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第7話 流行り風邪(2/12)

小一時間ほど経った頃、クリスは喉の乾きで目を覚ました。 変わらず痛む頭がドクドクとうるさく、身体を動かそうとすると節々が痛んで悪寒が走る。 水を欲して、短く唸りながら首をサイドテーブルへ向けると、椅子で足を組んだまま器用にうたた寝をするユーベルが居た。 「……」 起こしてしまわないように、音を立てずに水を飲む。 冷たさが喉を伝って胃に落ちる感覚がいやにはっきり分かる。 ふぅ、と息をつくと、俯いて規則的な呼吸を繰り返すユーベルに視線を戻した。 意外なことに、彼の寝顔を見たのはこれが初めてだった。 いつもは海のように佇む青い瞳が、伏せられた睫毛に隠されている。 じっくり眺めると、ずっと尊敬している歳上の相手なのに、やけに幼く感じた。 数年前となんら変わらない顔つきは、あの頃のユーベルのまま、時が止まっているように見えた。 クリスの心がチリっと焦れる。 強引にこのベッドに引き込んでしまいたい。 シーツに押し付けて、あの柔らかい唇を貪って、彼の体温を肌で感じたい。 一瞬で脳を駆けた妄想は、クリスの芯を熱くした。 同時に、そう出来ないもどかしさで目を伏せる。 キスくらいなら許されるだろうか。 と、まるで起きる気配がないユーベルに、顔を近付けてみる。 今なら熱のせいに出来る、とあとほんの少しの距離に迫ったところで、重心のずれたベッドがギシッと軋んで、目の前にゆっくりと青い瞳が現れた。 「ん…あれ…」 「寝てたので、起こしてあげようかと」 彼が言葉を紡ぐ前に、言い訳がクリスの口を突いた。 そして咄嗟に、水を飲むフリをして距離を置く。 「あ、ごめん。喉が乾いてたんだね。部屋が暖かいから、つい…」 「いえ…」 空になったコップへ水を注ぎに立つユーベルを見送ってから、クリスは頭までベッドに潜り込んだ。 焦った。 あの日。自分が旅立つ直前に、唇に熱を灯して貰った日。 これを最後に気持ちの整理をつけると言った手前、再会してからは出来る限り、邪な想いはひた隠しにしていた。 ただかけがえのない友人として慕っているだけだと演じて、警戒されることなく側に居たのに、ほんの一瞬で台無しになるところだった。 クリスがベッドの中でそう気を揉んでいると、不意に部屋のドアが叩かれて、心臓がビクリと跳ねた。 「おやすみのところすみません、ユーベル様はいらっしゃいますか?」 代わりに応対してくれたユーベルが部屋の入口で何度かやり取りをする。 毛布から顔を出したクリスは、なんとなく、二人きりの時間はもう終わりだろうなと予感していた。 ドアが閉まる音と同時に、ユーベルが振り返る。 「ごめん、行かなきゃ。神父様まで倒れられたんだって」 「…それなら、仕方ないです。行ってください」 駄々をこねる気も起きなかった。 幼い頃はこんなことしょっちゅうで、一緒に居られる方が珍しかったのだから。 普段より猛烈に心細いが、諦めようと思って目を閉じると傍に近付いてくる気配がした。 「薬、ここにあるから。ちゃんと飲んでね」 「…はい」 「それと、」 拗ねる子供のように、もう目を開ける気力も湧かない。 居なくなる後姿を、見たくない。 そう考えていると、少し間を置いてから額にかかる前髪がよけられて、なにか、柔らかいものが触れた。 「早くよくなりますように」 「……!」 目を開けると、照れ笑いをしたユーベルが離れていくところだった。 手を振って出て行ったドアを見つめながら、クリスは無意識に額を押さえた。 「くそ…ずるいです… 」 お祈りの儀式の、額へのキス。 日常的にそれをするユーベルにとっては、なんでもない、何千回の内のひとつに過ぎない。 でも、クリスの心を縛るには充分すぎる一回だった。 彼の唇の感触がはっきり残っていて、途端に身体が熱くなる。 目を閉じなければ良かったと後悔しながら、半分は熱のせいにして、クリスは硬くなりつつある自分自身に躊躇うことなく手を伸ばした。

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