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ユキ家2

★  ユキの母親は、雪村綾那(ゆきむらあやな)という、所謂夜職上がりの女社長だった。  自身の経験を活かし、夜職の女性向けアパレル、サロンなどの経営をしている。だから若くて綺麗なのだ。納得。  ユキを産んだのは16歳の頃だそうで、相手が誰かさえもわからないらしい。 「その頃のあたし、なんていうか自暴自棄でさ。両親とも仲悪くて、子どもが出来たなんて言えなくて。知られたら知られたで、今度は絶縁されて。ひとりきりで幸太抱えて夜の店で働いてさ…そのお陰で、今めっちゃ贅沢してんだけどね」  そう言って笑うアヤちゃん(と呼べと脅された)に、少なからず同情してしまう。  違うのは、俺がどれだけ不特定多数と関係をもち、セックス三昧したところで子どもは出来ないことだ。ただただ自分が痛い思いをするだけで済む。 「幸太に色々我慢させたし、バカに育っちゃったけど今が幸せならあたしは嬉しい」 「かーちゃん、バカは余計だけどオレは今めちゃくちゃ幸せだ」  ユキは俺の顔を見つめ、優しげに微笑んだ。珍しく酔っ払っているのか、いつもより顔が赤い。  時刻はすでに夜の21時。  昼前からダラダラと飲み始め、アヤちゃんが作ってくれたおつまみを食べながら話しているうちに、こんな時間になった。  ダイニングの高そうなソファで、何本目かのワインに口をつける俺は、いつもの如く完全に出来上がっていた。 「マキ、もうやめとけよ。飲み過ぎ」 「うっせぇ…ワインうめぇ」 「ったく、酒癖悪りぃんだよお前」  緊張が抜けたとか、受け入れてもらえた嬉しさとか、色々あって飲み過ぎているのはわかっている。 「マキちゃんは家族にカミングアウトしてるの?」  アヤちゃんが甘い匂いのするタバコに火をつけながら言った。つられるように、俺もタバコを咥える。人が吸い出すと自分も欲しくなるよな。どうでもいいけど。 「マキん家は、」  と、ユキが言いかけたのを、俺はユキの口を片手で塞いで止めた。きっと、取り繕う…じゃなくて、俺を傷付けないように言葉を選ぶと思ったからだ。  アヤちゃんは俺を受け入れてくれた。だからちゃんと話しておきたい。 「カミングアウトしてるというより、最初からバレてて頭の硬い兄に家追い出されてるから…家族なんていない。もともと商社経営のお硬い家で、窮屈だったからちょうどいいとさえ思ってる」  楽しい酒の席が台無しだけど、酔っ払ってないとまともに話せなかったかもしれない。顔が強張るのはタバコが苦いからだ。 「家族だった人たちは、俺をクソビッチとか、家の恥晒しって呼んでる。実際その通りだし、自業自得。返す言葉もねぇ。だからホントは、ユキは俺には勿体無いと思ってる」  俺の為に尽くしてくれるユキ。優しくてあったかい母親がいるユキ。  眩しすぎて目眩がしそうだ。 「マキちゃん」  俯く俺の隣に座ったアヤちゃんが、両腕を広げて笑う。なにごとか?と俺は正直戸惑った。 「おいで!今日からマキちゃんもうちの子よ。幸太を幸せにしてくれて、ありがとう」 「……へ?」  ギュッと俺を抱きしめたアヤちゃんの腕は細くて、柔らかくて、母親の記憶なんてとうに忘れてしまっていた俺だけど、その暖かさに自然と涙が溢れてきた。 「幸太って名前を付けたのは、図太く幸せを掴んで欲しかったからなの。何があっても、幸せを掴んで欲しいって。マキちゃんがいるから、幸太は幸せなのよ。今、あたしの願いは叶った。マキちゃんのお陰でね」 「…っ、ふ…ぅぅ」 「かーちゃん、マキを泣かせるなよ。それに、オレのなんだから触らないでくれる?」 「いいじゃん。うちの子なんだから」  ユキの腕が伸びてきて、俺の腕を掴んでアヤちゃんから引き剥がす。そのまま、くるっと回転させられた俺は、今度はユキの顎の下に顔を埋めることになった。  デカイのに軽いんだよな、とぶつぶついう声が聞こえる。 「かーちゃん、こいつこんな見た目で、チョロ過ぎてすぐ流されるんだからあんまし優しくすんなよ」 「あんたやっぱちょっと歪んでるよね」 「そりゃかーちゃんの子どもだからな」 「あたしが悪いの!?」  アヤちゃんがフン!と鼻を鳴らして、またタバコに火をつけたのが、見ていないけれどわかった。 「だってかーちゃん、オレが中学の時、『うちの子がいい男ですみません』って親黙らせてたじゃん」 「あー、アレね。だって、『雪村さんとこの子、男女問わず遊びまくってる』とか言われたんだもん。テメェに関係ねぇだろ、と思ってつい言い返しちゃった」  「あん時のかーちゃんマジカッコよかった」 「でしょ?自分でも名言だと思ってるわ」 「迷言な」  あはは、と笑い合う親子は、やっぱどっか変だけど、俺はそんな二人を心から好きだと思った。  ユキの体温が心地いい。楽しげな会話も、笑い声も、俺には無かったものだ。  幸せが何かと聞かれたら、今までの俺はセックスして、快楽に堕ちることだと答えていたと思う。  でも今は違う。  誰かがそばにいて、受け入れてくれることが、幸せなんだと答えることができる。  この幸せは、一瞬で消えたりしないだろうか。ホタルじゃなくて、いっそLED電気くらいに輝いて、長時間保ってくれるといいのに、なんてくだらないことを考える酔っ払いの俺。  しばらく、その幸せに浸っていたのは覚えている。が、完全に飲み過ぎていたこともあり、俺はそのままユキの腕の中でいつのまにか寝てしまったようだった。 ★  次の日、目が覚めると俺はなぜかクソデカイベッド(多分キングサイズ。実家にいた時の俺のベッドもこんなんだった)で、右にユキ、左にアヤちゃんという、頭の痛くなる(二日酔いで本当に痛い)状態だった。  右腕を乱暴に引き抜き、左腕をそっと抜いて、ベッドから降りる。  リビングダイニングの横の寝室を出て、そのまま風呂場へ向かい、広々とした湯船に湯を溜める。  ひとんちだけど、遠慮しないのが俺だ。  白いタイル張りの風呂場の湯船は、高級ホテルによくある猫足のお洒落なもので、なんとなく懐かしくなる。 「オレも入ろうかな」 「うわっ!?」  溜まっていく湯を見つめていたら、いつのまにか後ろにユキがいた。すでにフルチン。俺に拒否権はない。 「ダメ?」 「ブラブラさせといてよくいうぜ」 「ワザとだよ」 「だろうな」  俺も脱衣所で服を脱いで、風呂場へ入ると、ユキがシャワーをぶっかけて来た。 「ブハッ!何すんだよ?」 「お前顔ヤバイぜ」 「……うるさい」  チラッとみた鏡に映る俺は、確かに赤い目をしていた。ちょっと腫れてる。飲み過ぎたせいだ。泣いたからじゃない。断じて。  熱い湯に二人で入る。露天風呂以来だった。 「やっぱ広い風呂があるとこに引っ越そうぜ」 「ムリだって」 「んなことねぇだろ。まだまだ遺産、余裕あった」 「お前なぁ…ホント遠慮ないな」  残高があとどれくらいなのかを、俺はちゃんと確認したことがない。いつも明細書を出さないようにしている。引き出せなくなったら死ぬか、と思っていたからだ。  それが最近、無くなったらユキともお別れか、と考えてしまっているから、残高を確認するのが別の意味で怖い。  でも働く気はない。クズだからな。 「マキ」 「ん?」  向かい合って座る俺に、ユキが優しい笑みを浮かべる。最近、この顔をよく見る。まるで、宝物を眺める子どもの顔だ。  ユキの両手が俺の頬を挟む。これも、最近よくされる。俺の特に小さくもない顔を、ユキの大きな手が包み込む。指先が耳をくすぐる。 「んっ…」 「耳弱いよな、マキ」 「だから穴開けてんだよ」  穴だらけにしておけば、あまり触られないから。 「そうやって虚勢張ってるとこも可愛い」 「うるせぇ、ん…」  ユキの舌は器用だ。俺の唇を抉じ開けて、閉じられなくしてしまう。目を瞑ってその感触に全神経を集中する。 「ぁ…はぁ、んむ……」  舌の先を絡ませ、唾液を混ぜ合い、余す事なく全てを食われるみたいで、頭の芯が蕩けそう。キスに夢中になって呼吸を忘れるなんて、貞操観念行方不明のクソビッチな俺には、今までに無かった経験だ。ベロチュー程度なんだよ?と思っていたのに。  ユキは俺に、沢山の初めてをくれる。 「マキ、息して」 「はっ…はぁ…死ぬ…」 「死んだら困る。オレも死ななきゃなんない」 「あはは、なんでだよ?」 「お前のいない世界に、オレの居場所はないから」 「アヤちゃんがいるだろ」 「じゃあ、かーちゃんにも死んでもらう。お前の家族だから」 「物騒だ」  そんでもって、本当にやりそう。 「死なねぇよ、簡単には」 「難しく死ぬって、どうすんだろうな」 「考えたこともない」  でも、今の俺が死ぬとしたら、それはとても難しいとは思う。  簡単に捨てられないもの、捨てたくないものができてしまった。  アニキの言葉に対抗するように捨てたものは沢山あるが、あの時の俺は、一体どんな気持ちでそれらを捨てたんだったっけ? 「マキの勃ってる」 「言わなくてもわかる。お前のも大変そうだ」 「オレのはいつも大変だ。お前が目の前にいると、いうことを聞かない。コントロール不能なところがマキそっくり」 「俺をお前のちんこと一緒にするなよ」  フフ、と目があって笑う。 「マキ、オレは本気だ」 「知ってる。でもまだ信じない」 「わかってるよ。素直じゃないお前が好きだ」  信じてしまったら、この先何を目標に生きていくか悩む。俺はまだユキを試したい。天邪鬼?上等だ!  ユキが身体を寄せてきて、俺の両足の下に足を入れる。フワリと浮く身体を、ユキがそっと抱き寄せる。強制的にM字開脚になってしまう。 「恥ずかしいんだけど」 「今更かよ」  再度重ねられた唇は、さっきよりも強引で、でも今度は俺もされるばっかじゃない。ユキの肩に両腕を回し、夢中でユキの舌を追う。 「はぁ…んふ…、んんっ!?」  ユキの指が俺のビクビク震えて主張するものを握る。親指の先で、先端を広げ、まっすぐ筋をなぞっていく。 「ぁは、や、それ…きもち、い」 「マキのって、あんま使ってないから色キレイだよな」 「うるせぇ」  言いながら、ユキは俺のものに自分のものを擦り付ける。ギュッと一緒に握られ、思わず腰が動く。  握った手を徐々に激しく上下に動かし、合わせた唇をお互いに貪るように求め合い、俺の脳みそは痺れて何も考えられなくなった。 「ユキッ、イキそっ…ぁあ、ん、ぅぁあ!」 「オレもイキそう…」 「あ…んふ…い、いぁっ、ああっ!」  射精の快感に震える。ユキの肩も少し震えてる。 「続きは帰ってからな」 「……ん」 「精液風呂」 「おいヤメロ」  なんて、笑い合う。こんなに穏やかなのは初めてかもしれない。  俺、挿入無しでも気持ちいいの初めて知った。やべぇ。  でもコレも封印しなきゃ。気恥ずかしさは、いつかの思いやりのあるセックスと似てる。  風呂から出て、ユキの服(綺麗に残してあったヤツ)を借りて、リビングへ戻った。 「ずいぶん長風呂だったね」  既に起きていたアヤちゃんがニヤニヤして言った。俺は少し恥ずかしくなったが、ユキは平気な顔で同じようにニヤニヤした。 「オレらラブラブだから」 「羨ましいっ!!」  頬を膨らませるアヤちゃんは、やっぱり四十代には見えない。 「それにマキちゃんの声超可愛かった」 「えっ!?」 「あああああっ」  目を剥くユキの後ろで叫ぶ俺。最悪だ。死にたい。 「ごめんね、顔洗いに行ったら聞こえちゃった」 「かーちゃん、空気読めよ」  ニコッと笑いながら、アヤちゃんはマグカップにコーヒーを淹れ、キッチンカウンターに置いた。  そのコーヒーに、アホほど砂糖とミルクを入れてくれるユキは有能だ。  サラダと目玉焼きとトーストの朝食(既に昼過ぎてた)をご馳走になり、俺たちはアヤちゃんに礼を言ってユキの実家を出た。  最後に、アヤちゃんが俺を抱きしめて、「いつでも帰ってきてね」と言ってくれた。それにまた泣きそうになる俺は、こんなに涙もろかったっけと不思議な気分になった。  昨日歩いた道を手を繋いで歩く。 「ちょっと寄り道して良い?」  駅に着く頃、ユキが言った。 「いいけど、どこ行くんだ?」  俺はとりあえず早く帰ってヤりたかった。ユキは知らないだろうけど、一回その気になってしまったケツの穴をなだめるのは難しいんだ。 「友達のところに寄りたい」  友達。  そら当然ユキにも友達がいるだろう。  羨ましい。というわけではないけど、お察しの通り幼い頃からケツの穴開発に勤しんでいた俺に、友達なんていやしない。  それらしい関係の相手は、みんなセックスありきだった。所謂セフレだ。  ユキが俺の手を握りしめて向かったのは、駅から15分ほど離れた雑居ビルの、如何わしい看板が連なるうちのひとつ。なんたら金融と、なんたら事務所の間の階にある店だった。 「相沢ー!」  すりガラスの扉を開けて、ユキが叫んだ。室内の半分を隠すパーテーションの奥から、緑色のツーブロック頭の男が顔を出す。 「ユキ!!」  俺は自分のやってきた事(ボディサスペンションとかコルセットピアスとか)に対して特に何の感慨もなかった。でも、その緑頭のそいつを見た時に、俺はまだマシだったんじゃね?と思った。  その男は、見えている皮膚全部に刺青が入っていた。ロンティーとチノパンの下がどうなっているのかは、お察しの通りだろう。 「久しぶりだな!相変わらずスゲェ見た目してんな」 「ちょっとずつ増えてるぜ!この間はケツの割れ目まで絵入れた」  ヘヘッと、照れ臭そうに笑う男。目の下にピエロみたいな滴の刺青があって、それがピクピクと動いた。 「相変わらずのドM」 「チゲぇよ、ロマンだよロマン!」 「わかんねぇ……」  やれやれ、とユキが肩を竦める。 「んで、久しぶりに何しにきた?まだヒモやってんの?そろそろヤメて本名見つけろよ。この際男でも女でもどっちでもいいからさ」 「それ。オレ今コイツとガチで付き合ってるから」  緑頭が俺を睨んだ。人のことを言えた義理ではないが、眼つきが怖い。  しばらくジーッと見つめられ、居心地が悪くなったころ、男はため息と共に言った。 「メガネ無いとよく見えんわ」  その見た目でメガネかよ!?と、全力でツッコミたくなるのを堪える。 「まあでも、良かったな。根っからの遊び人だったお前にも、ついに本命ができて」 「だろ?お前には紹介しときたかったんだ」 「紹介じゃなくて自慢だろ」  いたたまれない気分になる俺。緑頭が銀縁の(銀縁かよ、と思った)メガネをかけ、改めて俺を見る。 「こいつはマキ。この度うちの子になりました」 「マジ?アヤちゃんに紹介したのかよ?」 「もちろん。オレの真剣さわかったろ?」 「な、なあ、どういう事?」  ユキの手を引っ張って(繋いだままだった)説明しろと目で訴える。 「ごめん、マキ。コイツは相沢っていって、小学校からの幼馴染なんだ。かーちゃんと相沢は、オレがヒモやったりしてんの心配してて、ちゃんと恋人ができたら絶対紹介したかったんだ」  相沢はニコッと笑って、小さくお辞儀した。俺もつられてペコリと頭を下げる。 「おれ、ここで彫り師やってんの。ユキの彼氏なら割引してやるぜ」 「刺青…」 「ファッションタトゥー専門だけどな。痛いのが平気で、一生大事にしてくれんなら入れてやる」  ピアスは取れば傷が残る程度だが、刺青は消すのに金がかかる。だからってわけでも無いが、今まであまり興味を持たなかった。  でも、俺はちょっと魅力的だな、と思った。刺青なんて入れたら、それこそアニキは俺を殺すかもしれない。なんて思う俺は、やっぱりアニキが心底嫌いだ。 「考えとく」 「そっか。ま、ピアスそんだけ開けてりゃ、刺青の痛さなんてそこまで変わらんぜ」 「痛いのは大歓迎だ」  俺がそういうと、隣でユキがため息をついた。  その後、ユキと相沢がなにやら話している間に、俺は相沢が今までに彫った作品の写真を見せてもらった。  昔関係のあった何人かも墨を入れていた事を思い出す。もう、柄も何も覚えていないけど。  一時間程で、俺たちは相沢とわかれて帰路へついた。  帰りの電車の中、俺たちのアパートが近付いてくるたびに、ユキとふたりしてソワソワした。  ユキに早く触りたい。俺の全部を触って欲しい。  痛くて苦しいのじゃなくてもいい。  今なら、ユキとなら、何でも満たされると確信している。

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