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第3話 クリスの恋(6/8)

それからクリスが試験に合格し、改めて司祭としての道を歩み始めて、巡礼の旅へと発つこの日まで、二人が言葉を交わすことは一度もなかった。 クリスの動向はヒルダを通して、ユーベルの耳に届けられていた。 二人の様子がおかしいと気付いたヒルダはユーベルをしつこく問い詰めたが、ユーベルは何も言えないまま今日を迎えていた。 「まったく、あんた達に何があったのか知らないけどね。なんとなくは察しがついてるんだよ、ユーベル。あなたが今日まで黙っているってことは、やっぱりクリスが変な気を起こしたんでしょう」 なんでわかるんだ、とユーベルがヒルダを見ると、彼女は飄々と笑ってみせた。 「昔から、そんな傾向はあったからねえ。あなたは鈍感だから、まるで気付いてなかったけど」 「え…えぇっ!?」 言われた通り、ユーベルに心当たりはなかった。 でも一番近くで見ていたヒルダが言うのだから、そうなんだろう。 それでも、クリスの想いは、初めて見た動くものを親だと思うような、動物の刷り込みと同じようなものの気がしてならない。 「私もね、あの子は、勘違いをしているんだと思うのよ。でもね、だからといってあの子からあなたを奪ってしまうのは、まだ危険な気がしてね。表面上はうまくやってるけど、今でも時々、一人でここに泣きにくるんだよ」 「…そうだったんですか」 「あなたには絶対に言わないでって、口止めされてるからね。おっと、いけないいけない、独り言だよこれは」 クリスも、何かと忙しいユーベルを心配させたくなかったのだろう。 そうやって、気を使って多少の我慢は出来るようになったようだが、それでも不安定であることに変わりはなかった。 「どうする? ユーベル。見送るならすぐに行かないと、船が出てしまうよ」 「っ…行ってきます!」 駆け出したユーベルの背中を見て、ヒルダは小さく、ごめんねと零した。 救いを求めている少年と、底抜けに優しい少年を引き合わせて、依存でもいいからどうにか生きていけるよう仕向けた罪悪感を、彼女はひっそりと抱えていた。 息を切らしたユーベルが、一隻の船が出航するのを目の前にして、大きく叫ぶ。 「クリス! 待ってるから、ちゃんと戻っておいで!」 海に投げられたその声は、船の汽笛に紛れて掻き消された。 もう一度、と荒い呼吸を整えると、船の群衆の中から白い頭が抜け出して、手を振った。 大丈夫、と言っているように見えて、ユーベルは船が見えなくなるまで、大きく手を振って送り出した。 彼が無事に戻ることを祈って。

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