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第3話 クリスの恋(4/8)

それからしばらく経った頃、クリスは見違えるほど明るくなっていた。 猫背だったのを直し、ヒルダとユーベルの前でなら難なく会話も出来た。 他の人々と共に過ごすのは相変わらず苦手なままだったが、前よりは視線も気にならなくなっていた。 いつものように三人でお茶をしていた時のこと。 ヒルダに来客があって、彼女の部屋にユーベルと二人で残された時に、不意に彼が言ったのだ。 「前髪、切ればいいのに」 「…え」 そう言って、ユーベルはクリスの前髪を遠慮なくかき上げた。 突然開けた視界に戸惑って、視線が泳ぐ。 どこを見ていいか定まらず、キョロキョロするクリスの瞳を見て、ユーベルが笑う。 「こんなに綺麗な目をしてるのに、もったいないよ」 「あのっ…、は、離してください。見えなくていいんだから…」 「どうして?」 どうして、と聞かれると、クリスは困った。 納得させられる理由が思い浮かばない。 けれども何故だか、ユーベルの手は払い除けられなかった。 「ねぇ、クリスの目は本当に綺麗だよ。澄み渡る空みたいで、きみにすごく似合ってる」 「っ……」 確かに、髪も肌も白いクリスの中で、唯一水色に色付いている瞳は、際立って美しかった。 でもそう言って覗き込んでくる青い瞳の方が、穏やかな海のようで綺麗だとクリスは思った。 しかしとても口には出せず、歯の浮くような台詞をさらっと口にする無邪気さにも、敵わないと肩を落とした。 「もう…そのうち、切ります」 「! うん、楽しみにしてるね」 ユーベルが嬉しそうにすると、クリスの心も温かくなった。 そのうち、とは言ったが、出来れば近いうちに頑張ってみようと、クリスはそっと決心した。 そんなクリスが約束通り前髪を切った頃、彼は大聖堂のしきたりを知ってしまった。 司祭は一人で巡礼の旅に出て、各地に散らばる神父へ挨拶に周り、最低二年は帰れないというものだった。 それを知ったクリスは苦悩した。 やっと人の温もりに触れられたのに、二年もまた一人ぼっちになるなんて、死んでも御免だ、と、本気で考えていた。 思い詰めるクリスの様子に気付いたユーベルが、人気のない場所でこっそり声を掛けてくれたものだから、その優しさにまた泣き付いて、包み隠さず彼に悩みをぶつけた。 静かに聞いていたユーベルは、前と変わらずクリスの頭を撫でて、真剣な面持ちでわかったと頷いた。 「ヒルダ様と相談してみるよ。私も、今のクリスがここから離れるのは、まだ賛成できないから」 「…ありがとう、ユーベルさま」 「もう、さまはやめてってば」 苦笑いして頭をポンポンとしてくれるのが、心地いい。 ずっとこうしていたい、とクリスは願った。 少年の淡い願いが叶うことになったのは、それから一週間後のことだった。 ユーベルは幼いながら司教という職に就き、周囲の心配をよそに期待以上の働きを見せていて、発言にはそれなりの力があった。 そこへヒルダの後押しも加わって、クリスは特例で、司祭から修道士への降格が認められたのだった。 ただし、大聖堂で生活できるのは司祭以上の者だけであり、修道士は隣の修道院で寝食することになっていたので、厳密には今までほど一緒に居られるわけではなかったが。 それでも、大聖堂に通うのは同じなので、クリスには充分すぎる結果だった。 「ごめんね、こんな形になっちゃって…しきたりはしきたりだからって、融通が効かなくて」 「いいえ、僕にはまだこの方が合ってます」 新しく配給された修道士の聖服に袖を通して、クリスがユーベルとヒルダに改めてお辞儀をする。 「ヒルダさま、ユーベルさま、本当に、ありがとうございます」 顔を上げたその表情は、どこか吹っ切れたように明るかった。 クリスのことでずっと胸を痛めていたヒルダが、思わず涙ぐむ。 「クリス、これは一時しのぎかもしれないけどね。それでもこうやって、おまえが心の内を話してくれるようになって、本当に嬉しいよ」 「ヒルダさま…ずっと無礼な態度をとっていて、ごめんなさい…」 つられて涙ぐむクリスは、泣きそうになっても、もうパニックになることはなくなっていた。 「それからユーベル」 「はい」 「ありがとうね。あなたが居なければ、この子は変われなかったかもしれない」 「そんなことは…クリスが強い子なだけですよ」 「ほっほっ、そういうあなたも、強い子だけどね。何かあったら、頼っておいでね」 ヒルダは笑って、ユーベルの頭をわしわしと撫で回した。 擽ったそうに笑うユーベルは、その小さな肩にのしかかる重責など感じさせないほど、無邪気な笑顔を浮かべていた。

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