29 / 61
学祭3
★
「マキたん、たこ焼き買ってきたけど、食べるよな?」
「ん…ありがとユキたん」
と、俺はこれでもかという笑顔を浮かべる。で、感謝の印に、ユキの頬に軽くキスをして、その腕に自分の腕を絡める。
ユキはそんな俺の目を見つめて、優しく微笑むと、自然な流れで俺の唇を軽く塞いだ。
「もー、ユキたん!ダメ!」
「いいだろぉ、マキたん」
プンプン!とかやりあっていると、
「何してるんですか…?」
正気ですか?とも取れるニュアンスを含んだ声が、背後から聞こえた。
振り返るとトモちゃんが、感情の一切を押し隠したような顔で俺たちを見ていた。
「何って、ラブラブデート中だぞぉ!」
「そうだぞぉ!見てわかんないの?」
ユキがそう言って右手の人差し指を立てた。俺もそれをマネをして、言葉を付け足した。
「不気味……なんですけど」
「だよな」
「俺もそう思う」
俺たちが『ラブラブデート』を始めて、一時間ほど経った頃だった。
大学敷地内、門を入って正面の本館一階カフェテリア。その、テラスで、俺たちは乏しい知識を総動員して『ラブラブ』を演じていた。
途中、ラブラブってなんだ?と、お互いに思ったのがわかったが、ユキは勝負と言い出した手前やめようと言い出せず、俺は甘々エッチが諦められなくて、様々な疑問を抱えながら続けていた。
「カフェテリアのテラスで、チョコバナナを官能的に食べる同性カップルがいるという噂が……」
「おいマキ、そんな奴いたか?」
「俺は見てないぜ」
「……マキさん、口元にチョコ付いてますよ」
その瞬間、ユキが俺の顔面を殴った。
「ブッ!?」
「おいマキ、鼻血出てるぞ!」
この野郎!と思いながら、鼻の奥でツーンとする痛みと、ダラリと垂れ落ちる血を慌てて手で抑える。
誤魔化すために俺を殴るのはやめて欲しい。痛みで勃っちゃうのを、隠すのが大変だ。
「……本当に何やってるんですか」
トモちゃんは呆れ果てた顔で呟いて、
「保健室行きますよ」
と、俺とユキを、ザワザワするカフェテリアから追い立てた。
本館の中は、文化系サークルの展示物がある。普段構内にまで入れない物珍しさから、明らかに学生ではない年齢層や、他大学の学生が多く行き交う。
その合間を俺が歩くと、自然と道ができるのを(顔面血だらけの人間に、誰も関わりたいと思わない)気にしないようにして、俺たちは保健室へ向かった。
一階教務課の隣にある、小さな部屋が保健室だ。
トモちゃんが軽くノックをして、「失礼します」と言ってドアを開ける。
「どうしたんですか?」
ヤル気の無さそうな男の声が出迎える。そいつが保健室の先生だ。仕事用の椅子に座り、怪我人を見るでもなく、ただコーヒーを飲んでいる。
「友人が鼻血を出してしまったので」
「ああそう」
トモちゃんが説明するのに、男は興味なさげに答えた。
俺は勝手に近くのベッドへと座り、ユキがその辺にあったティッシュを持って俺の隣に座る。
「もう止まった?」
「ん…もうちょい」
自分で殴りつけておいて、心底心配そうな顔をするのだから、ユキはきっとサイコパスの才能がある。
「お前のせいで血だらけだ」
止血をユキに任せて、俺は真っ赤な両手でユキの顔を触る。微妙に乾いた赤い跡が、ユキの頬に二つ線を描く。
「やめろって。服に着かなくて良かったな。汚したら全裸で歩かなきゃなんなかった」
「なんで全部脱ぐ前提なんだよ」
そこにトモちゃんが無表情で言う。
「そもそも何してたんですか?」
「勝負だ」
「どっちがラブラブ甘々デートが上手くできるかの、勝負」
「くだらない……」
俺は時々思う。トモちゃんのこの、呆れた時の冷たい表情が堪らなく良い。その顔で俺をめちゃくちゃにして欲しい。まあ、ユキの前でそんなこと、言ったらガチで殺されるけど。トモちゃんが。
「おい、ここは神聖な怪我人の寝所だ。元気なら帰れよ」
はあ、と気怠げなため息を吐き、保健室の先生が俺たちを睨んだ。無造作に伸びた髪と、着崩したワイシャツがワイルドなおっさん先生。人の体調を気遣う職業とは到底思えない見た目をしているのに、これで看護師免許を持っている。
そいつは俺たちを見回して、あっ!と言う顔をした。
「修哉、か?」
俺は特に驚くこともなかった。部屋へ足を踏み入れた瞬間から気付いていたから。
「そ。久しぶりだな、先生」
俺が答えると、ユキとトモちゃんがキョトンとした顔をした。そんな二人をよそに、先生は勝手に楽しそうに話し出す。
「お前元気にしてたか?急に大学辞めて、もう6年経つのか…相変わらずファンキーな耳してんな」
「先生も相変わらずワイシャツもまともに着れないんだな」
「んなこと言うなや。昔はそんな俺の下でヒィヒィ喘いでたクセによ」
イヤらしい笑顔で言う先生。その瞳が、俺を舐めるように見つめる。
「悪いけど今はコイツと付き合ってんの。ユキの前で過去の事勝手に話さないで欲しいんだが」
後で痛い目に会う可能性がある。主に俺のちんこが。
固まってしまったユキを他所に、トモちゃんが声を上げた。
「あの、もしかしてマキさんが辞めた大学って、」
「なんだ?知らずに連れてきたのか?コイツ、この大学でクソビッチって言われて、教員全員に白い目で見られてたんだぜ」
教員全員にそんな風に言われていたとは、知らなかった。
「外でウリやってるとか、なんかそういう噂ばっかりでよ…試しに俺も誘ってみたら、簡単に股開きやがって。本当にクソビッチだったってわけ」
もちろんウリをやってる気はなかったが、結果的に金銭面が潤っていたのだから同じだろう。
「はいはい、もうそんくらいにしてくれ。俺だって別に、好きでこんなところ来たわけじゃないんだし、もう来ないから俺の事は忘れろ」
「んなこと言うなよ。せっかく再会したんだからさぁ、相手してやろうか?どうせまだやってんだろ?」
俺はうんざりしてベッドから立ち上がった。鼻血も止まったし、こんな所に長居は無用だ。あと、さっきから黙ったままのユキが気になる。
「今はコイツと付き合ってるって言っただろ!」
そう言ってユキの手を掴む。そのまま保健室を出ようと歩き出すと、ユキは大人しくついてきた。
トモちゃんも慌てて追いかけてくる。
部屋を出る前に、また先生が「寂しくなったら来いよ」と言ったけど、俺はそれを無視した。
近くのトイレでユキと並んで汚れた手を洗っていると、ユキが小さな声で言った。
「ほんとお前って節操なしだよな」
鏡越しの表情は、思っていたより不機嫌ではない。
「今更だろ」
「……なんで、大学辞めたんだ?ここ、簡単には入れないだろ」
自分の学歴をひけらかしたくはないから、偏差値がどうのこうのという話をするつもりはないけど、確かに、この俺でもそれなりに勉強はした。
「アニキが辞めろと言ったから、辞めた。お前のようなクソ野郎が行く所じゃないって。恥さらしに行くくらいなら辞めろってさ」
ギリギリで入試は通ったが、その後は落ち目もいいところだ。結局、ここのレベルについていけるほど俺は賢くはなかった。
ま、遊び惚けていた俺も悪いけど。
「そっか」
「ん」
ふと視線が合う。ユキの濡れた手が、俺の頬に添えられる。両掌で包み込まれるように顔を挟まれ、俺は視線を外すこともできない。
「またマキの意外な一面を知ることができて、オレは嬉しい」
「節操無しって、怒るかと思った」
「それこそ今更、だろ」
ユキの唇が迫ってきて、俺の唇を塞ぐ。ヌルリと侵入したユキの舌が、まるで味わうように俺の口腔内を舐め回し、思わず逃げる舌を追ってくる。
そんなキスをユキに仕込んだのは誰だろう?
ふと、そんな事を考えてしまう。俺にも色々な経験があるように、ユキにも沢山の相手との経験があるはずだ。
それを思うと、少しだけ悔しい。反対に、恩恵を受けられることにありがたくも思う。
「ん…んふ……」
そんなユキとする深いキスは、呼吸を忘れてしまうほど気持ちがいい。まるで、全部忘れろと言われているような気分になる。
糸を引いて離れた唇が愛しい。もっと、と疼く心を止められそうにない。
「オレはかわいそうなマキが好きだ」
「ホント歪んでんな」
「過去があるから、オレと出会ったって思えば、お前の今までは無駄じゃないだろ」
ものすごいこじつけだが、確かに大学を辞めて、実家を追い出され、ニートのパチンカスになってなきゃユキとは出会っていない。
アニキの望むままに生きていたら、俺は今頃実家の会社を手伝い、人形のような人生を歩んでいただろう。
まあ、無気力さでいえば今もそんな感じだが。
ユキは強引でめちゃくちゃなヤツだけど、もともと誰かに依存して生きてきた俺には、その強引さがとても居心地がいい。
「マキがイヤなら帰ろうか」
「……別に、イヤじゃない。せっかく来たんだし楽しもうぜ」
俺にとってここはイヤな思い出しかない場所だが、もう何年も前の話だし、それにユキは学祭を楽しみにしていた。
だから、俺が少し我慢をすればそれでいい。
そう思って言ったのだが、ユキは俺の顔を挟み込んだまま、ジッと視線を合わせてくる。
「…なんだよ?」
「本当に帰らなくていい?」
「はあ?」
しつこいな。いいって言ってんのに。
「マキ、本当のこと言って?」
「いや、だから別に大丈夫だって言ってんだろ」
面倒になってきた。なんだコイツ?
「勃ってるのオレだけか」
「おい!!帰ろうって、ヤりたくなったからかよ!?」
「もちろん」
思わずユキの頭を叩く。
俺の事を心配して言ってんのかと思っていたのに!!自分のちんこの為かよ!?
「お前は結局いつもそうだな。ちんこ基準で行動を決めるなよ」
「マキはちんこ基準で人を判断してる。お互い様だ」
「……さて、トモちゃん待たせてるし行こうぜ」
ユキの手を振り払って、俺はトイレから出てトモちゃんと合流する。
その少し後を、ユキが物欲しげな顔でついてきた。
ともだちにシェアしよう!