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まずは胃袋から3
★
それから一週間後。
「なあ、俺幸せ過ぎて死ぬのかもしれない」
エリカちゃんの店に遊びに行った俺は、開店前のカウンター席に座り、最近のユキについて語って聞かせていた。
エリカちゃんは開店前の忙しない時間に現れた俺に、嫌な顔を隠しもしないけど話だけは聞いてくれる。
「まーぁ、ノロケちゃって。もうお腹いっぱいよ」
「俺も物理的にお腹いっぱい」
この一週間、ユキの世話焼きは加熱して、俺はまるで空中にフワフワ浮かぶ綿毛のような気分だった。
ユキはそうと決めたらとことん尽くすタイプのようで、軽薄なアホヅラからは想像もできないほどだった。
二日前くらいからは、食後にデザートがつくようになったのには、本当に驚いた。驚き過ぎてしばらく声も出なかった。
ユキが最初に作ったのは、レンジで簡単にできるマグカップのプリンだったけど、味は聞かないでくれ。
「太るわよ」
「それは無い」
「わかってるわよ!アンタ割とよく食べる癖に、昔から標準体型より細いわよね」
「エリカちゃんはエリカちゃんになってからデ……ふと……大きくなったよな」
「それもうハッキリ言ってんのといっしょじゃない!!そしてホルモン注射のせいよ!!敢えてやってんのよ!!」
オカマって大変そう。だけど努力しているという点で、生きた屍みたいなニートの俺よりすごいと思う。尊敬するぜ。
「こっからが本題なんだけど」
俺は話を変えた。エリカちゃんが眉根を上げて嫌な顔をしながらも、手を止めて口も閉じた。
「色々やってくれんのはいいんだが」
「?」
「最近全くヤッてない」
「あら」
真剣に家事をこなしてくれるのはいい。大歓迎だ。
でも、それと同時に、ユキは全く手を出して来なくなった。
「この俺が!一週間も!ケツになんも入れてない!」
「大きな声で言う事じゃないわよ!!」
「イテッ」
頭を叩かれてしまった。
店の従業員である二人のオカマが、濃いメイクを直しながらクスクスと笑っている。
「なあエリカちゃん、フリーダムウィーク終わったけど、今度は何ウィークが始まったんだと思う?俺そろそろお尻使わないと縮んじゃいそう」
「もともと縮んでるの!正常に戻ろうとしてんのよ!!」
「ずっとユキの方から手ェ出してきてたから、今更なんて言って誘やいいんだ?つか、もう俺にそんなの求めてないんかな」
だったら出てって欲しいと、思う俺は歪んでる。
落ち着きなくタバコを弾いていると、従業員の一人、マイコちゃんが言った。
「お尻慰めてくれる人くらいいるんでしょー?そっち行けばいいじゃない」
確かに。と、今までの俺ならすぐにでもスマホをとりだしていただろう。
だが、
「んな事したら、今度はマジでヤリ殺される」
キレたユキなら、俺が死んでも最後までヤリそう。ちょっと背筋がゾクゾクした。
「そんな風に見えないんだけどなぁ。超イケメンだし、それでヤリ目じゃないってことでしょー?」
「マイコちゃんはユキのホントの恐ろしさを知らないんだ」
「えー?じゃあアタシも教えてもらおっかな?マキちゃんに飽きたんならアタシんとここないかなぁ」
やれやれ、これだからオカマは。
……いや、もしかして他に好きなヤツでもできたのか?
だから俺には手を出さなくていいように、家事やって貸し借りなしのつもりなんだろうか?
だったら本当に出て行けよな。勘違いしてる俺が惨めになる。
「ちょっとマキちゃん?」
あーヤベェ、付き合ってもないのにフラれた気分だ。
「シュウちゃん!!」
「ん、何?」
気が付けば、エリカちゃんが心配そうに俺の前で手を振っていた。
「呼んでも返事ないからどうしたのかと思ったわよ…」
「考え事してた」
「考える頭もないんだから、あんまり悩まない方がいいんじゃない?」
確かに……
「あんたの良いところは、おバカなとこなんだから、いつもみたいに愛嬌振りまいて正面からおねだりすればいいのよ」
「俺に愛嬌なんてないが」
今までそんなこと言われたこともない。というか、セックスに持ち込むのに愛嬌が必要と言われたら、俺は全身全霊で否定する。
男女間であっても、可愛いだけの女より雰囲気を盛り上げてくれる女の方がいいだろ?逆もまたしかりだ。
俺はその技術を磨いてきたつもりだ。自分のためでもあるが、これについては自信がある。
「じゃあもう愛嬌とかどうでもいいから、ちゃんとはっきりと、おねだりしてみなさいな。そんで、ちゃんと気持ちを言うのよ?聞いてばかりはダメ。アンタも言わないとね」
エリカちゃんは呆れたように言う。その口調は、ガキに言い聞かせるみたいだ。エリカちゃんからすれば、俺は26にもなってまだまだガキなんだな。
「わかった」
そう答えたと同時に、店のドアが開いた。
「マキ、ここにいたのか」
振り返るとユキがいて、走ったのか肩で息をしている。そういえば、ユキに何も言わずに出てきた事を思い出した。
「ごめん。つか、せっかくスマホ買ったんだから使えよ」
少し前にユキのスマホを買ったから、連絡ならそれでこと足りるはずだ。
それなのに、ユキは暑い夏の夕陽の下を、俺を探して走ってきたようだった。
「あー、そういやスマホあんの忘れてた。次から連絡してから迎えに来るよ」
「迎えに来なくてもいいのに」
そういうと、エリカちゃんがまた俺の頭を叩いた。顔を見ると、怖い顔で俺を睨んでいた。
「えっと…その、迎えにきてくれてありがと……」
と言うのが正解か。
するとユキはフフッと笑って側までやって来ると、俺の腕を引いた。
カウンターの椅子から立ち上がると、近くにユキの顔があってドキリと心臓が跳ねる。
「さ、帰ろうぜ。今日の晩飯はお前の好きなハンバーグな」
「なんでハンバーグが好きだって思うんだよ?」
「ガキだから」
「お前同い年だろうが!?」
「えー?そうだっけ?マキが可愛いからつい歳下と思っちゃうんだよ、悪りぃな」
やっべぇ目眩が。ユキの笑顔が眩し過ぎて頭がクラクラするぜ……
「好きだけどな、ハンバーグ」
「だろ?オレはマキのことならなんでもわかるんだって」
「んなワケねぇだろ」
言い合う俺たちに、エリカちゃんがキレた。
「ノロケなら外でやってちょーだい!!」
店舗清掃用のホウキを振り上げて、俺とユキを野良猫でも追い払うように、シッシッとやる。
俺たちは仲良く手を繋ぎ、夕暮れのオレンジの空の下をアパートへ帰宅した。
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