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取り引き2

☆  マキが姉に連れられて部屋を出て行った後、オレは着信履歴から相沢を選び、通話ボタンを押した。  何度か呼び出し音が鳴った後、ジーっという機械音と共に相沢が出た。 「仕事中悪いんだけどさ」  その機械音が、墨を入れるための機械のものだと知っているから、相沢が仕事中だとわかった。わかった上で、出てくれた事にありがたいとも思った。 『気にすんなよ、ダチだろ』 「すまん……昨日のことなんだけどさ」 『あー、マキ大丈夫なん?』 「一応。今マキのねぇちゃんが病院に連れてった」 『大丈夫じゃねぇじゃん』 「そうかも。でもオレにはどうしようもない」 『確かになぁ…、そんで?ヒマなユキはマキの敵討ちでもしようと?』  その大層な言い方に、ちょっと笑えてしまう。敵討ち。厳密には、制裁だ。 「まあそんなとこ。柳瀬ジュンってヤツなんだけど」  オレは柳瀬について、知っていることを全て話した。と言っても、バーでの短い時間、マキと話しているのを聞いていたくらいしか情報はない。 『探してみる。期待はするなよ』 「ありがと」  礼を告げて通話を終了した。  相沢は見た目こそアレだけど、昔から愛想が良くて顔が広い。任せておいて問題ないだろう。  情報を待つ間、オレはマキの為に何ができるだろう。  もともと死んだような目をしていたマキだけど、昨日のことで、その瞳の色すら翳ってしまったように思う。  クリスマス。  大切な日になるはずだった。でも、今はとてもそんな気分になれない。  用意したプレゼントを、果たして渡せる時が来るのだろうか。 ☆  午後8時、玄関の物音でマキが帰ってきたのがわかった。  疲れた顔をしたマキにお帰りと言うと、無表情の小さなただいまが帰ってきた。 「腹減ってるか?」  一応焼くだけで食べられるようにと、ドリアを用意していた。最近、少し上手くできるようになった料理のひとつで、以前珍しくマキにおいしいと言ってもらえた。 「減ってない」  ボソッと呟いて、マキはそのまま風呂場へ向かった。オレはその後をついて行って、脱衣所に着替えとタオルを用意する。いつもそうしているからだ。 「……ごめん、あんまり見て欲しくない」  マキはまた小さな声で言った。チラッと見えた肌の生々しいアザを、すぐに隠してしまう。 「わかった」  オレは大人しく脱衣所を出ようとした。 「あ、待って」 「ん?」 「頭洗って」  振り返ると、マキが困ったような顔で左手を掲げていた。 「忘れてた」 「普通忘れないだろ」 「案外忘れるんだよ」  そう言いつつ、今度は躊躇いなく服を脱ぎ捨てる。 「もういいや」 「え?」  何が、と一瞬不安が過った。別れようとか言われたらどうしようとか、そんな不安だ。 「お前の前で落ち込んでんのもキャラじゃねぇし…それより、ユキといる時間を楽しみたい」  引っ掛かる言い方だと思った。まるで他の時間に、とてつもない嫌な事があるようだ。でもそれを聞く前に、マキの両腕がオレの首に回され、唇を軽く押し当ててきた。  オレを試す、いつものマキの目がそこにあって、やっと触れてくれた嬉しさと、我慢できない衝動に駆られてそのまま深く唇を重ねる。 「オレも入る」 「狭い。頭だけ洗ってくれりゃいいんだけど」 「お前のことだから、絶対包帯濡らすだろ」 「バカにしてんの?」 「してる」  言いながらお互いに着ていたものを脱ぎ、一緒にシャワーを浴びた。  風呂場から出る頃には、オレたちは自然に笑えていたと思う。  マキの熱はすっかり下がっていて、幾分か顔色も良くなっていた。体調を聞くと、 「なに?ヤりたいの?」  と、ニヤニヤしながら言うくらいにはいつも通りだった。 「昨日の今日でガッツクほど鬼じゃない」 「別に良いんだぜ?検査したとこだし、安全」 「検査?」 「セービョウ無しってことだよ」  茶化して言う事かと思った。でも、茶化さないと受け止められない事が沢山あって、その中でマキが一生懸命なのもわかる。 「それか俺が嫌いになった?当然だよな。アホだし傷だらけで汚いし」 「そんなこと思ってないから言うなよ」 「じゃあいいじゃん。クリスマスだし。イルミネーションに行く元気はないからさ」  オレはため息をひとつ、盛大に吐き出してから、でも傷だらけのマキが、本当はとても魅力的だなんて思う歪んだ自分を押さえておく事ができないから。  誘われるまま、マキの身体をめちゃくちゃにしてやろうと思った。  本当は他に聞きたいことが沢山あった。マキの姉が言っていた動画のこととか、アニキとなにを話したのか、とか。  聞かなければと思うのに、どうせ答えてはくれないのだろうとも思う。  なら話してくれるまで待つべきで、今必要なのはマキの要求に応えてやることだ。  いつものように、泣いても叫んでも止めてやらないと決めて。  でもその日、マキは泣いたり叫んだりしなかった。不自然なほど声を抑え、終わる頃には疲れたのかそのまま寝落ちしてしまった。 ★  ユキの寝顔は、いつ見てもカッコいい。  ずっと眺めていたいほど、俺はユキのことが好きだ。  そういえば、俺はユキに好きだと言ったことがあっただろうか。  ……無い気がする。  でもまあ、言わないでよかった。  捨てられる時に傷付かなくて済むから。  アニキは本当に良い性格しているなと思う。  俺に拒否権も考える余地も与えてはくれない。  俺がアホなばっかりに、あんな動画撮られて。  ジュンはあの動画を本当にアニキに送りつけ、高額で買い取ってくれなきゃ他に売ると言ったそうで、アニキは言われた通りデータと引き換えに金を出した。  意外だと思っていたら、今度はアニキがその動画をもとに俺を脅した。 『大人しくできないなら言うことを聞きなさい』 『このくだらない動画ひとつに、いくら出したと思っているんだ』 『言うことを聞かないのならネットに流してもいい。どうせ他人なのだから』  俺には何も言い返せなかった。黙って言う通りにするしかなかった。  アニキは言った。勝ち誇ったような笑みを浮かべて。 『これは対等な取り引きだろう?お前が破棄したい動画を私が代わりに金を出してやったのだから、その分労働して返してもらう』  それが、昨日の出来事だった。  アニキが取り返してくれた俺のスマホが鳴った。メールだった。  秘書の加藤だ。ただ一言、『一時間後に』とだけ書かれている。  まだ午前中だが、ユキは多分もう少ししたら起きてしまう。  そっと音を立てないように出かける支度をした。左手が使えないのは、思っていたよりも不便だ。  きっかり一時間でアパートの前に黒塗りの車が停まった。  俺はタバコを咥えたまま家を出て、その車の後部座席に乗り込む。 「一応禁煙車なんですが」  加藤が無表情で言ったけど、知らん顔してやった。途中、ユキにメールを送った。用事があって出掛けてるとだけ伝えておく。  一時間程揺られて着いたのは、見るからに高そうなホテルだった。 「最上階」  加藤はそれだけ言うと、車に乗ってどっか行った。置いていかれた子どもの気分だ。  エレベーターに乗る。最上階は一部屋しかなく、ここで一番良い値段がするらしい。  そこで迎えてくれたのは、アメリカ人の顧客のひとりだ。アニキの会社のお得意様というやつで、でっぷりしたビール腹のヒキガエルみたいな顔のおっさん。  おっさんは英語で色々捲し立てた。左手はどうしたの?とか、ピアスの数がすごいねとか、怪我は仕方ないけど、自分の身体を大事にするんだよとか、トンチンカンなことを言ったりもした。  ネイティブな英語は、やっぱり理解が難しいなと思っている間に、おっさんは遠慮なく俺の全部を取り払った。  素っ裸にした俺を、アホほど大きくてフカフカのベッドに押し倒して、また英語で困ったように話し出した。日本は好きだけど言葉が通じなくて不便だとか、飲食店はまだマシだけど風俗に入り難いとか、日本人の男の子としてみたかったとか言った。  だから俺は、男の子って年齢でも無いよと言ったら、おっさんはニコニコ笑っただけだった。  要するに、アニキはこのお得意様を喜ばせようと、多少英語がわかる俺を派遣したわけだ。兄曰く、対等な取り引きの結果生じた俺の労働のひとつ。  別にいい。これはただの労働。俺のために大金を出した兄への、返済のひとつ。  おっさんは太っているからか、指もアレも太かった。  指二本の圧迫感は思わずゾッとするほどだった。フライトの時間が、と言いながら急いでいるようで、あまり馴らしもせずに突っ込んできて、俺は呼吸が止まるかと思った。  おっさんが好き勝手に押し広げて動き回って勝手にイクまで、俺は何も考えないようにしていた。  結局俺は、ユキを裏切り続けてしまう。  アニキは黙っていればバレない。バレなければ動画のことも言わなくて済むと言った。  その通りだと思った。だから従うことにした。  自分で選んだとわかっている。  ユキにあの動画を見られるくらいなら死んだほうがマシな気さえする。捨てられるくらいなら、なんだって耐えられる。多分。  おっさんが二回目の射精を終えて、俺の中から出て行った。笑顔で何事か言って、シャワーへ行ったようだ。  虚しい。  セックスがこんなにも虚しいものだと思ったのは初めてだ。  疲れた身体を動かし、服を着てからさっさと部屋を後にする。  ホテルから出ると、まるで見張っていたかのように加藤の車が近付いてきて、俺はまた無言で揺られ、アパートへ帰り着く。  自室の前、扉を開けようとする自分の手が震えている。  大丈夫。バレないから。ユキは俺の前から消えたりしないから。  だから大丈夫。  でももしダメだったら、今度こそ真剣に空を飛ぶことにチャレンジしてもいいかもしれない。

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