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アパートの隣人2
◇
「と、いう出会いがありまして」
「なにそれ超エモい!!」
いや、今の話のどこにエモさがあったのかな?
大学構内のカフェテリアで昼食をとりながら、今朝の出来事を友人に語り終えたところだった。
「ねぇ、その人ってどんな感じ?」
と、ワクワクした顔で言うのは、泉芽衣 だ。大学で出会った唯一の異性の友人で、同じ趣味を共有する同士でもある。
「えっと、髪は黒で…」
「ちょっと!輪郭から言ってよ!」
「ごめん、細身で顎がシュッとしてて、鼻もわりと高い。目は二重だけど大きくはなくて」
と、ぼくが言うのにあわせ、泉は取り出したタブレットと専用のペンを動かしていく。
「髪は耳にかかるくらいで、ちょっと癖っ毛だったかな。あ、そうだ、その耳がね、ピアスだらけですごかった」
「ヤンキー!!」
「泉ちゃん好きだね、ヤンキー」
「うん!なんかこう、エロいじゃん、ヤンキー受け」
ぼくは、あははと苦笑いを溢した。
そう、ぼくと泉ちゃんの共通点は、お互いにかなり腐っているというところだ。
知り合ったのは大学の入学式。泉ちゃんはぼくの隣の席で、学長の長いあいさつを完全に無視して、スマホでBLノベルゲームをやっていた。
思わず声をかけたのがきっかけだった。
「できた!こんな感じ?」
しばらくして、泉ちゃんがタブレットの画面をぼくに見せる。そこには、二次元的にデフォルメされてはいるけど、今朝会った隣のマキさんそっくりだった。
「上手いね、いつ見ても」
「そうかな。全然自信ないんだけど。でも、やっぱり描くのは好きなんだよね」
泉ちゃんは同人誌を作ったりもしている。将来はBL漫画家になりたいらしい。
「つけ足してもいい?」
「ん、いいよ」
そう言って、泉ちゃんがペンを貸してくれる。それを受け取って、赤色を選択したペンを動かす。
「こうすると、よりマキさんっぽい」
口元に足した赤を見て、泉ちゃんが悲鳴を上げる。
「きゃああああっ、強引な情事の後って感じで最高!!」
「やめてよ、みんな見てるよ?」
「ああ、尊いのう……」
確かに、と、実はぼくも思っている。でも、
「マキさんは確かに受けかもしれないけど、世間の受け顔の人間がみんな同性と付き合ってるとは限らないよ」
「それはそうなんだけど。妄想に罪はないでしょ」
唇を尖らせる泉ちゃんは結構可愛いけれど、頭の中はどうしようもない。手遅れだ。
泉ちゃんは自分で描いた絵をフォルダに入れた。後でちゃんと色をつけて完成させるらしい。
「最近はどんな絵描いてるの?」
「えっとね、四年生の先輩をモデルにしてるんだけど
……」
と、ひとつのフォルダを開いて見せてくれた。
「あたし、黒髪のネコが好きなんだけどね、タチはやっぱり金髪よね」
「わかる……」
フォルダ内の絵は、ほとんどのカップリングがそんな感じだった。
「そう、それで、その先輩なんだけど、今思うとちょっとマキさんの絵に似てる」
「へぇ」
「ってもあたしがまだまだ下手くそで、どうしてもキャラが似ちゃうんだと思う。もっと上手くなりたいなぁ」
そんな感じで、大学は平和に終わった。
午後6時過ぎ。アパートに帰宅すると、ちょうど出かける前のマキに出会った。
ここに越してきてずっと、大学終わりはバイトに行っていたからか、マキが出かけるところを初めてみた。
「よお…誰だっけ?」
「三宅智樹です……」
マキは玄関ドアを開けたまま、気さくに声をかけてきた。名前を忘れられていることは、まあ気にしない。
「トモちゃんね、トモちゃん」
「やめてくださいよ」
「いいじゃん。俺は店の客にマキちゃんって呼ばれてるぜ」
おっと?店、とは?
この時間に出かけるのだから、ホストとか、飲み屋とかだろうか?客と気さくに名前を呼び合えるような店だとしたら、それは限られてくる。
「これからお仕事ですか?」
「そ。まあ、俺ニートだから、あんま働きたくないんだけどな」
「そうなんですか」
「でも金くれるから、しゃあなしいってやってんの」
なんて気ままな人なのだろう。普通はお金のために、みんな死に物狂いで働いているのに。ニートだと公言した上でしゃあなし働くとは、なんか色々破綻してる。
「トモちゃんは二十歳超えてる?」
「はい」
返事を返すと、マキはポケットから財布を出し、一枚のカードを取り出して渡してきた。
「んじゃ、また遊びに来いよ。一杯くらいならタダで出してやるぜ。それ以上のサービスは、金額によるけど」
受け取ったカードを見る。オカマバー『エリちゃん』と書かれてあった。
「んじゃな!」
マキはそれだけ言うと、玄関のドアを締めて歩いて行ってしまう。
なんだ、あの人……
あれでそっちの人だったのか?
脳内で、マキが煌びやかなドレスを着て、オネェ言葉で接客している様子を思い浮かべ……思わず頭を振って追い払う。
違う気がする。でも、渡されたカードが様々な疑惑を生む。
これは、明日泉ちゃんに話す必要がある。
ぼくはとりあえず考えないようにして、自分の部屋へ入った。
◇
「という、ことが、ありまして……」
「ネタの提供、ありがとうございます」
「い、いえ、こちらこそ」
ペコリと頭を下げ合う。午後の空き時間、いつものカフェテリアでのことだ。
「DV被害を受けながらも健気に彼氏を守るマキさん。その彼氏の為に仕方なく夜のお店で働くマキさん……次の即売会はこれでいくわ」
「くれぐれも、法に触れない程度の引用でお願いします」
「わかっております」
と、冗談はここまでにして。
「オカマバーってどんなところだと思う?」
「その名の通りなんじゃないの」
泉は可愛らしく小首を傾げ、取り分けたパンケーキを一口、ぼくの口に持ってくる。「お礼です」と、泉が言うので、素直に口を開ける。
ちなみにこの大学のカフェテリアは、メニューが充実していて広いので、いつでも学生でいっぱいだ。
「住所はわかるんだけど、行く勇気がない」
「同感です」
「だよね」
「うん」
結局ぼくたちは、隣人の非日常感に興味はあるけれど、自ら進んで飛び込んでいく勇気はないのだ。
二十歳も超えているのだから、別に夜のお店に行くことに問題はないけど、そのアングラーな世界に、果たして一般人が興味本位で踏み込んでも良いのかがわからない。
もらったカードを摘んで、どうしようかと思っていると、後ろから伸びてきた手がカードを掴んでさらっていった。
「あ」
上を向くと、そこには見知らぬ学生がいた。黒髪の童顔の男で、大きな瞳がこれまた中性的な印象をもたらしている。
泉の好きそうな顔だな、と彼女を見ると、目を見開いて、ついでに口も半開きにして、時が止まっている様子だった。
「どうしたの、このカード?」
その学生が楽しげに笑みを浮かべて聞いてくる。ぼくはまた上を向いて答える。
「隣人に渡されまして」
「隣人?」
「はい。よく知らないんですけど、昨日、アパートの廊下で怪我をして寝ていたので、手当てしてあげたんです。多分、そのお礼に酒を奢るといわれまして」
ぼくはその学生が後輩なのか、先輩なのかもわからないまま敬語を使った。というか、この世の大抵の人間と話すときには敬語を使う。癖のようなものだ。
「ふーん。行くの?」
「ただ今検討中です」
その学生は、またニコリと人の良さそうな顔で笑った。
「一緒に行こうか」
「え?」
思わず耳を疑う。この善良そうな学生が、オカマバーに行こうと言い出すなどと思わなかったからだ。
「ちょっと待ってね」
「あ、はい」
そう言って、その人はスマホを取り出すと何処かへ電話を掛ける。
「ユキさん、今日ヒマですか?」
女性かな?と思ったけど、人の電話の内容を盗み聞きするのもな、とできるだけ意識を別のものへ向ける。
「と、トモくん」
「ん?」
泉がぼくの袖を引いた。
「昨日あたしが言ってた先輩」
「え、どこ?」
「トモくんの後ろ」
ああ、と納得した。この、話しかけてきた人が、どうやら最近のお気に入りの先輩らしい。なるほど、受けと言われればそうかもしれない。
「名前は?」
「知らない」
そこで、先輩が通話を終えた。
「今日、19時に駅前で待ち合わせでもいい?」
「は、はい」
「じゃあそういうことで…一応連絡先交換してもいい?」
「どうぞ」
と、通話アプリでお互いの連絡先を交換する。
「楽しみだね」
「あ、はい……」
じゃあね、と言って先輩は去っていく。途中、何人かの友人と手を振ったり挨拶したりと、どうやら人気者らしかった。
「で、先輩の名前、なんていうの?」
泉が興味津々と聞いてくるので、ぼくはスマホに映し出された先輩の名前を見た。
「悠哉、だって」
「悠哉先輩。名前、カッコいいね」
「ぼくとは大違いだ」
「トモくんもいい名前だよ?責め様っぽい」
「やめてよ、ぼくはあくまで創作が好きなんだから」
「でも肉棒がついてるじゃん。羨ましい。あたしは無いものは勃たないもん」
誰か泉の口を塞いでくれ。
などと思いながら、またも時間は流れていった。
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