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第8話
夜になり、直之は家に帰らずにまっすぐ上原の小料理屋に向かった。
「おや斯波さん、こんばんわ」
「うん」
「今日も来るって思いましてね、待ってたんですよ」
そう言って頼む前から熱燗と冷奴を出してくる。
「昨日は斯波さん荒れてて言えませんでしたけど、真人さんがその親友の方を連れてウチに来たことあるんですよ、何回か。だから知ってました、あの話」
「なんだよ、そうだったの?」
(知らないのは俺だけかよ)
年甲斐もなく除け者にされた気分になって不貞腐 れ、直之は手酌をあおった。
「どんな奴なの」
「いい子ですよ、親思いの。丁度親に言うかどうか迷ってた時期に来てたんで、多少は相談にのってたんです。少しして、話したら泣かれたって言ってたなあ。その子のとこも、もう親父さんしか居ないそうで、それでも結局赦してくれたって、嬉しそうにしてました」
「男相手に赦す……ねえ。子が子なら親も親だな」
飲み干す液体がザラザラと喉を通って行くのを感じながら不味そうに呟く。
「そんなこと言うの斯波さんらしくないでしょう。──その子ね、親父さんの為にも隠していたくはないって決心して告白したんですって」
「親父さんの為?なら隠し通したほうが為になったんじゃないのか」
「……斯波さん。私ね、ずっと後悔してるんですよ。命令とはいえ斯波さんを見張ってた事」
突然切り口を変えて言い出した上原に、直之は顔色を変えた。
「──!なにを今更……」
「その子の名前ね『棗澤里志 』って言うんですよ。そうそうある苗字じゃないでしょう?……あの人──『棗澤里瑠 』さんでしたよね」
上原は前掛けのポケットから店の名刺を取り出して直之の前に置く。
「全くの余計なお世話なら捨てて下さい」
上原の手で裏返されたそこには手書きで住所が書いてあった。電車で一時間もない距離だ。
直之はその名刺をただ呆然と見つめていた。
「斯波さん。いや……直之坊ちゃん。お分かりですか、その子はあの人の息子さんです。それは棗澤里瑠さんの現住所です──」
(今ここになつめが居る──?)
なにかに弾かれたように直之は席を立った。
立ち上がってしまうと居ても立ってもいられない焦燥感が溢れてきて、周りのものが目に入らなくなった。
脇目も振らず直之が出て行った店の中では、上原が一礼していた。
過去に向けて放たれたように言葉が追う。
「いってらっしゃいませ。──直之坊ちゃん」
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