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年越し3
★
別荘はこれといってなんの取り柄もない湖畔の、パニック映画に出てきそうなひっそりとしたものだ。
六人が別々の部屋を使えるくらいには広く、週二回管理人が清掃しているため清潔。
ただそれだけの別荘だけど、俺は毎年夏になるとオヤジとここでバス釣りをした。多分、中学に上がる前まで。
内装は古めかしくて(レコードとかある)、バブル期に勢いで買ったんだと丸わかりだが、別荘という特別感が古めかしさを押し隠す。
途中で寄ったスーパーで大量の食料を買い込んでいたから、別荘につくなり俺たちはさっそく酒盛りを始めた。
時刻は昼を過ぎたあたりで、アヤちゃんがアイランドキッチンに立って色々つまめるものを用意してくれた。
泉ちゃんの人懐っこさもあって、いつのまにかキッチンはガールズトークで盛り上がり、俺たち男が入れるような雰囲気ではなくなった。しかたなく四人で湖畔まで散歩しにいったりして、年越しのまったりした時間を過ごした。
夕方になると、それぞれお気に入りの飲み物を片手にコの字型のソファに座って、テーブルに広げた大量の食べ物を囲んだ。
「マキ、ペース早い」
途中、ユキにグラスを取り上げられ、周りに失笑されていると、泉ちゃんが片手を上げて言った。
「あの、あれ触ってもいいですか?」
と、指をさす先には、壁にかけられたギターがあった。古いデザインのものだけど、確かウン十万とかしたはず。そんなのがいくつか並んでいる。
「いいぜ。そういやあの曲、弾けるようになったのか?」
「まあ、ボチボチです」
泉ちゃんがさっそくギターを壁から外し、弾こうかどうしようか、という顔をした。
「泉ちゃんちょい待って」
「はい?」
そのギターを悠哉が取り上げ、あっという間にチューニングを済ませてしまう。その様子を、顔を赤くした泉ちゃんがボーッと眺めていたから、俺はピンと来た。
同時に複雑な心境になった。
トモちゃんも悠哉狙いなのに、と。どうでもいいけど。
「では、恐縮ですが」
後に引けなくなった泉ちゃんが、スッと息を吸ってから歌い出す。古くなったギターの音色は少々残念だったが、難しいと言っていた曲を少しのミスのみで弾いた。
「いいわね、楽器のできる子って」
アヤちゃんがワイン(セラーから勝手に取ってきたヤツ)を飲みながら微笑む。
「でもでも、マキ様の方が上手です…あたしはまだまだ鍛錬がたりません」
「鍛錬って…」
と、トモちゃんが微妙な顔をする。
「兄ちゃんは昔から得意だったよね。ギターもピアノもヴァイオリンも、僕も見様見真似でやったけど、父と兄ちゃんの演奏を聴く方が多かった」
この別荘には他にも沢山の楽器がある。もともとオヤジが好きで集めていて、それなりになんでも弾いていた記憶がある。
「持ってってもいいぜ」
「え?」
泉ちゃんが戸惑った顔をした。
「その辺の好きなの持って帰ってもいい。もう誰も触らないから」
「いいんですか!?」
「ん」
「ダメだよ泉ちゃん。高価なものを戴いちゃ」
驚きと嬉しさの混じった声を上げる泉ちゃんを、トモちゃんが諫める。まるでお母さんだ。
「いや、ここにあっても仕方ないし。それに多分、俺はもう弾けないから」
「どういう事だ?」
ユキが怪訝な顔を俺に向ける。どういう事、と言われても。
「指、前みたいに動かない。楽器は出来ないってさ」
シーンとしてしまった。
「……その指、どうしたんですか」
トモちゃんが今更ですが、と聞いてくる。
俺はいつものようにヘラヘラ笑って言った。
「転んだの。酔っ払って」
ユキの手が俺の膝を摩る。お前がそんな顔をしたら、ウソだってバレるだろと思うけど、例え本当のことを…レイプされて折られたと言っても俺は平気だ。俺が悪いから、仕方なかったと言える。でも傷付くのはユキだ。このウソは、ユキのために吐くウソだ。
汚い俺を大切にしてくれるユキが、嫌な目を向けられないように吐くウソだ。
「もー、そんなの、また練習すればいいでしょ?あたしはマキちゃんのヴァイオリン聴きたいんだけど!!」
アヤちゃんがソファの端からにじり寄ってきて、前みたいに俺の頭をギュッとした。大きな胸(多分豊胸)に顔を埋められ、息が苦しい。
「人生が長いのはさ、ひとつ出来なくなった分、違う何かにチャレンジできるようにそうなってんのよ」
「アヤちゃんが言うと重い」
「でしょ?大人のいう事は、自分にとって都合の良い時には正しいのよ」
無茶苦茶だと思った。でも、そんなアヤちゃんはやっぱり優しい。優し過ぎて、汚い俺は胸が痛い。
「違う何か…にはチャレンジしてるよね、兄ちゃん」
悠哉が余計な事を言い出したのはわかった。
「それって、最近ちょくちょく出掛けてるのと関係してるのか?」
「そ。兄ちゃん今うちの会社で働いてるんだよ」
え?と、ユキだけじゃなくて、トモちゃんも泉ちゃんも驚いた顔をした(失礼なヤツら!)。
俺はアヤちゃんの胸から解放されて、慌てて取り繕う。
「働いてるっていうか、ちょい手伝ってるだけだ」
「でも大切な業務のひとつだよ。海外の顧客に直接会って相談に乗ったりしてるんでしょ?」
「まあ…大抵は希望を聞いてそれにそった商品を紹介してるだけだけど」
ユキにはアニキの手伝いすることになった、意外なにも伝えていなかった。不定期だし、特に長時間留守にするわけでもないから、今まで誤魔化せていた。
「ニートじゃなくなったんなら、よかったじゃないですか」
トモちゃんの冷たい視線に、少しの暖かさが混じる。
「俺はプロのニートに戻りたい」
「プロのニートって…ぼくもなりたいですよ、そんなん」
「え?」
あれ?と思ったのは俺だけじゃなかった。
「ト、トモくん?」
「なに?」
「トモくんはニートになりたいとか、言うタイプじゃなハヒッ!?」
バァン!と大きな音がして、泉ちゃんが飛び上がる。テーブルを叩いたのは、トモちゃんだ。
「クソッ、底辺が仕事しだしたら、一体誰を見下して生きりゃいいんですか!?」
ドチクショーと頭を抱え、次の瞬間にはコップに入ったアルコールを一気飲みした。
「トモちゃんが……」
「壊れた」
明らかに酔っ払ってらっしゃる。そういやトモちゃん、ブランデーが気に入ったようで、ひたすら静かに飲んでいた。
そりゃそうなりますよね、と思う。
アヤちゃんは俺の隣でヒィヒィ言いながら笑っていた。
「真面目そうなのに!豹変とかウケる!」
「かーちゃん、笑ってる場合じゃないから」
トモちゃんが泉ちゃんに向かって、なんで働くことがそんな大事なんだ、とか、ぼくには趣味も特技もありませんよつまらない人間ですよ泉ちゃんは楽器ができていいよな、とか、鬼のように絡みだす。
「た、助けてくださいいいい」
今にも泣き出しそうな泉ちゃんを見て、また俺たちはゲラゲラ笑った。可哀想だけど面白い。
「もー、これだから酔っ払いはキライなんだよ」
兄ちゃんしかり、父さんしかり、と言いながら、悠哉が立ち上がる。
「トモちゃん、もう寝たほうがいいよ?ほら、こっちおいで!!」
「やめてくださいよ先輩…というか、先輩なんで大学来ないんですか?心配したんですけど」
「はいはい…暇があったら行くから」
そんなやりとりをしながら、トモちゃんは寝室へと連れて行かれた。
「あれは朝まで出てきませんよ…泉の第六感がそう告げています」
「あははっ、なんだよ、その第六感って」
「マキ様とユキさんに働くヤツですよ」
泉ちゃんは相変わらずよくわからんが、とりあえず話が逸れて助かった。
その後も、俺たちはくだらない話でゲラゲラ笑いながら飲みまくった。何を話していたかは、飲み過ぎて覚えてない。気が付いたらユキに抱きついて寝てた。ちゃんとベッドの上だったけど、自分で歩いたのか、運んでくれたのかはわからなかった。
年越しに来たはずなのに、俺は年をどうやって超えたのか、まったく記憶に残ってなかった。
ちなみに、悠哉は本当にトモちゃんの部屋から出てこなかった。泉ちゃん、恐ろしい子。
★
翌日、昼前に起き出し、シャワーを浴びた俺とユキがキッチンに向かうと、アヤちゃんはすでにメイクも完璧で雑煮を作っていた。
「お節も完璧よ」
「さすがかーちゃん」
泉ちゃんはひとりテラスに出て、いつのまにかうっすら積もった雪で小さな雪だるまを作っていた。
「悠哉とトモちゃん起こしに行こうぜ」
と、ユキが悪い顔をして言うので、俺もニヤリと笑ってから寝室に向かう。寝室は二階で、トモちゃんの部屋は一番奥だ。
出来るだけ音を立てないようにドアを開け、そっと薄暗い室内に入り、視線を向ける。シングルの狭いベッドの上、上半身裸のトモちゃんと、きっちり服を着たままの悠哉がいた。
「なんだよ、つまんねぇの」
「スッポンポンだったらそれはそれでマズいけどな」
俺たちは笑いを噛み殺しながら、二人を叩き起こし、頭痛に呻くトモちゃんと起きた瞬間からいつも通りの悠哉を連れてリビングに戻った。
全員が揃ったところで、アヤちゃんの作ったお節と雑煮を食べた。アヤちゃんの料理は優しい味がする。
しばらく正月のまったりした雰囲気を味わって、帰り支度を済ませた。
短い滞在だったけど、俺にしては賑やかで充実した年越しだった。
帰り道、途中にある神社へ初詣に行くことになった。濡れたアスファルトの上を慎重に運転する悠哉が向かったのは、小さい頃にオヤジと来たことのある大きな神社だった。
有名な所で、多くの人が列をなして歩行者天国を歩いている。ジリジリ進む車の列に並んで、駐車場へ入る頃にはすでに辺りは薄暗くなっていた。
「先輩も行ってください」
「いいよ、僕は別に行きたいわけじゃないから」
と、軽く言い合っているトモちゃん(酷い二日酔いで死んでる)と悠哉(世話焼き)を置いて、人並みの中へと足を進めた。
泉ちゃんとアヤちゃんは、途中の屋台に足を止め、俺はユキに手を引かれて先へ進む。
「ユキッ、どこいくんだよ?」
途中で気付いたが、ユキは人の波に逆らって、本殿とは別のところへ行こうとしていた。
一方通行というわけでもないのに、俺たちが通ると、周りの人が嫌な顔をする。声を掛けてもユキは足を止めてはくれず、握った手に籠る力も強かったからついていくしかない。
イカ焼きとかフランクフルトとかの良い匂いがするたびに、ちょっと心が惹かれてしまうのを我慢して、提灯の明かりに照らされてキラキラ輝くユキの髪を見つめていると、スポッと人混みから抜けた。
思わずユキの背中に追突する。
「おわっ」
「ごめん。手、大丈夫?」
思わず軽く突き出した左手に、鋭い痛みを感じたが、俺は小さく首を横に振った。
「問題ない…それより、ここどこだよ?」
突き抜けてきた人混みがウソのように、石畳で舗装された道と、今いる木の根が剥き出しの場所では世界が違うくらい静かだ。
木立の向こうは人の世で、人から身を隠す妖怪にでもなった気分だ。
提灯がひとつふたつあるから、ここも間違いなく参拝できる何かがあるのだろうけど、俺たち以外の人影はない。
「初詣なんてなんの神様にあいさつしたって一緒だと思う」
「ま、まあ、そうなのかもしれんけど」
無神論者の俺には判断がつかない。正直、寺と神社の判別も難しい。興味がないものに関しては、俺はとことん無関心であることを自覚している。
「オレはマキと、こっちの神様にあいさつしとこうと思った」
「は?」
ユキがまた俺の手を引いて歩きだす。今度はゆっくりと、俺が足元のベチャベチャの土とか木の根に躓いたりしないように、気を配ってくれているのがわかった。
木立の中を少し進むと、開けた場所にでた。小さなお屋代がポツンとあって、左右の木に提灯が吊り下げられている。お屋代の前には、男女が1組お参りをしていたけど、俺たちに気付いて去っていった。
俺はそのお屋代の前に立つ旗竿を見て、思わず吹き出した。
「ユキってアホだよな、マジで」
「ここは感動して…てのも違うか…ともかく、アホって言われるのは違うと思う」
ムッとした顔で振り向いたユキに、申し訳ないけど笑いが止まらない。
「夫婦じゃねぇだろ」
「夫婦みたいなもんだろ」
「家庭なんて築いてねぇよ」
「これから築いてくんだよ」
「ムリだろ」
「そう思ってんのはマキだけだよ」
俺はまた一通り笑って、笑い過ぎて涙が出た。それを、ユキが袖で拭ってくれる。
そのお屋代は、いわゆる縁結びの神様が祀られているもので、掲げられた旗竿には『夫婦円満』とか、『家庭円満』とか、こそばゆいことが書かれてあった。
法律上も宗教上も曖昧で認められない関係なのに、新年そうそうに、神様に嫌がらせをしている気分になる。
「オレは神様に感謝して、これからもマキのそばにいられるようにお願いする」
「願い事って人に言っちゃダメなんじゃなかったっけ?」
「そうだっけ?」
「さあ」
ユキに手を引かれて、賽銭箱の前に立つ。
「いくらが効果的なのかな」
「知らねぇ。財布の中身ブチ込んどきゃいいんじゃね?」
「それはダメだろ。帰りにイカ焼きとフランクフルト買わないと」
なんでわかったんだろ?
ユキは時々、俺の心を読んでしまうから恐ろしい。そのうちバレてはいけないところまでバレてしまいそうで、本当に恐ろしい。
「じゃあ五百円くらいでいいかな」
「タバコ一箱分くれてやれ」
「そういうこと言ってると、神様にキレられるぜ」
「そもそも、俺は神様に見放されてるからいいんだよ」
財布の中には、ちょうど五百円玉が二つあった。
黙ってそれを投げ入れて、作法もクソもなく手を合わせて目を閉じる。
……フリをして、俺は目を閉じたユキの横顔を見つめた。
神様に何かを感謝するほど、人生は楽しくない。何かを願えるほど、良い人間でもない。
選択と後悔の連続である俺の人生に、神様は手を差し伸べてはくれない。全部俺が悪いからだ。自業自得。突然振って湧いた不幸ではなくて、全部身から出た錆だ。
だったら目の前の、いるのかもわからない神様よりも、ユキの横顔を見ている方がいい。
ぱちっと目を開けたユキが、ニヤリと片方の眉を上げて笑う。
「マキはオレの顔好きだよな」
「顔とちんこで選んでるんで」
「神様ききましたか!コイツはこんなやつですけどオレは大好きなんで幸せにしてください!」
「ヒデェ」
こんなヤツだから、悪いけど幸せにはなれないんだよ。
また手を引かれて、きた道を戻る。あと二、三歩で人の世に戻るところまで来て、ユキが突然立ち止まった。
ギュッと抱きしめられ、自然に合わさる唇に、ほんの少し、今までにない感情が芽生えたのに気付いた。
これは口に出してはいけないものだ。
一緒にいることが、しんどいなんて、絶対に言ってはダメだ。
こんなにも大切にしてくれる人に、俺のわがままは言えない。
☆
アパートに帰ってきたのは、日付が変わる前だった。
「疲れた…」
「なんもしてないだろ、マキは」
「確かに」
ドサっとベッドに飛び込んだマキは、ついでというように大きなあくびをこぼし、枕に顔を埋めた。
「トモちゃん、面白かったな…」
くぐもった声に、オレも酔っ払ったトモちゃんを思い出す。
「あんなになるとは思わなかった」
「また誘おうぜ」
「断られると思うけど」
「俺の誘い断るなんて許さん」
洗濯物や残った食材を冷蔵庫に入れたりしていると、マキのスマホが鳴った。
「マキ、鳴ってるぜ」
「知ってる…どうせ加藤だ」
「仕事の?」
「ん。アニキの秘書…無愛想で怖い」
と言いつつ、手を伸ばしてテーブルの上のスマホを取る。ロックを解除することもなく、チラッと見てまたテーブルに投げる。
代わりにタバコを取って咥え、大きく煙を吸い込んだ。
「明日朝8時に起こして」
「いいけど…なんの仕事?」
しまった、と思った。いつも、適当にしている会話の流れで、深く考えずに聞いてしまった。
「教えなーい」
「子どもかよ」
茶化すように言ったマキにため息をついて、ベッドの端に座る。タバコを咥えるマキの頭を撫でつつ、内心でホッとした。
深刻な空気になったらどうしよう、と思ってしまった。
「ま、ただの商談だろ。自由に動けて英語がわかる俺はアニキにとって都合がいいんだよ」
「そっか」
「寂しいのかこのヤロー」
「当然だろ」
マキのニヤニヤした表情に、心はそんな気分じゃないのに、下半身は正直に反応してしまう。
「慰めてやるな、ちんこだけ」
「本体も慰めてよ」
「こっちが本体じゃねぇの?」
わざとらしく驚いた顔をするマキに、オレはまたため息を吐き出した。
「もう黙ってろよ」
「はいはい」
タバコを消して服を脱ぐマキが、一瞬辛そうな顔をしたのを、オレはどう受け止めるのが正解なのだろう?
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