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第11話 古傷(4/13)

席を立ったついでに、ユーベルは食糧を収めてある倉庫に来ていた。 切れていた紅茶の補充をするために、奥の方で茶葉を選んでいると、ふと倉庫の扉が開く音がした。 「ふふっ、今なら誰も居ないですって」 「こ、こら、そういう問題じゃありません…!」 女性の声と、戸惑う感じの男性の声がして、すぐに扉が閉まった。 潜められた声色がなんだか浮き立っていて、ユーベルが「あ、まずい」と感じた瞬間、二人の濃厚なキスシーンが始まった。 こうなっては出るに出られず、息を潜めて事の終わりを待つ他ない。 「んふ…ねぇ、もっとくださいな…」 「は…人が来ますから、もう…こらっ」 女性の方が悪戯っぽく誘っていて、男性の方が口では拒みつつも誘惑に勝てないといった感じか、と、冷静に分析する頭と、二人の息遣いに強いストレスを感じて早鐘を打つ心臓がユーベルの中に同居していた。 居心地の悪さで手が震える。 他人の情事なんて見たくもないし、知りたくもない。 布擦れの音が耳障りで頭を抱えるように耳を塞ぐと、ふと、食料を収める棚の中敷きにされている古新聞が目に入った。 気を逸らそうと茶ばんだその紙に目を這わせて、早く終われ、早く終われ、と何度も唱える。 水音、潜められた笑い声、掠れて虫食いになっている新聞記事。 脳から冷えた液体が降りてくるような吐き気を覚えたところで、ふと新聞のモノクロ写真に目が留まった。 人の頭に、猫の耳。 え、と思ったその瞬間に、唐突に女性が声を上げた。 「あ! ごめんなさい、当番があるの忘れてました」 「ええっ!?」 あっけらかんと言う彼女に、男性はもちろんユーベルも一気に気が抜けた。 「あはっ、そんなにガッカリしないでください。またしましょーね、神父様」 置き土産のようにキスをする音がして、彼女はさっさと出て行った。 最後に神父様と言ったような気がするが、気のせいだろうか、そうだ気のせいだろう。 そう思い込もうとするユーベルが額を押さえて長く息を吐いていると、男性が倉庫の奥まで足を進め始めた。 もちろん、隠れられるスペースなどなく、ユーベルは諦めて真正面から対面することにした。 「うわあっ!?」 「…何をしてるんですか、神父様」 誰も居ないと思っていた神父が悲鳴を上げて、ユーベルは呆れ顔で迎えるしかなかった。 慌てた神父が襟元を乱したまま弁解を始める。 「い、いや、これは、彼女が持病の癪がと言って…」 「…すみません、最初から居たので。」 「……内緒にして貰えませんか」 言い訳が利かないと悟った神父は、潔く頭を下げてきた。 別に、ユーベルに神父を責める気はないのだが、不愉快な思いをさせられたのは確かだった。 「もう。今度から時と場所を選んでくださいね」 「…面目ない」 まったく、と零してユーベルが紅茶の缶を手に取ると、気まずさを打開しようと神父が食いついてきた。 「あ、あぁ、そうなんです。私も紅茶の補充をしなければと思っていて」 「思っていて、あんなことに?」 「う…意地が悪いですね」 「…早いところ忘れたいので、襟を閉めてもらえますか」 ユーベルの指摘で神父が慌てて服の乱れを直す。 今の自分は珍しく刺々しいな、と妙に客観的に見ているユーベルが倉庫の扉へ目をやると、いつの間にかそこにはクリスが立っていた。 こんなに倉庫が賑わうことなんて滅多にない。 「…ユーベル様、何をなさっていたんですか?」 「何って、紅茶を取りにきて、」 「取りに来て、神父様と仲良くしていたんですか。」 食い気味に遮ったクリスの顔が嫌悪に歪む。 「えっ、何その勘違い!? やめて、今は特にやめて!」 クリスの勘違いも、素っ頓狂という程でもなかった。 何故なら慌てた神父が襟を正しているところから目にしていて、神父の首に真新しい鬱血の跡が今もまだちらりと覗いているのだ。 「ユーベル様…ひどい裏切りです!」 「えぇーっ!? クリスこそひどい勘違い!! どこ行くのちょっと!」 とんでもない勘違いをしたクリスは全力で走って行った。 このまま放っておくと面倒なことになりそうで、一刻も早く誤解を解くべく、ユーベルは紅茶を神父に放り投げてクリスを追った。 あとに残された神父は、ただただユーベルに頭を下げるしかなかった。

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