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学祭1
◇
家庭教師のアルバイトを終え、アパートに帰宅したのは21時を回っていたが、いつも飲んだくれているお隣の住人はきっと起きているだろうと思って、ぼくは気軽に呼び鈴を押してしまった。
出てきたのはユキ。パンツのみのラフ(これをラフと言っても良いかはわからない)な格好で、手には物騒な物を持っていた。
「……すみません、出直します」
「なんで?」
ユキはニッコリ笑顔で、それがまた手に持った物との対比を生み出し、はっきり言って恐ろしい。
「お邪魔しました……」
クルッと回れ右をして、そのまま帰ろうとしたぼくの腕を、ユキの大きな手ががっしり掴む。
「マキに用事なら、直接伝えてやれよ」
「いえ…ユキさんにでも大丈夫なんですが……あの、本当に合意ですか?」
「面白いこと言うよね、トモちゃん」
そう言う割に、ユキの目だけは笑っていない。
少しの沈黙。ぼくは身がすくんで動けなかった。
「とっ、トモちゃ、ん!?たす、助けてっ!!!!」
そんなぼくの耳に、マキの悲痛な叫びが届く。
「はあ…ちょっと待っててくれる?」
「あ、はい……」
逃げようかな?とも考えた。でも、狭いワンルームでいやでも目に入るその光景に、顔を背けることができないのも事実で。
「お前なに嫌がってるフリしてんだよ?」
「フリ、じゃなっあぁ!?イタ、イタぁ……っ」
なんというか、ぼくは今、殺人の現場に居合わせた気分だった。
「も、ちゃんとっ、ローション使えって、言っただろっ!!」
「うるさいな…」
「痛いんだって!!!!」
「黙れって」
「うぁっ」
バシッと、すっごく気さくな感じで、ユキがマキの頬を叩く。
その、叩かれたマキは、ベッドの上の柵に凭れ、同じ側の手首を足首に繋ぐタイプの拘束具で動きを封じられた上で、男性器の先に金属の謎の器具をはめられている(申し訳ないけどやっぱりがっつり見てしまった)。
ぼくは思わず自分のそれが縮こまるのを感じた。そんな小さな穴を左右に無理矢理拡げる行為に、この人たちは一体なにを感じているのだろうか……
挙句に叩かれて嬉しそうな顔をしているマキにも、ユキに対するものと同じくらいの恐怖を感じる。
「マキ!マキ!」
「何だよっ!?」
「何ミリになったか測ってい?定規ある?」
「死ね!!!!」
騒がしい二人とは対照的に、ドンドン心が冷えていく。はやく帰りたいな。
「もういい?入れていい?」
「うるさいって…つかもっかいちゃんとローション使えよ?それ、長いし太いんだからさ」
「わかった、ちょい待ち」
ユキが先の細くなったローションボトルを取り、それを……恐ろしいことになんの躊躇いもなく尿道に突き刺した。
「いひゃああっ!?ユキ、ユキ!!誰が直接ブチ込めっつったよアホ!!」
「チッ…ガタガタ文句ばっか言ってんじゃねぇよクズが」
と、心無い暴言を吐きつつ、ユキがずっと手に持っていた(共にぼくを迎えてくれた)凶器……なんとなく分かってはいたけど(わりと多ジャンルのBLを愛読している)、尿道に入れるバイブを、ゆっくりマキの拡げられたそこに挿入。
「ちょ、待って、まっ!!あぁ…ぅ……奥きちゃああっ」
目を閉じたい。でも気になる。ぼくの腐って好奇心に溢れる頭は大混乱を起こしていた。
「ちんこってこんなに長いんだな」
ユキが飲み込まれていくバイブを眺めながら言う。ユキさん、そこはもうちんこの中じゃないですよ、と思うが、怖いので口には出さないでおく。
「もっ、奥来てるからぁ!」
「わかった!!」
嬉々としたユキが、容赦なくスイッチをオンにする。その瞬間、マキがビクビクと全身を震わせ、拘束具をガチャガチャ言わせながら仰け反った。
「〜〜〜〜ッ!!」
だらしなく開いた顎を、飲み込めなくなった唾液がダラリと伝う。
「やべぇ強にしちゃったけどまあマキだしいっか」
「ホントに大丈夫…ですか?」
どう見ても拷問だ……
「大丈夫大丈夫、ちょっとトんだみたいだけど、殴れば帰ってくるから」
「あ、ああ、そうですか……」
もう……本当に帰りたい。
「そんで、なんだっけ?マキに用だっけ?」
「あ、いや、もう、」
明日にします、と言う前に。理不尽な暴力がマキを襲う。
「オラァ、マキ!!」
「イッ!?」
「トモちゃんが、お前に用があるんだって!!」
「…ぁ…はぁ、はぁ……な、な?」
「しっかりしろよ」
「も、抜いて……し、ぬ……あぁっ!?ま、またイきそっ……んんんっ!!」
「うるさいよマキ。トモちゃんがさぁ…おいマキ?オレの話聞いてって言ってんじゃん」
ブンブン首を振って暴れ、なんとか強すぎるであろう快感から逃れようとするマキに、あくまで話を聞け!!というユキ。
トモちゃんが!とユキが言うたびに、なんだか罪悪感すら覚えてしまう。
ぼくはもう、この部屋の呼び鈴を押せそうにないや。
◇
『トモくん、あたしのお願いをおききいれいただけるでありましょうか?』
昨日の講義終わりに、泉がぼくにそう言ったのが運の尽きだった。
そのせいで、拷問現場に突入する羽目になってしまったのだが、一晩過ぎるとあの生々しい光景も幾分か緩和され、エライもんを見せられたなぁ、くらいに落ち着いている。
泉のお願いというのは、マキとその彼氏を、今度の土曜日に開催される大学の学祭に呼べ、というものだった。
オカマバー『エリちゃん』でのことを、泉にも話して聞かせたので、彼女は身近な同性カップルとしてマキとユキに興味津々だった。
ぼくがユキのことを、恐ろしいくらいの金髪のイケメン、と説明したのも悪かった。腐女子への燃料投下は、時に自分まで延焼することを忘れてはならない。
「それで、ふたりとも多分来てくれるよ……」
いつものカフェテリアで昼食を摂りながら、ぼくは泉に吉報を伝える。
「あああっ、感謝しますトモ様!!」
「でも、あんまり触れないであげてね。ただでさえ、デリケートなことなんだから」
「重々承知しております……でも、なんだかそれってイヤな感じだよね」
「ん?」
ぼくが首を傾げると、泉は悲しそうな顔をした。
「ちゃんと付き合ってるのに、好き同士なのに、周りの人を気にしなきゃなんないってツライよ。どんなBLマンガでもさ、隠さなきゃ、とか親に言えないとか…あるじゃん…そんなのツライよね」
確かに。ぼくはオカマバーか、部屋にいるふたりのことしか知らない。
あの二人が一般的なデートをするのも想像できないけど、生活するうえで二人でいることに支障はないのだろうか?
誰にでも親がいるし、家族もいるし、友達も、社会的繋がりのある人間は沢山いる。その全てとは言わないが、未だ多くの人に白い目で見られるのは、なかなかに辛い。
いつか全てのマイノリティが自信をもって生活できる日が来ると良いのに。
なんて、ぼくひとりが考えたところでどうにもならないけれど。
「大丈夫だよ、兄ちゃんそういうの気にしないから」
と、もはや馴染みになりつつある声がして、その人物がぼくと泉のテーブルに混ざった。
「悠哉先輩!!」
「こんにちは、泉ちゃん、トモちゃん」
ニッコリと微笑みを浮かべて、気さくに混ざってきた先輩。
知り合ってから良く話す様になったのだが、いつも笑顔が崩れないこの先輩は、なかなかにくえない。
「先輩もお昼ご飯ですか?」
「んー、僕はあまり食べないから、いつもお昼はコーヒーだけなんだ」
「お腹すきません?」
「大丈夫だよ」
確かにこの先輩が、コーヒー以外を手に持っているところを見たことがない。強いて言えば、オカマバーで酒を少し飲んでいたのみだ。
「それより、学祭に兄ちゃん呼んだの?」
「あ、はい。ぼくたちのサークルで、クレープ屋台をするんですけど、マキさん甘いもの好きだと聞いたんで……」
という、口実だ。
「兄ちゃん、来るって言ったんだ?」
「ま、まあ、一応…はい」
昨日の拷問中に一応文化祭の事を伝えるのに成功したが、イき過ぎて意識のはっきりしないマキに、ユキが無理矢理「うん」と言わせた感じではあった。
本人が覚えているかは、定かではない。
ぼくは返事を聞いてすぐに逃げ出したし、朝も運良く遭遇しなかった。
先輩は笑顔のままだったけど、一瞬眉がピクリと動いたのに、ぼくは気付いた。でも、それほど親しくもなく、他学部の先輩でもあるため、たいして気にも止めず、すぐに忘れてしまった。
「トモちゃんと泉ちゃんは、軽音楽部、だっけ?」
「はい!学祭のメインステージでバンドやるんですけど、先輩も観にきてくださいね!」
泉がここぞとばかりに先輩を誘う。
「なんとか時間作って観に行くよ」
「やった!頑張ります!」
本気で嬉しそうな泉は、先輩を恋愛対象として見ている。つい最近本人から聞いたので間違いない。
泉は可愛い。小柄で大きな瞳にフワフワのセミロングの髪が良く似合う、清楚な女の子だ。
中性的で整った容姿の先輩とお似合いだと思う。
「先輩はサークルとかって入ってるんですか?」
ぼくがそう聞くと、先輩は困ったような顔で答える。
「僕はなんにも入ってないんだ。兄の仕事を手伝う事も多くて、なかなか時間がとれないから」
「先輩のお兄さんって、」
「君たちがいつも話題にしてるのは次男だよ。長男はちゃんと仕事してる真面目な大人なんだ」
「そうなんですか」
ふう、と先輩がひとつため息を吐く。
「僕の兄は社長業務が大変で、僕にも仕事をさせたがる。ま、ここを卒業したら、どちらにしても兄の下で働く事になるからね」
「先輩のお家、大変そう……」
泉は悲しげな顔をしている。ぼくも少し先輩に同情した。好きなことができるのは学生であるうちなのに、先輩はそれも許されないようだ。
「そうでもないよ。それに、家に金があるってだけで、僕は他の人よりも恵まれているから」
嫌味のようにも聞こえるが、先輩にとっては自由の一部を捨てた対価なのだろう。その特権を利用する代わりに身を捧げていると、受け入れているような印象をうけた。
「さて、僕は帰るね。今日も兄のお手伝いをしなきゃならないから。ニートの兄ちゃんが代わりにやってくれるといいんだけど」
冗談めかしてそう言うと、先輩はヒラヒラと手を振って去っていった。
「裕福というのも大変なんだなと思う」
「そうねー。先輩、少し寂しそうだったし」
かと言って、ぼくらに何かできるのかと言われると、これもまたどうしようもない問題なのだ。
人それぞれなんだから、という言葉は、まあ、その通りなんだろうけど。
先輩に対する、人それぞれという言葉には、羨望や憧れ、同情が含まれるのにたいして、マキのような人にたいする人それぞれという言葉は、どうして世間に受け入れられないのだろう。
なんてまた、ぼくは本当にどうしようもないことを考えていた。
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