子に、気まずく思っていたのは自分だけだったのだと密かに安堵する。
「うん?」
「もう一個、ちょっとあってさ」
歯切れの悪さを不思議に思って隣を見ると、身体ごとこちらへ向き直って距離を詰めてきた。
緊張した面持ちがはっきりわかる近さに困惑して、ドキンと心臓が跳ねる。
「ち、ちかっ…近い近い! なに?」
「これから真面目に話すから、真剣に聞いてくれないか」
「え、は…はい」
まるで怒気を含むように潜められた声色に気圧されて、頷いた。
夜の冷えた空気がシンと耳を刺してくる中、彼は目を伏せて深呼吸してから、意を決したように口を開いた。
「…おかしいと思うんだ。女好きなのは嘘じゃないし、今までそんな気があったことなんてない。でも、隣に居てこんなに心地いいのに、まだ足りないんだよ。もっと…もっと近い場所に居たい」
一気にそう言った後で、
「スキなんだ」
と続けた。
与えられた言葉の意味が飲み込めずに、ぽかんと口を開けて彼を見る。
琥珀色の瞳が、反応を伺うようにそろそろと見上げてきた。
黒い猫の耳も怯えるように頭上でへたりこんでいる。
「あ、の」
やっと出た言葉は、言葉とも言えないものだった。
徐々に彼の言った言葉が胸に染み込んでくる。
正直、どんな反応をすればいいのか、何から言葉にしていけばいいのか、見当が付かず頭の中がどんどんパニックになっていく。
待てよ、冷静に考えてみよう。
もしかしたら日頃の自分の態度から不純なものを感じて、試してるのかもしれない。
発破を掛けられている、と、そんな風に考えると不思議と落ち着いて、気の抜けた笑みさえ浮かんだ。
「えっと…私のことを、だよね? あの、あれでしょう? 友人として、これからもよろしく、って」
「ちがう」
食い気味に遮られて、なんとも真っ直ぐな眼差しに射抜かれる。
不安そうな、猫の目。
「お前のことが気になってしょうがない。ユーベル、お前が好きなんだ」
はっきりと。
真っ直ぐに見つめながら、彼の唇は「好き」と。
こうもきっぱり言い切られてしまっては、真っ向から受け止めるしかない。
不安を滲ませた目でじっと見てくる彼を前にして、誠意で返さないのは失礼だと、同性愛を不自然だと説いている自分自身に言い訳をして、目を閉じる。
許されざることだと糾弾して、同性で惹かれ合うことを禁じたのは人だ。
不自然さを受け入れられず、共感できない異分子を恐れた、人の作った罪。
少数派よりも多数派が強いのは人の世の摂理であって、罪を罪じゃないと変えていくのはとても難しいことで。
言い訳を重ねる耳に、風の音が嫌に響く。
心のどこかで、遠くの遠くで、欲してはいたけれど、予想はしていなかった言葉を与えられて、湧き上がる歓喜が抑えられない。
彼が本気なのだとしたら、本心で答えよう。
今まで押し殺してきた想いを表に出す日が来るなんて、思いもしなかった。
期待したことはあったかもしれないが、まさか、そんな。
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