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お遊び2

★ 「ドリアがオススメと言ったのはキミじゃなかったかな」  デレクが安っぽいスプーンを上品に動かしながら言った。四十代前半の品の良い紳士だと思っていたのに、今日はなぜかファミレスに入りたいと言いだした。 「ドリア…」  確かに、俺は適当に、ファミレスなんて何食っても一緒だと思ってそう言った。真剣に考えるのが面倒だったのも認める。  でもその料理が運ばれてきてから、どうしようもない吐き気を感じて、食べようという気にならなかった。  ユキのドリアは、珍しく失敗が生み出した成功作だった。何かが足りないのに、俺はそれを旨いと思った。  クリスマスの日にも、ユキはドリアを作って俺の帰りを待っていた。  ……俺は今、何をしているんだろう?  こうやって何をしているのかもわからない時間が続いたら、本当に全部わからなくなるかもしれない。  いっそそうなってしまった方が、死ぬよりも楽なのかもしれない。  現に苦しさを感じると同時に、それに身を委ねてしまいたいような、変な虚脱感を感じる。 「…修哉!落ち着いて、ゆっくり呼吸してごらん」  叫ぶようなデレクの声に、やっと状況を理解した。  俺は胸を抑えて、涙をボロボロ流しながら、荒い息を吐き出していた。その右隣で、床に膝をついたデレクが心配そうに俺を見上げている。 「はっ、はぁっ…ぅ、はぁ」  大丈夫だよ、と抱きしめてくれるデレクの胸は広くて、頑丈で、暖かくて、不安もなにも感じないようにしてくれるようだった。  抱えられるようにファミレスを出て、デレクの借りたレンタカーの後部座席に横になると、しばらくして気分も少し落ち着いた。 「ごめん。迷惑かけた」  不甲斐ない自分が恥ずかしい。 「気にしなくていいよ。というより、今日は朝から気分が悪そうだったのに、キミといる時間を優先させてしまった私が悪い。家まで送るよ」 「それはダメだ!俺はもう大丈夫だから、今日の予定を済ませよう」  顧客に気を遣わせたと知れたら、後でアニキに何を言われるかわからない。 「……差し出がましいようで申し訳ないけれど、キミは何を抱えているのかな?」 「車出せよ」  運転席の背を蹴る。デレクは肩を竦めてエンジンをかけた。  動き出した車は、そのまま幹線道路をまっすぐ進んで、一番近くのインターチェンジから高速に乗った。  今日、俺たちは日本ワインの生産者に会いに行く約束をしていて、その内の一軒目を済ませて昼食のためにファミレスに寄っていた。今から高速でもう一軒回るつもりだった。  事前に試飲してその二軒に絞ったのはよかったが、デレクがどうしても生産者に会いたいというから、わざわざ遠出する羽目になった。 「まさか、日本でまた運転する事になるとは思わなかった」 「仕方ないだろ。免許ないんだから」  デレクは日本に住んでいたことがあるそうで、交通ルールも完璧だ。 「それで?」  バックミラー越しにニコニコしたデレクの顔が見える。  はやく話してごらん?と促されているようだ。  デレクとの契約期間は一ヶ月。あと一週間程だ。  それが終われば、デレクとはしばらく会わないだろう。顧客だから繋がりはあるだろうが、個人的な繋がりは消えてしまう。  などと、それらしい理由を考えてもみたけど、本当のところは、この苦しい胸の内を、誰かに話してしまいたかったのかもしれない。 「去年の12月24日に」  クリスマスイブと明言するのは避けた。なんとなく、口に出せなかった。 「昔の友達に呼び出されて…俺は言われた通り待ち合わせの場所に行った」  それから、起こったこと、この指の怪我の理由(デレクにも転んだと伝えていた)、そして、自分の醜態と後悔、その後にアニキと交わした取り引きのことをを、洗いざらいぶちまけた。  話してみるとわかったけど、なにひとつ楽にはならなかった。理由は多分、相手がユキじゃないからだ。  俺は話している間ずっと腕で顔を覆っていて、デレクが何か言葉を発するのをビクビクしながら待っていた。 「その話を、パートナーには言えていないんだね」  最初にデレクには恋人がいると話してある。その上での付き合いだった。 「言えねぇよ…俺はもともとクソだったわけだし、全部自業自得だった。悪いのはそんな人生を歩んできた俺だ」  どうしようもない吐き気と、胸の痛みが襲ってくる。  もう死にたい。でも、死ぬのならユキの手で殺して欲しい。悲しみでも、怒りでもなんでもいいから、ユキの手に触れられて死にたい。 「修哉はお遊びが得意なんだと思ってたよ」 「俺も、ユキと出会うまではそうだと思ってたよ」  例えばユキと出会わなかったら、こんな思いをすることもなかったのだろうけど。  ユキと出会ってから知ったものの方が多いのは確かだ。 ☆  相沢は駅前のコーヒーショップの窓際の席で、二杯目のコーヒーを注文した。  オレはそれを見て、トイレ行きたくなるなぁ、なんて思った。コーヒーの利尿作用は半端ない。 「けっこう時間かかってすまんな、ユキ」 「かかりすぎだっての」 「ごめんって」  そのせいでマキとの関係が終わってしまいそうだ。 「なあ…柳瀬にあってどうする?」  相沢がコーヒーに口をつけながら言った。 「殺す」 「ブッ!?ちょ、ちょいちょい…それはダメだ」 「なんで?」 「なんでもクソもないでしょ」  はー、これだからアホは…と、相沢が頭を振った。 「ユキは、人を殺したらどうなるか知ってるよな?」  「スッキリする」 「お前は小学校からやり直せ!」  そうはいうけど、マキを苦しめたヤツを殺しても文句を言うヤツはいない。ハズだ。 「ともかくな、二、三発殴るのはいいけど、息の根を止めてはいけない」 「約束しかねる」 「おれに約束しなくていいけど、国の法律に従ってくれると助かる」  国の法律でマキを助けられるのならそうする。でも、法律は何もしてくれない。あんまり法律知らんけど。バカだから。  そんな話をしていると、目の前のロータリーに柳瀬が通った。  意図していない神経系が働いて、オレの頬の筋肉がピクピクと反応する。  殺してやろうか、本当に。チャラチャラした格好で、ダチ連れて笑いやがって。死ねよ。 「派手なヤツだな」 「どっかの妖怪と悪魔のハーフなんだって」 「ものすごいイラついてんな、お前」  当然だ。 「追いかける?」 「もちろん」  頷いて、オレと相沢はコーヒーショップから出た。  相沢が頑張って探ってくれた情報で、柳瀬を見つけることができた。その時にわかったことだが、柳瀬は完璧有罪のエロビデオを売っているらしかった。  家が傾いて食うに困った柳瀬は、そういう映像を撮って稼いでいるのだそうだ。  相沢のツテで柳瀬のお得意様だというヤツにたどりつき、ソイツがいつも映像を買う場所に呼び出してくれた。ちょっと脅したらいうことを聞いてくれたので助かった。  何も知らない柳瀬がオレの数メートル先をノコノコ歩いている。後ろから飛びついて、息の根を止めてやりたいのをグッと我慢する。  強く握りしめた拳から、ポタポタと血が流れているのを、気付いていてもどうしようもない。 「ユキ」 「あ?」 「くれぐれも、殺さないようにな」  念を押す相沢に、でも返事をする余裕はなくて、柳瀬が消えた空き地へと侵入する。  柳瀬は二人の連れと共に、腰丈の雑草が生茂る広い空き地を抜け、ボロボロの廃屋の中へ入って行った。廃屋というより、高い屋根とトタンでできたそこは、廃工場と言った方が正しいかもしれない。  オレは相沢が止めるのも無視して、その廃工場へ入った。  ガランとした屋内。緩く差し込む日差しに、キラキラとホコリが舞う。  視線を動かし、柳瀬の姿を捉えると同時に、向こうもオレに気付いた。 「あれ?お前…誰かと思ったらマキの彼氏じゃん」  ニタニタと笑う柳瀬に向き合う。コイツの視線を感じるだけで怒りが爆発しそうだった。 「こんなとこで何してんの?おれら今から大事な話があるからさ、消えてくんね?」  自身の優位を確信したような物言いは、連れの二人がいかにもな外見(腕に刺青が入った筋肉質な男だった)をしているからだろうか。  柳瀬は廃工場の隅に、不自然に置かれたボロボロのソファに腰掛けている。 「その大事な話の相手は、生憎だけどオレなんだよ」 「は?」  しかめっ面の柳瀬に、どす黒い感情をそのままぶつける。視線で殺せるなら、柳瀬はもう二度ほど死んでる。 「マキに何をしたんだ?」  一番に確かめたかったことだ。大体予想はついているが。 「アイツ元気?」 「は?」  柳瀬は相変わらずニタニタと笑い、タバコを取り出すとゆっくりとした動作で火をつけた。甘ったるい、外国のタバコの匂いがした。 「マキの身体見た?俺ならあんな事されたら自殺するね!だって消えないっしょ、あの跡。それにさ、アイツ全然嫌がらないんだぜ?昔からそうだけどさぁ、アイツはインランクソビッチなんだよ、病気だよ病気!!」  もう限界。頭蓋骨粉砕できそうな気分だ。 「マキってあの、ピアスのヤツ?」  刺青の男が言った。柳瀬が頷くと、その男がニヤッと口角を上げた。 「おれが一番に突っ込んだんだぜ!男相手なら加減しなくていいって言うからさぁ」 「ってか、お前女相手でも加減しねぇだろ!!」  もう一人の男がゲラゲラと笑う。  オレは自分を、たまに人間じゃないと思う時がある。人を痛ぶることに罪悪感を感じないからだ。そういった一面を知った瞬間から、殆どの人はオレから離れていく。  でも今、罪悪感を感じない事にとてもありがたいと思う。  心置きなく柳瀬たちをボコボコにできる。 「最初はイヤな仕事って思ってたけど、泣いてすがって、おねだりされたら案外男も良いなとか思っちまったわ」 「間違いねぇよ。女よりエロいとこあるよな」 「それにあの動画のお陰でかなり稼げたしよ」  そんな男たちの話を、オレは静かに聞いていた。聞きながら、少しずつ距離を縮める。 「なんだよ?」 「やりかえそうってんなら、相手してやってもいいぜ」  男二人がオレの前に立ち塞がった。でもオレの目には柳瀬しか写っていない。 「ユキ!手加減!手加減忘れんじゃねぇぞ!」  相沢がなにか言っている。聞こえないフリでやり過ごそう。  とりあえず、目の前の二人を潰さないと柳瀬に手は届かない。  もう一歩進む。男が拳を振り上げたのがわかった。胴体がガラ空きだ。よかった、今日は靴底の厚いものを履いて来て。  男より早く蹴りを放つ。腕よりも足の方がリーチが長い。男は蹴りをくらって少しひるんだ。ひるんだ隙に、もう一度蹴りを放つと、男は後ろに尻餅をついた。  イッテェ、とか言っているが、それだけでは大したダメージにならない。 「お前みたいなヤツは、もう二度と使えないようにしてやるよ」  え?と、男が顔を上げた。目があった。ただ、疑問だけが浮かぶ目だ。  オレは足を上げ、分厚い靴の底を男の股間を踏んだ。  太い腕に厳つい刺青を入れた男が、情けない悲鳴を上げた。うるさい。 「ちょ、マジで?そんなとこ普通容赦なく踏まねえよな」  もう一人の男は、顔を真っ青にして一歩後ずさった。 「オレも言いたいんだけど、恋人がいる人間を、普通複数で襲わねぇよな?」 「っ、で、でも!柳瀬がやれって、」 「じゃあなに?お前のそれ、柳瀬がそうしろって言ったら勝手に勃起すんの?すげぇな」  男がさらに後退る。 「時間が許されるならさ、マキがされた事お前らにもしてやろうかと思ったけど。オレはそんなに暇じゃない。こうしてる間にも、マキは悩んで苦しんでるんだから」  はやく楽にしてやらないと。  ヒッと息を飲んで逃げようとする男の襟首を掴む。そのまま地面に引き倒し、顔面に靴底を振り下ろす。グチュと果物が潰れるような音がした。ついでにコイツの股間も使用不可能にしてやろう。  ギャアアアっと叫び声が、わりと広い屋内に響いた。 「ユキ!やり過ぎんなって!」  相沢が叫ぶ。それで、少し冷静になる。  そうだ、オレの目的は柳瀬だ。柳瀬を殺さないと。 「まっ、ちょ!な、なあ、聞いてくれよ!おれはちゃんと報復されたぜ?な?あん時さ、マキのヤツ、ヘロヘロなクセに殴りかかってきてさ!おれ、結構大怪我したんだよ、聞いてる?」  言われてみれば、柳瀬の顔には治りかけたアザが黄色く変色した跡がある。マキの拳にも、誰かを殴った形跡があった。  それで思い出した。 「そういえばさ、マキの指折ったのお前?」  柳瀬がオレから目を逸らした。 「そっか。なら、お前も指折ってやるよ」 「や、やめろよ?今ならまだ許してやるから」 「マキは楽器が好きでさ。オレには上手いのか下手なのかわかんねぇし、興味もないけどな?楽しそうなマキが好きなんだよ…」  柳瀬がソファから滑り落ち、あわてて逃げようと立ち上がる。オレは咄嗟に足をかけて転がした。 「わかるよ。指折るって気持ちいいよな。折られる方の気持ちはわからんけど」  柳瀬の投げ出された左腕を持つ。やめてくれと泣き出した。情けないヤツ。泣くぐらいなら、最初からオレのものに手を出さなければいいのに。  バキッと、太めの枝を折るような音。ヨダレを垂らしながら悲鳴を上げる柳瀬。ほんと情けないヤツ。  全部折ってやろか、と思ったが、生憎駆け寄ってきた相沢に止められた。 「ユキ、やり過ぎんなって言ってるだろ」 「やり過ぎってなに?オーバーキルのこと言ってんなら、コイツまだ死んでないけど」 「いい加減にしろ!お前警察に捕まりたいのか?んなことになったら悲しむのはマキだ。あとアヤちゃん」  それもそうだ、と思った。オレは素直に手を離す。 「ふう…お前止めるの、おれも怖いんだからな」  相沢はそう呟いて、柳瀬の胸ぐらを掴んだ。 「んで?動画ってなに?」  柳瀬はブルブル震えながら口を開く。 「ど、動画撮ってたんだよ…あん時!いつもは、適当に焼いて売る…けど、マキの時は、アイツの実家揺すろうと思って…」 「アニキに売ったんだな?」  オレがそう問うと、柳瀬はコクコクと頷いた。  やっとわかった。あれだけ嫌っていた兄の仕事を急に手伝い出した理由が。マキのアニキは、動画を処理する代わりにマキをこき使っているということだ。  そうとわかれば、もうコイツに要はない。 「死んで良いよ」 「ダメダメ殺しちゃダメだって」  相沢が焦ったように言う。で、掴んでいた柳瀬を放り出し、ついでとばかりに拳を振り抜いた。 「おれにもやらせろよ」 「怖っ!!」 「あのさ、マキを最初に見つけたのおれなんだよ。あんな格好でさぁ、そこの道に倒れてたの見てみ?しかもダチの大切な人ってわかった瞬間の怒りとか考えたことある?」  と言いつつ、容赦なく顔面にパンチをたたき込む。  オレは相沢はサイコパスなんだと思う。昔から、キレるとヤバいのは相沢の方だ。  ふう、と満足したように顔を上げた相沢に、オレはため息を吐くしかない。 「報復完了。んで、次どうする?」 「マキのアニキに会いにいく」 「了解」  気絶した三人を残して、オレと相沢は廃工場を出た。  気が向いたら、後で救急車でも呼んでやるか、と一応考えた。

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