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年越し2
★
ピンポーンと、呼び鈴がなったのは、朝も早い時間だった。具体的には午前7時。当然俺はまだベッドから出られないでいた。
「マーキ!もう悠哉来たぜ?」
「んー」
しゃあねぇヤツ、と呟いて、ユキの力強いのにしなやかな腕が伸びてきて、布団の中へ侵入。慣れた動作で俺の脇にその腕を差し込み、ベッドから引き摺り出す。
「子どもか」
「頭脳は大人だ」
「逆だろ」
ヒデェ。
「くだらんこと言ってないで歯磨きしてこいよ」
「んー」
前日のくだらないパーティーで飲みすぎたのと、寝不足のダブルパンチで、フラフラしながら身嗜みを整える。シーネで固定された左手が不自由だが、慣れてくるとなんとでもなるものだな、と思った。
いつも通り、適当に服を着てからユキが最後に俺の頭をくしゃっとして(もともとクセっぽいのをさらに酷くされる。でもそれがいいらしい)準備完了だ。
「遅ーい!」
玄関を開けると、悠哉がまるで待ちくたびれた彼女みたいな声をあげた。
「逆になんでそんな元気なんだよ…」
「兄ちゃんほど飲んでないし、二十代前半と後半では若さが違うんだよ」
「グハッ!言い返せねぇ!」
「もー行くよ」
悠哉の腕が俺の左腕を絡めとる。荷物を持って戸締りをしたユキが、俺の右腕を絡めとる。
「ちょ、歩き難いんだけど」
という俺を無視し歩き出す。まるで捕獲された地球外生命体の気分を味わった。
悠哉の車は黒光する国産ファミリーカーで、内装も革張りのもので揃えられ、なんだか負けた気がした。
3列シートの最後尾にトモちゃんと泉ちゃんが既に座っていて、真ん中のシートに俺とユキが並んだ。荷物を積んでも、まだまだ広さに余裕があった。
「おはようございますマキ様!ユキさん!」
朝から元気のいい泉ちゃんだ。トモちゃんは朝が弱いのか(俺が言うのもなんだけど)、まだ眠そうな顔で会釈してくれた。
車は悠哉の運転で隣の街へ向かう。アヤちゃんを拾うためだ。
「マキ様は運転されないんです?」
泉ちゃんが興味津々で声を上げ、俺はユキの視線を避けながら答える。
「今免許取り消し処分中」
「「え?」」
泉ちゃんとトモちゃんの声が被った。ユキの視線が怖い。
「兄ちゃん、バイクで免停くらい過ぎてついには取り上げられたんだよね」
「もう取り返す気は無い」
ユキの無言の圧力が怖い。二度と運転するなと言われている気分だ。
「ゆ、ユキは免許持ってんの?」
恐る恐る聞いてみる。
「一応。ヒモやってた時に取らせてもらった」
「へぇ…」
「だからマキが今後一生運転する必要はないから」
「あ、おう…そうだな」
それから20分程でアヤちゃんちに着いた。アヤちゃんは玄関前ですでに待っていて、やっぱりどう見ても歳上のお姉さんという雰囲気だった。
夜職の人間の美意識を、少しは見習うべきなのかもしれない。
アヤちゃんが助手席に乗り込むと、いよいよ別荘へと向かうために高速に乗った。
高速の途中でサービスエリアに寄った。遅めの朝食と早めの昼食という時間帯だった。
悠哉と泉ちゃんとトモちゃんがサービスエリアにありがちなテイクアウの食べ物を買い、アヤちゃんは地酒を試飲して歩いていた。
俺はユキに右手を引かれ、ソフトクリームを買った。チョコ味の、巻き巻きされたソフトクリームだ。
冬場だったけど、車内の暖房に当てられて、少し気分が悪かった。それをユキにだけ言ったら、ソフトクリームがちょうどいいと言うことになった。
「ユキ…手、離せよ」
「なんで?」
「左手じゃ持てないから」
と、さっきからずっと抗議しているのに、ユキは俺の健康な右手を握ったまま離してくれない。そんなユキの右手には、俺のチョコソフトが握られている。
今にも雪が降り出しそうな空だったけど、茹った頭にはちょうどいいくらいの寒さだった。
その辺のベンチに並んで座って、ニヤリと笑うユキ。
「はい。オレが持っててやるから」
顔の前に差し出されるソフトクリーム。どこで買っても同じようなものに見えるのに、なんでかサービスエリアでは倍近い値段がした。
「食べないの?」
ユキのイジワルも、外では倍増する。
「……食べる」
「どうぞ」
睨んでも、ユキはニコリと笑う。
仕方ないから、ユキのイジワルに乗ってやる。舌を出してソフトクリームをペロッと舐める。外気の冷たさと、ソフトクリームの冷たさが心地よかった。少しビターなチョコの味も今の気分にちょうどいい。
「ちんこ舐めてるみたい」
「うるへぇよ!!」
言うと思った。というか、やらせてるのはお前だろと言いたい。
「マキ、目瞑って」
「ん?」
言われた通りにする。
「舌伸ばして」
一体何をさせられているのか。俺は普通にソフトクリームが食べたい……
舌を伸ばした先。冷たくて甘いチョコ味。それを、熱いものが邪魔してくる。
「んふ…ぁ…」
ユキのキスはすぐにわかる。言葉で好きと言われるのと同じくらいの、あったかい気持ちを感じる。好き。大好き。愛している。俺も同じだ。俺の気持ちは、このキスでユキに届いているのだろうか。
口に出して伝えたいと思った時には、もう伝えられない。もう俺が言う資格はない。
「チョコ味のマキ」
「お前もチョコ味だっての」
数センチ先のユキの体温が、ものすごく遠くに感じる。涙が出そう。もうこのまま死にたい。
今即死できるのなら、方法はなんでも構わない。
「涙」
ユキの不思議そうな声と眼差し。胸が痛い。息苦しい。吐きそう。
俺はユキの手を振り払って、公衆トイレに走った。
衝撃で地面に落ちたソフトクリームが、俺の人生を表しているみたいで怖かった。
☆
「ぅ…ゲホッ…はぁ、はぁ」
苦しげな音。公衆トイレの、いくつか並んだ個室の一番奥で、マキは自分の口に指を突っ込んでいた。
「マキ、やめろよ…もう何も出ないよ」
手を引き離す。暴れるマキを強く抱きしめる。
「離せよ!全部っ、全部ださないと…俺の中汚いから…はっ、ぅぐ…ユキのじゃないヤツ、全部ださないと……」
「もう無いよ。マキはオレのマキのままだから」
結局オレは、未だにあの日何があったのかを、詳しくは知らない。こんな状態のマキに聞こうとも思えない。
想像するのも腹立たしい。こんな風にしたヤツを、オレは絶対に許さない。
しばらく強く抱きしめていると、フッとマキの身体から力が抜けた。静かな嗚咽だけが個室に響く。
「ごめん…もう、大丈夫だから…」
袖で乱暴に涙を拭い、立ち上がったマキは酷い顔をしていた。その目は、オレを見てもいない。
「マキ」
ん?と、振り返ったマキの顔は相変わらず酷いけど、さっきまでの取り乱した様子はもうなかった。
「行こ、ユキ。そろそろ戻らないと」
「うん」
オレは慌ててマキの後を追う。酷い顔を、水道で洗ってやるのも忘れない。されるがままのマキは、まるでイヤイヤする猫みたいで可愛かった。
あの日からずっとこうだ。
突然取り乱しては、唐突に元に戻る。きっかけがなんなのかは、大体予想はついている。
マキが何かを言いたそうな時だ。キスでも、セックスでもなく、その時は突然やってくる。
オレはそれが何なのかをまだ知らない。マキにとって重要なのに、口に出せない何かを、ただ待っているしかできない。
車に戻ると、すでに他のメンバーも戻っていて、オレはマキの手を引いて中へ押し込んだ。
「兄ちゃん、体調悪い?」
さすがブラコンの悠哉だ。運転席から振り返って、目敏くマキの不調を言い当てやがった。
「昨日飲み過ぎたのと、朝が早かったので死にかけだ」
「なるほどね」
オレは適当に理由を言う。マキはあえて否定しない。面倒、とか思っているんだと思う。
別荘までの残りの道中、マキはオレの膝に頭を乗せて目を閉じていた。長いまつ毛に残る濡れた跡が艶かしい。
オレはずっとマキの柔らかい髪を撫でていた。途中、かーちゃんがニヤニヤしていたのにも気付いていたけど、今更人の目なんて気にしない。
マキを苦しめるのはなんだろう。
もちろん、ジュンが原因なのはわかっている。
でも、それだけじゃない。それは一端に過ぎない。
考えられるのは、マキとマキのアニキが話をしたあの日だ。
オレは気付いてる。マキには言わないけど、ふと見えた耳の後ろや、髪の生え際に、オレのじゃない跡があるのを知っている。
マキ。オレのマキ。
耐えられないのなら。
生きていることを耐えられないのなら、いっそオレが殺してやった方が楽になれるのではないか。
っていうのは冗談としても。
なんにせよ、まずはマキを辛い目に合わせたヤツを殺してから考えよう。
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