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その先1
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「今日!午後5時!俺ん家!時間厳守!あと、手ぶらで来たら殺す」
叔父さんが、眠い目を擦りながらタバコを咥える俺の顔面に指を突きつけて言った。
午前8時のことだ。
「んー……」
「聞いてんのか!?」
パッと奪われたタバコに気付かず、俺の右手は顔の前でウロウロと空をかく。
「大体なぁ、なんでお前はいつもパンイチなんだよ?今日が何日か知ってるか?11月11日だ!!もう冬だぞ?それから、」
「あー…ポッキーの日ね、ポッキー……」
「ちっがーう!!!!いや、違わないか…って、それだけじゃない!!」
朝からとても騒がしい。近所迷惑だ。
「うちの可愛い娘の一歳の誕生日だ!!」
「ふーん……イテッ!」
バシィィンと、頭を叩かれた。
「もう少し祝ってくれてもいいだろ!!」
叔父さんは心底憤慨して怒鳴った。叔父さんは現在54歳でバツイチだ。今の奥さんとは、20歳離れている。そんで、去年待望の第一子が誕生した。
だから愛娘を目に入れても痛くないくらいに溺愛している。
叔父さんにも、これまでの人生において幾つかのドラマがある。牧家の次男として産まれ、兄である俺のオヤジのサポートをする為だけに育てられ、好いた女と駆け落ちして結婚したが、その女が不倫して離婚。
僅かの金で示談となり、アパート経営で細々と生活していたところに、4年前出会った(もともとここの入居者だった)女と二度目の結婚。
現在、近くの一軒家(一度目の結婚の際に新築で建てた)で仲睦まじい生活を送っている。
まあ、どうでもいい話なので、これ以上語る事もないが。
「わかったわかった。行けばいいんだろ行けば」
「絶対来いよ!!手ぶらで来たら殺すぞ!!」
「わかったって」
絶対だからな!とシツコいくらいに念を押して、叔父さんは去って行った。
俺のタバコを持ったまま。
「マキ?また叔父さん?」
のそのそと起き出したユキが、俺と同じくパンイチで聞いてくる。
「そー、叔父さん。今日子どもの誕生日だから、午後五時に来いって」
「じゃあ誕生日プレゼント買いに行かないと」
台所に立って湯を沸かし、コーヒーを用意しながらユキが言った。
意外だった。
「お前でも誕生日プレゼント買わないととか言うんだな」
てっきり俺以外には興味ないのかと思っていた。隣のトモちゃんや、エリカちゃんに対する態度を見ていると、会話はあれどどうでもいいと思っていることが丸わかりだったからだ。
「オレ、子ども好きなんだよなぁ、昔から」
「意外」
「よく言われる」
俺はユキのことを、本当にまだ一部しか知らなくて。だから子どもが好きだなんて今初めて知った。
「子どもなんてうるさいだけだろ」
俺は特に子どもに対して好きも嫌いも無い。うるさいイメージしかない。姉には子どもが二人いるが、もうずいぶん会っていない。ただうるさかったことしか覚えていない。
「まあな。でもさ、オレらにもそんな時があったんだぜ?ぎゃあぎゃあ喚いてたガキが、徐々に荒んだ大人になってく過程が面白い。ヤンチャだった奴が、久しぶりに会うとキッチリスーツ着て上司にペコペコしてるところとか、それだけでイキそう」
「そうだな。少なくともユキの幼少期に何があったのかは気になるところだ」
ユキの思考は、やっぱりよくわからない。
「ま!それは冗談として」
「冗談に聞こえないぜ」
ユキがコーヒーのマグカップを二つ持って、俺の隣に座る。ひとつを俺に渡してくれた。砂糖とミルクたっぷりの甘いコーヒーだ。
「オレ、ひとりっ子で、しかも母子家庭だったからさ……兄弟が沢山いて、毎日賑やかな家ってちょっと羨ましかった」
そう言って少し笑う。その笑みはなんとなく悲しげだった。
ユキは子どもの頃寂しかったのか……俺と同じだ。
「だからってわけでもないけど、賑やかな子どもは好きだ。こっちも楽しくなる」
「……兄弟がいても賑やかとは限らねぇよ」
思い出すのは、広い家の中で一日中会話すらなく、目が合うこともない俺ん家だ。
歳が結構離れていたこともある。が、それだけじゃない。アニキはオヤジを毛嫌いしていたし、そんなオヤジと馬が合う俺も嫌ってる。姉は自由人で、我が道を行くタイプだったし、悠哉は無邪気で人懐っこかったけど、そんな明るさも俺たちの関係を改善することはできなかった。
「マキの家は特殊だろ。みんながみんなそうじゃない」
「まあな。それに今となってはどうでもいいし」
「オレはかわいそうなお前が好きだ。だから今のマキを育てた環境に、オレは心から感謝してる」
「ホント歪んでんな、ユキは」
そんなユキと出会って、俺は今それなりに幸せだ。顔が良くてちんこもデカくて、同じ趣味を共有できる相手と一応恋人同士だ。そんで、その恋人は本気で俺を好きだと言う。
俺にはこれ以上望むものはない。なんなら、今死んでもいいくらいだ。
この先ユキの気が変わるくらいなら、今度こそ高いところから飛び降りようとさえ思う。
思っているだけで実行はしないが。
「そんなわけだから、出かけなきゃならない」
正直言ってとっても面倒だったが、ここは叔父さんのアパートで、身内割引で大分安く貸してもらってる。
年一のイベントくらい、ちゃんとしないと悪い。
俺たちはコーヒーを飲んでから(行きたくないから大分時間をかけて飲んだ)、いつも通り適当に身支度をして繁華街へと向かうことにした。
歩きながら、一歳の子どもにははたして、どんな物がプレゼントとして適しているのかを考える。
「一歳って成長発達的に何が可能なんだ?普段一体どんな遊びをしてんのか、全く想像がつかない…何と比較すれば最適な物が選べるんだよ…?」
「マキって国立大学行ったのがウソみたいに、たまにものすごくポンコツになるよな」
俺はユキを睨んだ。
「それは関係ないだろ!!」
「ないけど……あ、これなんかどうだ?」
と、ユキが足を止めて指差す先には、あんまり繁盛してなさそうな酒屋があった。店先に、今年のボジョレーがどうたらというポスターがはってある。
「……は?一歳児なんだが」
「キミが二十歳なったら、おじさんと乾杯しよう!とか、どう?」
「キモい」
「えっ!?」
ユキの方がポンコツじゃねぇか……それにボジョレー解禁はもう少し先だ……
悩ましげに首を傾げるユキを連れて、さらに道を進む。
冬が本格的に訪れた街は、着膨れた人間が多く、寒さを凌ぐためかいつもより行き交う人と人の距離が近い気がする。
ペンギンが集団で寄り集まって南極のブリザードに耐えるように、俺たち人間も、そうとは気付かずに同じようなことをしているのかもしれない。
そして俺の隣には、確実にペンギンの遺伝子を持つ男がいるわけで。
「マキ…寒い…手、貸して」
と、ユキは俺の手どころか半身にベッタリくっついてくる。ユキの冷たい左手が俺の右手を握りしめ、そのまま自分のパーカーのポケットへと誘拐してしまう。
非常に歩き難い。でも、文句を言うほどでもない。
「マキの手はあったかい」
「心が冷たいからな」
「それは迷信だってカーチャンが言ってた。あったかい人はただたんに、身体の血液循環が良いんだってさ」
「やけに現実的だな」
「あまり根拠のないものを信じない人だからなぁ」
変な妄想ばかりしているユキの母親が現実的であるという事に、俺はちょっと笑ってしまった。
「お前とは正反対なんだ?」
「これでもオレは現実的なんだけど」
「よく言うぜ」
お互いにフフッと軽く笑いながら歩く道は、冬空の下でも暖かい。
外気温と心的体感温度の違いが、とても不思議だった。
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