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第4話 バレンタイン(1/5)
ある冬の日のこと。
大聖堂は夜も明けない内から準備に追われ、街中が甘い香りに満ちていた。
何せ今日はバレンタインで、女性が男性へチョコレートを贈るという習慣が根付いている日だ。
老若男女を問わず、訪れる人々にチョコレート菓子を配るのも、大聖堂の中にある教会の活動のひとつだった。
教会というのは、人々への奉仕を基本に、施しという名の食事や女神の祝福を授けたり、懺悔を聞き届けたりといった活動を行い、神父、シスターが所属している。
それとは別に、あらゆる退魔を請け負い、聖遺物を祀り、それにまつわる祭事を行う所を聖堂といって、司教を筆頭として多くの司祭が所属する。
またこの場合の聖遺物とは、その身に神を宿すことのできる人物も含まれるのだ。
どちらに所属していても聖職者には変わりなく、平時は司祭たちも教会活動に従事していた。
二つを兼ねている上に、隣接して修道院まで備えているここは、取り纏めて大聖堂と称されていた。
修道院には年端の行かない少年少女達が多く居る。
彼らは聖職者として歩むため、聖魔法や神の教えを学んだり、奉仕活動に協力したりと、今日も早朝から手作りのチョコレート菓子を愛らしく包装して、年中行事にしっかり参加していた。
幼い彼らが先輩司祭に紛れてチョコレート菓子を配る健気さとは裏腹に、それよりも上の立場にある一人の猫は聖服姿のままぷらぷらと街をうろついていた。
いつもよりも賑やかな街はあちらこちらでチョコレートが売られていて、カカオの甘い香りが鼻を擽る。
「あーうまそ。誰かくれないかなーチョコ」
ぼやきながら大聖堂に向かうアルは、結構な甘党だった。
それと同時に、優しいヒルダからのプレゼントを楽しみにしていた。
彼が貰える数少ないチョコの内の、大事な大事なひとつになる予定だからだ。
開かれている大聖堂の重厚な扉をくぐり抜けると、こちらもいつも以上に賑わっていた。
その理由は、二つあった。
「ユーベル様、受け取ってください」
「うん、ありがとう。寒いからこちらで暖まって行ってくださいね」
毎年、ユーベルのもとには沢山の女性が訪れた。
年齢は問わず、上は非公開から下はよちよち歩きまで、大聖堂でユーベルにお世話になった人が大半だったが、そこで働く修道士や司祭からも人気があった。
律儀に順番に並ぶ女性達を相手に、穏やかな笑顔で応対するユーベル。
それとは対照的に、緊張した面持ちで堅い挨拶を返す司教がいた。
今年の騒ぎを倍加させている、クリスだった。
「クリス様、先日はありがとうございました」
「…ええ」
「クリスさま、だいすきー」
「あ、ありがとう…ございます…」
人から好意を向けられることに慣れていないクリスは、固く表情筋を強ばらせてその場を動けずにいた。
神父から言われて仕方なくここに立っているが、本当は誰とも会わないよう過ごす予定だったのだ。
司教として改めて皆に紹介されたクリスは、昔とは別の噂で人々を賑わせた。
雪のように白い髪は艶を帯び、透き通るような肌を持ち、俯いて隠されていた端正な顔立ちは、まるで彫刻のように美しいと女性達の間で評判になった。
己の容姿のせいで苦労したクリスは、見た目ひとつで態度が変わる女性を苦手に感じていた。
そんな対照的な二人を遠くに眺めて、アルは溜め息をついた。
「いいなぁ…同じ服着てんだから、誰か俺にもくれたっていいのに」
ぼやくアルに、チョコレートの箱が差し出される。
しわしわの手を辿って顔を見ると、ヒルダが笑っていた。
「ほっほっ、ほれ、猫坊主。いつも元気をくれてありがとうね」
「ばーちゃん…ありがとうぅうう」
「これ、苦しいよ。離さないかね」
アルにとって本日の女神様であるヒルダが、彼にぎゅっと抱き締められた。
こんな寒い日和にポカポカと温かい猫坊主の体温で、ヒルダも満更ではない様子でまた笑っていた。
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