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アパートの隣人1
◇
ドタァン!!
夜中、激しい物音がした。隣の部屋からだ。ぼくは手を止めて時計を見た。
2時前だ。普通の人なら、こんな時間に大きな物音は立てない。それが集合住宅なら尚更。
また激しい物音がした。まるで、熊でも暴れているんじゃないか?と思いながらも、ぼくは気にせずにイヤホンをつけて音楽を聴くことにした。
明日、というか今日が大学のレポートの提出期限だった。基本的に真面目な性格をしていると言われるが、ウッカリすることもある。
そんなぼくの名前は三宅智樹 。二十歳になったばかりの大学二年生だ。
某有名国立大学に通っている。
二十歳になると同時に、念願の一人暮らしを許可してもらい、大学からは少し離れているが、この安くてボロい城を手に入れた。
そして三日目の深夜。
隣の人の気配を、この時初めて感じたのだけど、ずっと静かだったから、急な物音がとても気になった。
どんな人が住んでいるのかは知らない。一応挨拶にも伺ったが、留守なのか居留守なのかわからないが誰も出てこなかった。
こんな安いボロいアパートに住んでいるのだ。大学生かもしれないし、そうだったら仲良くなれるといいなぁ、なんて、この時は淡い期待に胸を膨らませていた。
大学生は社交性を高める時期である。様々な人との出会いが、今後の人生を豊かにする。
大人がそういうのだから、ぼくはその通り、大学生の間に様々な出会いを経験したいと思う。
とにかくぼくは、新しい環境をめいいっぱい楽しもうと思っていた。
そう考える、一人暮らし三日目の深夜だった。
◇
朝、大学へ行くために部屋を出ようと扉を押すと、ドカッと大きな音を立てた。
首を傾げながらも、半分ほど開いた扉の隙間から外に出る。
「え…?」
隣り合った扉と扉の間に、人がいた。裸足の足を投げ出し、力のない腕をだらりと垂れ下げ、扉と扉の間に背を預けたまま動かない。
しかもTシャツにパンツのみという、ヤバい格好だった。
「あの…」
死んでる?と思いながらも、一応声をかける。いや、死んでいたら大問題だけど、上下する胸を見るに生きてはいる。
じゃあ寝てるのか。
夏場とは言え、一体いつからここで寝ているのだろう?
「起きてください!」
「ん…」
黒い艶やかな髪は柔らかそうで、その髪の合間に見える白い肌はとても同じ男だとは思えない、なんとも言えない気分にさせる。
端的にいってエロい。
「ちょっと!起きてください!!」
肩を揺さぶると、揺れた髪の間からこれでもかというほどピアスだらけの耳が見えた。
痛そう。というか、この棒どうなってんだろう?繋がってるのかな?などと、持ち前の好奇心でもって、耳を凝視していると、男がふと顔を上げた。
寝ぼけているのか、そもそもそういうものなのか、虚な目がぼくの顔を捉える。
「だれ?」
「隣人ですけど」
「ああ、そう、お隣さんね」
聞いておいて全く興味なさげだった。
「っ、イテェ…」
軽く伸びをして、男は顔を歪めた。そりゃ痛いだろうとぼくは思う。なぜなら、男の右の頬にはアザがあり、唇の端も少し切れているからだ。
「どうしたんですか?」
夜中の物音から察するにケンカなのだろうけど、できれば巻き込まれたくない。
「恋人に殴られた。そんで追い出された」
「…DV、ですか」
最近はそう言った話もよく耳にする。ただし、加害者は男で、被害に遭うのは女性であることが多いが。
このピアスだらけの男の彼女は、人の顔面を殴れるほど強いようだ。あと、夜中に結構な物音を立てられる女性でもある。
「DVってのは、合意の上ならDVとは言わないのか?」
「え?」
急になんの話だ?
「だから、殴ってもいいって言ったらDVにはなねぇの?」
「ま、まあ、多分そうだとおもいますけど。でも進んで殴られたい人なんています?」
「いる」
それもそうか。世の中には人の数だけ趣向があるだろう。なら、殴られたい人もいるか。
「だからさ、このこと誰にも言わないでくれよ」
「ああ、なるほど。わかりました」
要するに、これが本当にDVだったとしても、この男は合意の上だから通報したりするなよ、といいたいらしい。
「でも一応手当てくらいさせてください」
「いらねぇよ」
「ダメですって。口元血が滲んでます。もし何かに感染でもしたら大変ですよ」
そう言うと、男は急に目を見開いた。
「それはヤバい。感染って怖いよな、特にちんこの」
「は?」
「いやなんでもない」
この男、頭も殴られたのだろうか?
「とにかくうちにどうぞ」
「あ、ああ、ありがと」
ぼくはその男を連れて、部屋へ引き返した。
男をベッドに座らせて、消毒液を用意する。それを持って男の元へ戻ると、改めてその顔を見た。
色っぽい人だなぁ、と思った。部分部分はしっかり男なのに、全体的にみると少し中性的にも見える。
「ジロジロ見てんじゃねぇよ」
「あ、すみません」
「まあいいけど。つかお前名前は?」
「三宅智樹です」
「大学生?」
男は部屋をチラチラ見ながら言った。壁際の本棚には、社会学の参考書などが並んでいる。
「そうです。近くの国立の」
「ああ、あそこね」
ふーんと、また興味なさげだ。
「お名前、伺ってもいいですか?」
「マキ」
「マキさん」
微妙な空気が流れる。会話が続かない。無愛想というよりは、なんにも興味がなさそうな印象を受ける。
「ちょっと痛いかもしれませんが、我慢してください」
一応そう伝え、口元の傷の手当てをする。マキは表情ひとつ変えず、されるがままだ。
最後にひとつ絆創膏を貼ると、マキはまた小さな声で「ありがと」と言った。
「大学、間に合う?」
「え?あー、気にしないでください。本当はお昼からなんですけど、ちょっと本屋に寄りたいなと思っただけですから」
これは事実だ。気を遣ったわけじゃない。
「そっか。ならいいや」
マキは立ち上がると、そのまま部屋を出て行こうとする。
「あの、もし耐えられなくなったら、うちに逃げてきてもいいですから」
なんて、思わず言ってしまった自分に驚く。巻き込まれたくはないが、困っているかもしれない人を放っておくこともできない。
「ふはっ、んなことしねぇよ。つか、俺がこんなカッコでこの部屋に来たことアイツに知られたら、お前殺されるぜ」
ええぇ…?
「じゃあな」
ポカンとした表情のぼくに、マキは笑顔で手を振って部屋を出て行った。
どうやらマキは、相当ヤバい彼女と付き合っているらしい。
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