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第ニ話

「あ……あの……」 「隣、いいか?」 「へ?は、はい!どうぞ!」 シリルは音を立てずに椅子を引き、カミールの隣に座る。カミールはこれまでに無いほど近い距離にシリルがいることに困惑していた。 (えっ、えっ、どういう状況なんだこれ?誰か説明してくれないこの状況。なんでなんで団長が僕の隣に??なんで??えっ、なんで??) きっと今の自分は真っ赤な顔をしているだろうと思いながら、カミールは暴れまわる自分の心臓に落ち着け落ち着けと念を送った。敬愛する相手がこんなに側にいては落ち着くものも落ち着かない。けれどこんな近くにシリルが来ることなど滅多に無い。動揺と、緊張と、喜びとがない混ぜになってカミールの頭の中をグルグルしていた。 「随分真面目なんだと思ってな」 「……?あっ、じ、自分がですか!?」 「そう固くなるな。確かに私は君の上官だが、今はプライベートだ。そこまでする必要もあるまい」 「そ、そう、です、ね……?」 「何故疑問系?」 「あぁっ!すみません!その……団長がこんなに近くにいらっしゃるのは……初めてだったので……」 ダメだ、とカミールは頭を抱えた。絶対顔が赤いと思いながらも感情が湧き上がるのを止められない。まるで間欠泉のように熱く噴き上がるような思いが溢れて止まらない。貴方に憧れてるんです、貴方のような騎士になるのが夢なんです。そう言いたくてもなかなか言えなかったツケがここにきて一気に込み上げてくる。 「ブラウン、大丈夫か?」 「はい……だ、大丈夫です……」 「ならいいんだが……」 シリルは何か言いたかったようだが、カミールの照れてしどろもどろになる様子を見て言葉を飲み込んだ。何か言えばまた動揺させてしまうだけだろうと思って。 「その……薬学の本を読んでいたんです……」 なんとか軌道修正しようとカミールが言った。シリルが「ほう」と感心したように返事をする。カミールはキョロキョロと辺りを見回し、図書館の中に自分たち以外誰もいないのを確認してからバッと本を広げてシリルに見せた。シリルはペラリと一枚捲ってみてから目を丸くする。 「相当難しい内容じゃないか」 「ずっと読みたかったから借りて読んでたんですけど、宿舎で読んでたら『そんな本読んで楽しいのか?』なんて言われてしまって……でも僕は読むのがすごく楽しいんです!だから、今はこうして借りずに図書館で読むようにしてるんです。誰にも邪魔されませんから」 「その気持ち、よくわかるな。私も休憩時間を惜しんで鍛錬をしていたら『ずっと剣ばかり振って楽しいのか?』と言われた。余計なお世話だよな」 シリルが肩を竦めて笑う。カミールにはその微笑みが、とても美しいものに見えた。青い瞳が真っ直ぐにこちらを見つめて笑っている。それが奇跡のように思えてならなかった。思わず見入ってしまうほどに。 「それで……なぜ君は薬学の本を?」 「あっ、それなんですけど……僕、騎士になろうと思う前は魔法医学官を目指していたんです」 魔法医学官とは文字通り魔法を駆使して医術を施す者の事である。魔法の才だけではなく、人間の体に関するあらゆる知識を習得していないとなるのは非常に困難な、しかし人々からは尊敬される仕事だ。 「魔法医学官か。それはまた難しい役職だな」 「けど僕ってば、全く魔法の才能が無くて……でもかと言って他になりたいものも見つからなくて……そんな時に、団長を見たんです」 「私をか?」 「はい!」 カミールの目は輝いていた。人々は地味だと言う茶色の瞳はまるで子どもの目のように生き生きとしている。シリルはその瞳から目を逸らせなくなった。あまりにも彼が純粋だったからだ。 「五年前、まだ団長に就任したばかりだった貴方を見たんです。若くして団長になった貴方を見て、僕はすごく驚いたけど感銘を受けました。そのときに、あの人のようになりたいと思って……その日の内に入団願を出しました」 「五年前と言うと……あれか、私の初めての公開訓練の日か」 「そう!それです!あれを見て、僕は騎士になりたいと思ったんです。あんな風に強く、高潔で、何より、カッコよくて……なんて言うと、子どもっぽいですけどね」 カミールは恥ずかしそうに頭を掻いた。自分の影響で騎士を志す者が少なくないことを耳にしていたシリルだったが、こうして本人の口から具体的に話を聞くのは初めてだった。 「けど、騎士になっても魔法医学官の事も諦めきれなくて……。魔法は使えないけど、それなら騎士としても役に立てる医学の事をもっと勉強しようって思って……中でも面白かったのが薬学だったんです」 「だから薬学の本をよく読んでいる、と」 今時珍しい、とシリルは思った。この国から戦乱が無くなり、騎士というものは身分が保証されるだけの役職として形骸化し始めている。現に騎士であることを振りかざし、職権濫用をしている者が出てくる始末だ。シリルはそういった者に対して注意を促し、時には本人に代わって謝罪をすることもあった。 しかしカミールは違う。自分に憧れてなどと聞くと恥ずかしいが、彼は騎士としての本分をよく理解し、その上自分の好んでいる分野を現状に活かせないかと考えているのだ。 「君は立派だな。皆の手本にしたいくらいだ」 「そ、そんなことありませんよ!僕はただ、好きでやってるだけなんですから……」 「それが良いことなんだ。……これからも頑張ってくれ、期待しているよ」 そう言うとシリルは席を外し、どこかへと去っていった。カミールはさっきまでの出来事が現実だったことを噛み締めながら、彼の背中を見つめた。 続く

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