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第12話
「ここを広く残したのは、音楽隊の発表やダンスにも使えるようにだ。ここから新しい文化を発信していく。ダンスはしたことがあるか?」
「あるわけないだろ……ッ」
「じゃあ教えてやる」
「また、そうやって……!」
「一緒に踊るんだ。見物するだけじゃないんだから、いいだろう?」
龍郷はしおんの言葉をくみ取って、自分が言ったことをちゃんと聞いていたと伝えてくる。
ずるい。
この男はずるい。誰にも顧みられることなんてなかった、それでいいと思っていたしおんの心を揺さぶってくる。
「こちらの手を握って、もう片方は俺の腕のこの辺りに乗せる」
龍郷は、あくまで一方的な物言いをあらためる気はないらしい。躊躇っていると、脇の下から龍郷の手が背中に回り、肩のつけ根辺りを支えた。自分でも滅多に触ることのないそんな箇所に触れられると、ぞわりと不快感のようで快感のような言葉にできない感覚が、肌の上を腰の裏まで滑り落ちていく。
メッセンジャーボーイの白い制服は上等な厚い生地でできていて、まさか背中がそんなふうに痺れているなんて気づかれはしまいが、妙に緊張した。
「動きに合わせろ」
固くなってしまっているところをぐい、と抱き寄せられる。
と思ったのは錯覚で、これがダンスとやらの基本の動きらしかった。腕とも肩とも言い難い絶妙な位置に添えられた手は、なるほどこちらの動きを制御しやすいらしい。
に、してもだ。
「ち、近い」
「ん?」
「顔が」
「そういうダンスだからな。タンゴ。日本ではまだあまり普及していないが」
この男、つくづく新しい物が好きらしい。しおんの戸惑いなどお構いなしに、説明を続ける。
「足は俺がこうしたら、おまえが絡ませる。顔は反らすが首はそらさない」
「わかんねえ、よ」
「もっと深く組んで。――よし、一度回ってみるぞ」
「ちょっと待――」
自分の体がどうなっているのかもわからないまま、気づいたら背中を大きく反らされていた。
倒れてしまう、と思った瞬間、深く絡み合った指で支えられる。
見下ろす龍郷の顔は、人の悪い笑みに彩られていた。
「――おまえ、わざと」
ぎりぎりで転ばないよう脅しをかけたんだろう。
「ワルツはパートナーを支えるが、タンゴは支配する踊りだからな」
「ああそうかよ!」
いかにもこいつが好みそうな踊りだ。腹立たしく思いながらも、実際龍郷に身を任せていると、それなりにダンスらしきものになるのが不思議だ。
一緒に倒れこみながらそう愉快そうに言う龍郷は、幸いしおんがなにか恐怖のようなものを感じて指を解いたのだとは気がついていないようだった。単に体勢を崩しただけだと思ってくれているならそれでいい。しおん自身、そう思っていたかった。
この豪奢な店の王たる龍郷は、床に仰向けになったまま起き上がろうとしない。愉快そうに微かに乱れた息を整えながら、星空の降ってくる高い天井に手を伸ばした。
不思議なことに、奴が手を伸ばして掴もうとしているものは、天井よりもっとはるかに高いところにあるものなんだろうと、わかってしまった。
龍郷は驚くほど無邪気に訊ねる。
「ここにおまえの歌声が響くんだ。最高だと思わないか?」
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