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第11話 古傷(1/13)
人前では冷静沈着なイメージが強いクリスだが、彼には困り事があった。
自室に積まれた二つの段ボールと睨めっこをして、腕を組んで溜息をつく。
「はぁ…どうするか、これ…」
先日のバレンタインで貰ったチョコレートが一向に減らないのだ。
時折、ヒルダとお茶をするときに持参しては喜んでくれるものの、量を消費するとなるとヒルダと二人では遠い道のりだった。
そもそも、少食な上に甘い物は苦手と来ていて、日に一粒しか減らないこともあるくらいなのだ。
「うーん、ユーベル様は手伝えないと言っていたし…」
クリスにとって唯一の頼みであるユーベルは、クリス以上にチョコレートに追われていて、とても協力しあえそうになかった。
足して割ったりしたら、手元のチョコレートが逆に増えてしまうのが目に見える。
「あぁ、気分が悪くなってきた」
チョコレートのことばかり考えていたら、あの甘い香りを思い出して胃がもたれてきた。
とにかく何でもいい、何かいい手はないか探すために、クリスはあてもなく聖堂内をうろつくことにした。
そして、やはり、と言うべきか、案の定、一番最初に足が向いたのはユーベルのところだった。
今日は厨房で夕食の下拵えを手伝っているようで、エプロンをつけて慣れた手つきで野菜を切っていた。
厨房の中は賑やかで尻込みしたが、食事当番が男性陣であるおかげで、こと女性が苦手であるクリスでもすんなり飛び込むができた。
「ユーベル様は、どこにでもいらっしゃいますね」
「え? …あぁ、クリス。珍しいね、厨房に来るなんて」
不意に話し掛けられたユーベルが、手を止めることなくクリスを見た。
手元を見ずともトントンと野菜を細切れにしていて、なんとも器用である。
「少し相談事があったので、探していたんです」
「相談?」
声を掛けたはいいが、周りの談笑と調理の音がうるさい。
話すときにあまり声を張らないクリスは、出直そうと考えて、やっぱり、と言いかけた。
「あ。クリス、ちょうどいいや。そこの人参剥いてくれない?」
「…はい?」
「さっきそこで剥いてた子が手を切っちゃって。いま手当に行ってるから、その間だけでも手伝ってよ」
そう言ってユーベル自身は、ズタ袋一つ分のじゃがいもをドンと作業台に置いた。
そこからひとつ取り出してはするすると皮を剥いて、水を張ったバケツに放り込む。
その光景が無言の圧力となって、クリスを責めた。
厨房は戦場だ、突っ立ってないでやれ、と。
「…や、やります。あとで、お時間をください」
「いいよー」
剥いて放って、剥いて放って。
いびつなはずのじゃがいもが、簡単に皮を脱がされていく。
年季の入ったユーベルの手つきとは裏腹に、クリスに握られた人参は過剰なダイエットを強いられていた。
「!? ちょっ、クリスそれ皮じゃない!」
「しっ、お静かに…! 集中しないと手を切るので」
包丁の構えは正しいのに、力の込め方が下手なのか、ぐっ、ざくっ、うん分厚いね、という手順を一周分繰り返すものだから、人参は最初の半分の太さになっていた。
「うわああ、手を切りそうで見てらんない」
「…ふっ、修道士時代を思い出します」
そうだ。
修道士は修道院、司教や司祭は聖堂で共同生活をしていて、クリスだってもう数えきれないほど食事当番が回って来たはずだ。
その上でこの腕前は、相当ひどい。
「君、当番のときどうやって乗り越えてたの?」
「気が付いたらいつも、鍋をかき回す係をしていました」
「な、なるほど…」
納得だった。
そして今日も早々に、鍋をかき回していた修道士とクリスにチェンジが言い渡されるのだった。
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