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学祭4
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トモちゃんのサークルが出すクレープ屋は結構人気があった。
というか、俺がこの大学にいた頃から、軽音楽部のクレープ屋は人気がある。なぜなら大学サークルの出す飲食屋の大半は、毎年流行を取り入れた謎の食い物を売り出し、奇をてらう一般人には受けないからだ。その中で、このクレープ屋はまともなものを出す。
「あああああっ、マキ様……麗しいです……」
「は?」
トモちゃんが作ったクレープを受け取ろうと出した右手を、隣にいた女子学生が両手でギュッと握ってくる。そのまま、ブンブンと上下に振られ、俺の思考が一瞬停止する。
「い、泉ちゃん、怒られるよ……」
「これで死ぬのなら本望ですっ!!マキ様…お会いしたかったですうううう」
俺は別に、どうでもいいのだが。隣のユキから冷気が漂ってくるような気がした。トモちゃんの表情を見れば、ユキが今にも怒り出しそうなのがわかる。
「ごめんね、キミ。これ、オレのだから、触らないで貰える?」
「はっ!!ご、ごめんなさい!つい、本物のマキ様だと思ったら手が勝手に……」
可愛い女子に向かって、ユキは容赦ないなあと思わなくもない。
「ユキさんって、兄ちゃんのことになると本当に恐ろしいよね。平気で人のひとりやふたり殺しそう」
そこに、いつもの如くニコニコ笑う悠哉が合流する。
「マキの為ならやってもいい」
表情を一切崩さず、言い切ってしまうユキはガチだ。俺は今後、人付き合いを考える必要があるな、と思った。
「その女子は大丈夫だよ、ユキさん。彼女、兄ちゃんとユキさんモデルにしてBL同人誌描いてるだけだから」
「はうっ!?ば、バラさないでくださいよう、先輩……」
「いいじゃん。この際公認もらいなよ。別にいいよね、兄ちゃん?」
「同人誌って何だ?」
俺がそう言うと、泉ちゃんとトモちゃんがキョトンとした顔をした。
「ほら、いいって」
「どこをどう聞いたら今のが許可になるんですか……」
呆れた表情でトモちゃんが言うのを、悠哉はシレッと流した。
「マキはそう言うの詳しくないんだ。コイツ漫画も読まないんだぜ」
「別に興味ないし」
幼少の頃から、俺の周りにはそういった娯楽は無かった。今でも特に興味を抱くこともない。
「そう言うわけで、オレがかわりに許可してやる。ドエロイマキを期待している。できたものはオレに提出するように」
「は、はいっ!!ご期待に添えるよう、気合入れて妄想しますっ!!」
「よろしい」
一体なんの話なんだ…?
「なんかすみません…泉ちゃんがご迷惑をおかけして……」
「なんでトモちゃんが謝んの?」
「同じ趣味を持つ友人として、なんとなく」
「?????」
よくわからんが、まあいいか。
「それはともかく、お前トモちゃんに謝るんじゃなかったっけ?」
俺はユキの言葉で思い出した。この前痴態を晒してしまったことを、謝ろうと思っていたんだった。
ノーマルなトモちゃんには、トラウマになってしまったに違いない。
「そうだった。なんかごめんな、トモちゃん。この間はせっかくきてくれたのに、」
「ちんぽぐちゃぐちゃで聞いてなかったって言えよ」
「俺、ちんぽぐちゃぐちゃで…ってユキこらテメェ!!俺に何を言わせようとしてんだよ!?」
あぶねぇ、思わずクセで言っちゃうところだった。
「もうわかりましたからそれ以上声を出さないでください……」
トモちゃんが俺から目を逸らす。俺は大人しく口を噤む。ついでに、ユキのスネを蹴っておいた。
「ちょっと待って。一体何をしたの?僕には教えてくれてもいいよね?」
「それはだな、マキの先端に拡張用の…」
「言わんでいい!!!!」
クッソ、恥ずかしくなってきた……
追い討ちをかけるように、泉ちゃんが興奮した声を上げる。
「先端が!どうしたんですかっ!?」
「だから拡張用の、」
「あああああ!!!!ヤメて!!それ以上言うなああああっ!!」
もうヤダ死にたい。クレープ食べて帰ろうかな。
「こんなところで騒がしくするんじゃない。それになんて会話をしているんだ?お前たちには羞恥心はないのか?」
突然そんな真面目な声がして、俺たちは一様に口を噤む。
「っ、兄さん…なんでこんなところにいるの?」
悠哉が緊張した声で言った。悠哉の緊張感のせいで、トモちゃんや泉ちゃんまで動きを止めてしまう。
ユキは知らん。
「可愛い弟の、大学最後の学祭だ。見にきて何が悪い」
「そ、そう……でも、来るなら事前に言って欲しかった」
「何故だ?何かやましいことでもあるのか?例えばそこの、恥晒しに会っているのを私にバレたくなかった、とか」
その言葉のせいで、せっかくの楽しい雰囲気が台無しだ。
全く、今日はなんてついてない日なのだろう。やっぱり俺は、ここに来るべきじゃなかったのかもしれない。
「恥晒しなんて酷いこと言わないでよ兄さん。シュウ兄ちゃんだって僕たちの家族でしょ?」
「幼い頃から散々私や沙羅に迷惑をかけ、何度注意しても不特定多数と関係を持つような奴を家族とは言わない」
「でも!兄ちゃんだって別に、最初からそんなんじゃなかったのに」
「黙りなさい。悠哉は私たちの苦労を知らないからそう言える。コイツは根っからのクソ野朗だ」
散々な言われようだが、事実なので言い訳もクソもない。だから俺は、突然現れたアニキの顔を、まともに見ることもできない。
何年ぶりかに聞いたアニキの声は、昔と変わらず冷たい氷のようで、それは俺の心をカチカチに冷やしてしまう。
そうなると、口を開くどころか手も足も動かなくなる。
「よくも恥を晒したここへ来れたものだな。それに、お前のようなクソは悠哉の教育に悪い。せっかく与えてやった情けも、こうなるのなら与えてやるべきじゃなかった。追い出したままにしておけば死んで消えてくれたかもしれないのに、私もまだ甘かったようだな」
言いたい放題吐き散らしたアニキは、ふん、と鼻息も荒く、悠哉を連れてどこかへ消えてしまった。悠哉が「兄ちゃん!」と、最後に呼んでくれたけど、俺は見向きもしなかった。
やれやれ、という気分だった。
楽しいはずの学祭を、俺のせいでブチ壊してしまったわけだ。
周りにいた他の学生や学祭を満喫していた人たちも、何事かと言った顔で俺たちに視線を向けていたが、アニキが立ち去るとそんな雰囲気も徐々に薄れる。
「今の、一番上のお兄さん、ですよね」
しばらくして、トモちゃんがポツリとこぼした。
「そう…アニキは俺のことが心底嫌いなんだ。昔から……それこそ、死ねと思ってる」
ダメだ。これ以上俺がここにいると、だれも学祭を楽しむことなんてできないだろう。
「悪いな、俺のせいで」
浮かべた笑顔が自然なものだったかはわからないが、俺はとりあえず謝った。
「いえ、マキさんのせいじゃないですから」
「んなわけねぇだろ…俺は帰るな。トモちゃん、誘ってくれてありがと」
「マキさん…気にせず楽しんでいってください」
トモちゃんは優しい。その顔には、同情とか色々なものが浮かんでいる。そこに俺を責めるものはない。
「そうですよ、マキさん!あたし、もうすぐメインステージでバンドやるんです!ギターやるんですよ!見にきてくださいませんか!?」
泉ちゃんもトモちゃんと同じく、優しい子なんだとわかる。でも、俺はその優しさを、何も受け取ることができない。
いや、受け取る資格もない。
アニキが言っていたように、俺は本当にクソ野郎で、血の繋がったアニキや姉に心底恨まれるような人間なのだから。
「ごめんな」
それだけ言って、俺は二人に背を向けた。
「また遊びに行きますから」
トモちゃんがまた声を上げる。俺はそれを無視して、さっさと歩き出した。
ユキがなにも言わずに、そっと手を繋いでくれたけど、握り返す元気もなかった。
◇
ぼくは余計なことをしてしまったようだった。
まず一つ目の間違いは、マキを保健室に連れて行くべきではなかった。
マキにとって、そこは昔の関係がチラつく場所で、当然ユキにもイヤな思いをさせてしまっただろう。
二つ目の間違いは、お兄さんの話を黙って聞いていたマキに、かける言葉が思い浮かばなかったことだ。
マキとユキが去ってから一時間ほどたったけど、ぼくはクレープを作りながらずっと考えていた。
あんな風にあからさまに落ち込むのだから、マキにとってあのお兄さんの言葉がどれほど重いものかわかるだろうに。
気にせず楽しんでいけ、など、出来るはずもない。
「はあ」
何度目かのため息に、泉がぼくの足の甲を踏んだ。
「ヤメてよ、トモくん。客商売なんだよ?」
「そうだけど……」
自責の念というのか、気になって仕方なかった。
「悠哉先輩、あたしのステージ見にきてくれるかな」
「泉ちゃんはマイペースだよね」
「そう?」
自覚のない泉だが、これでもたまには良いことを言う時もある。と、ぼくは信じている。
「トモくんが落ち込むのもわかるよ?誘わなきゃ良かったって思ってるんでしょ?」
「うーん…誘ったこと自体には、そんなに後悔はないよ。あの人たち、ほっといたら一切家から出ないし」
この言葉は本当で、ぼくは学祭に誘ったこと自体には後悔はない。
それに後悔していたら、ぼくはこれから先、あの二人を何かに誘う事もできない。
ようはフォローの仕方が問題だ。
などと思うぼくは、これからもあの二人と関わりを持とうと考えているのだ。自分でも、不思議だなあと思う。
でもだからこそ、付き合い方を改めなければ。
人はみんななにかしら抱えてい生きているわけだから、こういう事もしばしばあるだろう。
「トモくんは真面目過ぎるんだと思う。あたしたちには、あたしたちの役割があってね」
「うん?」
泉がニコリと優しく微笑んだ。
「今マキさんを支えてあげるのはユキさんの役目。トモくんの役目は、そっと側でふたりを気にかけてあげる事だよ。トモくんが態度を変えちゃダメ。深入りもしちゃダメ」
なるほど。泉はやっぱり、たまに良いことを言う。
「BLマンガにもよくあるでしょ?側で見守る主人公の友人役」
「結局泉ちゃんの知識は、全部そこからなんだね」
「当たり前でしょ?バイブルなんだから」
思わず笑ってしまう。泉もクスクスと声を漏らす。
「あとは、悠哉先輩がどうなっちゃうかは、気になるところだけど」
ふと、笑みを止めて泉は言った。
兄弟の中での確執に、先輩は板挟みになっているように感じた。
先輩には、マキにとってのユキのように、そばにいてくれる存在がいるのだろうか?
まあ、ぼくが気にかけることでもないのだけど。
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