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お遊び3

★  無事に仕事を終え、帰路につくことができた。もう日も沈んでいて、暗い車内は重い沈黙が支配している。  デレクは二軒目のワイン生産者をいたく気に入ったようで、多分契約はそことすることになる。  ただ、向こうはデレクの英語に戸惑っていて(英語もできない日本人が悪いと思う)、何か伝達するときには、言語面でサポートしていく必要があるなと思った。 「夕食は何か希望はあるかな?」 「ない」 「キミは懐かない猫みたいで楽しいよ」 「飼い猫なんでな、一応」  助手席から、高速道路の規則的に並んだ外灯の、線を描くオレンジの光を眺めていると、デレクが急に車線を変更した。  どこに行くんだろうとデレクを見ても、ただニコリと優しく笑うだけで、答えてはくれなさそうだ。  下道に出ると、また少し無言の時間が続いた。  山間の静かな道。高速の高架下の隙間を埋めるように並んだ、きらびやかな看板やライトの建物がいくつか見えて来る。 「……まさかとは思うけど、あそこに入ろうと思ってる?」  俺は少し笑った。そんな雰囲気でもないのに、と、昼過ぎの出来事を思い出す。 「チャンスがあるとすれば、今日だけだと思うのは私だけかな?」 「弱みに漬け込もうってことなら、その通りだと思う」  煌びやかさとはうってかわって静かな建物の一つに、車が滑るように入る。車から降りると、奥のドアを開けて中に入った。 「回るベッドがないのは残念だ」 「回らないのが普通なんだって」  こういうホテルに来るのは二度目だ。古臭くて、とても清潔だとは思えないが、俺の住んでるボロアパートよりはマシだ。  後ろに立つデレクが腕を回してきて、冷たい手が、へその辺りを直接撫で回す感覚にゾワリと腰が疼く。  身長差があるから、デレクの熱い吐息を頭頂部に感じて、脳みそが蕩けて無くなりそうだ。  耳の後ろをヌルッとした感覚が這い、思わず甘い吐息を漏らす。 「キミの事情を聞いた上で、それでも私は仕事の関係を利用してキミを抱くことに罪悪感はない」 「断れないのわかっててやってんの、マジでタチ悪いよな」 「でもいつか、それが本当の愛になることもある」  結婚してるヤツがよく言うよな、ホント。  そう思うのに、弱い俺の心はデレクの言葉を否定することができない。全部話してしまったから尚更だ。  いつものデレクの部屋のベッドとは比べものにならないくらい硬いマットレスやシーツなのに、そんなことも気にならないほど、デレクの舌や指が丁寧すぎるくらいに身体を這い回り、何も考えられなくなる。  ほとんど治ってはいるが、傷のある皮膚を撫でられると、腰がビクッと反応してしまう。 「この傷、理由を知ってしまうととても悲しくなるよ。でも、同時に守ってあげなくてはと、強く思う」  俺は守ってほしいわけじゃないんだ。  ただ受け入れてくれれば、それでいい。  なんて、ユキには全てを話もしないくせに、都合の良い事ばかりを考えてしまう。  集中しろとばかりに、デレクの手が俺の衣服を脱がせていき、最後に自身の着ていたワイシャツのボタンを外す。形の良い筋肉がカッコいい。  デレクの長くてゴツゴツした指が、たっぷりのローションを絡めて後ろを弄る。掠めるたびにもどかしさと少しの罪悪感を感じた。  ツプッと指がそこに入る。 「んぅ…ぁあ、はぁ…」  デレクは指を動かしながら、形の良い唇を寄せてきて、俺は何も考えないまま与えられる深いキスに応える。  このまま何も考えず、デレクに全て身を任せられたら、俺は多分幸せだ。  少しだけ胸が苦しくなるけど、多分いつものように、気付いたらいつのまにかなくなっている程度のものだ。  デレクは俺を縛ったり叩いたりしないけど、それが普通なのだ。  酷い目にあって喜ぶ自分の方がおかしい。あの、動画の中の俺は狂ってた。  でも今は違う。それが変なのを知ってる。 「修哉」  名前を呼ばれて目を開けると、デレクの優しい笑みが飛び込んできて、流されていく自分を止められなかった。 「はぁ…デレク…俺は、こんなヤツだけど…アンタとなら幸せになれる気がする」  口に出して、しまった、と思った。でも、もう遅い。 「明日の朝、同じことを言ってくれると嬉しい」  デレクは笑顔だったけど、どこか悲しげでもあった。俺はその理由を深く考えることもしないまま、ただただ身を任せることに決めた。  デレクの大きなそれが、後ろの穴を押し広げる感覚に、それだけでイきそうになるのを、背中に腕を回して耐える。 「ぅあ、はぁ…んん」  同時に胸の突起を舐められると、ビリビリとした快感が襲ってきて、自分から腰を押し付けてしまうのを止められない。  あの日から誰かに抱かれる度に、ずっと頭の中でユキに謝っていた自分がいた。  だけど、謝ることにも疲れてしまった。  後悔するのにも、不安を抱えていることにも、疲れてしまった。  ユキといることにも、疲れてしまったのかはわからない。  確かに言えるのは、俺はとんでもなく酷いヤツだということだ。 ★  翌日はまあまあの目覚めだった。  最近はよく眠れなかったのに、昨日はデレクの大きな腕の中でわりとしっかり眠れたようだった。  起き上がって伸びをして、タバコを咥えて火をつける。  冷静になると、また少しの罪悪感が顔を出す。  でももう決めた。動画がアニキのところにある以上、この仕事は辞められないし、だったら割り切って受け入れるしかない。それが辛いから、ユキには何も話さないまま、終わらせた方がいい。  もし全部を話してしまうくらいなら、俺は愛人でもなんでもいいや。  そう思って、ふと気付いた。  そうか、俺はデレクの愛人になりたいんじゃないんだ。  この立場で築ける関係性の中で、愛情を感じれるのなら誰でもいいんだ。  気付いてしまうと、笑うしかない。  結局ユキと出会う前の、勘違い野郎に戻るだけだ。  今までの誰よりも、デレクが優しかったから。ただそこに甘えたいだけだ。  自分に呆れすぎて涙も出ない。  俺は最低の人間だ。最低の人間が、泣いていいわけもない。  そんなどうしようもないことをツラツラと考えていると、脱ぎ捨てた服のポケットから飛び出したスマホが鳴った。  着信画面には、クソとだけ表示されている。通話ボタンを押して、2本目のタバコに火をつけた。 『今どこにいる?』 「さあ、知らね」 『チッ…今すぐ本社へ顔を出せ』 「は?ムリなんだけど」  アニキはいつも横暴だけど、実際問題俺は今自分がどこにいるのかもわからない。 『早く来い。こっちはお前のせいで迷惑を被っている。お前が来るまで帰らないらしい』 「なんの話だよ?」 『雪村ってヤツ、お前の恋人なんだろう?ソイツが、私のオフィスから出ようとしない』 「ユキ?なんで?」  心臓がバクバクとなり出し、手に持ったタバコの存在を一瞬忘れた。 『知らん。あまりにもうるさいから、今お前の恥ずかしい動画見せてやってるとこだ…お前、話してなかったんだな』  電話越しに、アニキがニヤニヤと笑っていることがわかった。同時に、目の前が真っ暗になり、自分が地球から遠く離れていくような変な感覚に襲われる。 『とにかく今すぐ来い。それであのうるさい男をなんとかしろ』  アニキが通話を切ったのはわかった。が、俺の身体は、一切の動きを止めてしまった。 「修哉…」  遠くにデレクの声を聞いた。本来止められないはずの心臓の動きすら止まってしまったかのような、虚無感が身体を支配する。 「修哉、送っていくよ」 「……ありがと」  自分の声も、まるで誰かが操作しているみたいで、俺は曖昧な意識の中、デレクに腕を引かれるままホテルを出た。  帰りの道中の記憶も曖昧だけれど、終始デレクの「大丈夫だからね」「心配ないよ」という、優しい声だけを聞いていて、会社の地下駐車場の暗いコンクリートに囲まれた空間で、初めて息をした気分を味わった。  上品な白い壁の社内を、はっきりしない頭を抱えて歩く。足が重い。鉛でできているみたいな感覚に、時たま躓いて転びそうになるのを、隣のデレクが支えてくれる。それがなかったら、俺はその場に座り込んで、死ぬまで動けなかったかもしれない。 「修哉のお兄さんは酷い人だね」  いつもなら全力で同意して、アニキがどれだけ酷いヤツなのかを語って聞かせるところだが、俺の喉はカラカラにひりついて、簡単な返事もかえせなかった。  建物の最上階へ通じるエレベーターは、全部で四機あるうちの一つだけで、限られた人間しかそこへいくことはできない。  俺と悠哉の持つ社員証は、その数少ない権限を持っていて、だからこそ、何も覚悟ができないままアニキの待つオフィスまでたどり着いてしまった。 「遅い」  ノックもせずに、震える手でドアを開けると、正面が一面窓になった開放的なオフィスで、アニキが待っていた。  偉そうなデスクに腰掛け、アニキはただ冷たく言い放つ。そして、俺の後ろにいるデレクに目を向けた。 「大事な滞在中に愚弟が迷惑をかけてすまない」 「いえ、好きで付き添っているんで」  アニキは、デレクが流暢な日本語を話したことに、大して驚きもしなかった。 「ユキ…は?」  辛うじて絞り出した声は、カスカスで自分でもよくわからなかったけど、アニキは冷たい目で、隣の会議室を見た。  俺はアニキのオフィスを飛び出し、会議室へと走った。でも、ドアを開けることができなかった。  あの動画は、結構長いはずだ。記憶は曖昧だったが、五人相手にかなりヤられたのは覚えている。  アニキから通話がきてから二時間ほどが経っていたが、じゃあユキは今、俺の一番見て欲しくない場面を見ている可能性がある。  もし、怒りでも悲しみでもなくて、ただ汚いものを見る目をしていたらどうしよう。  茫然と目の前のブラウンの木目調の扉を見つめていると、僅かだが、中から音が漏れているのに気付いた。 『ィタァ、ぁぁ、もっと奥っ、中出してぇ…いやぁっ』  紛れもなく、あさましくヨガる自分の声だ。  もっともっととねだり、その度に暴言を吐かれつつ、でも抵抗しない自分の声だ。 「も…死にたい」  足から力が抜けた。取れてしまったみたいに、その場に座り込んでしまった。 「ぅ、オエッ…ゲボ…」 「修哉…大丈夫、落ち着いて」  吐き気を堪えられない俺の背中を、デレクの優しい手がさすってくれる。  ポタポタと流れ落ちる涙が、グレーの絨毯にシミを作る。 「ユキには見て欲しくなかったのに…」 「なんで?」  ガチャ、と目の前のドアが開いた。  ユキの声。とても冷たい声だ。俺は今まで、本当にキレたユキを知らなかったんだなと思った。 「なんで、オレに黙ってた?動画で脅されてるって。アニキの仕事手伝うって、何してんの?」 「ユキっ、ちょい落ち着こう!な?マキだってさ、ほら、色々事情があるんだよ、多分」  駆け寄ってきた相沢が、オロオロとユキに語りかける。 「うるさいよ相沢。これはオレとマキの問題なんだよ、いい?あんたも誰かしらないけど、口出しするなら殺すから」  本当にやりそうな雰囲気だ。デレクは肩を竦め、一歩下がった。 「なあマキ…オレはかわいそうなお前が好きなんだよ…無理矢理回されてヨガってるお前も不憫すぎてかわいそうで…オレがそんなお前を嫌いになると思った?」 「ユキ…?」  ちょっと何言ってるのかわからない。戸惑う俺なんて構わずに、ユキの手が俺の前髪を掴んで無理矢理顔を持ち上げる。  交わった視線は、相変わらず冷たい。 「なんならオレも混ぜて欲しいくらいだっての。散々謝ってたくせに、お前快楽に弱すぎ。どうせオレ以外のヤツに縋ってるとこ見られたくなかったんだろうけど、オレはそんなお前が好きなんだって。かわいそうで惨めで、クソビッチなお前だからオレは好きになったんだよ」 「病んでんな、お前」 「うるさいよ相沢、殺すよ?」  俺はどうしていいのかわからなくて、反射的にデレクの方へ視線を向けた(顔が動かなかったから)。デレクは俺の視線に気付いて、困ったように笑った。 「なに他人の顔見てんだよ」  バシッと頬に激痛が走る。なんこれ?俺はどうすればいいんだ? 「ユキ…あのさ、」 「なに?しょうもねぇこと言ったらここで犯すから」  俺は急いで口を閉じた。  いつのまにか、涙も吐き気もきれいさっぱりなくなっていて、ただただ何が起こっているのだろう?という疑問ばかりが頭をいっぱいにしていた。 「はあ…ユキ、マキが相当混乱してるぜ…」 「何も混乱することなくね?オレ今一世一代の告白してんだけど」 「それ、一般人にはただのDVに見えるんだけど」 「一般人?そんなヤツどこにいるんだよ?」 「少なくとも、そこの外国人さんはそうなんじゃね?」  一瞬表情を消したユキが、今度は貼り付けたみたいな不気味な笑顔を浮かべた。目は笑ってないけど。 「マキならわかるよな?オレさぁ、ゲロゲロ吐くお前のその喉にオレのぶち込んでやりたいと何回思ったか。でもけっこうガチで悩んでるっぽかったから我慢してたんだよ。お前はさ、汚いから触るなとか言ってたけど、そもそもオレはそんなお前がマジで好きなんだって」  ユキはさらに言葉を続ける。俺の理解がどうとか、関係なしに。 「お前の望み通りにさぁ、納得したフリしたり、優しくしてやろうとしたり、いつも通りを演じたり、面倒臭いんだよ、そういうの。死にたいなら望み通りオレが殺してやるから、これからは全部話せよ。ちゃんと全部聞いてやる。それから一緒に死んでやるよ」  聴きながら、俺は今まで何に悩んで苦しんでいたのかわからなくなった。  前から思っていたけど、ユキの愛情はそうとう歪んでいる。  普通レイプされて落ち込んでいる人間に、性欲我慢してました!なんて言わないだろ。  でもさぁ、そんな狂ったこと言うのがユキという人間なんだよな、とも思う。それでその、狂った告白を、間に受けて嬉しいと思う俺も狂ってるわけで。 「んでさぁ、改めてオレはお前を好きだと言ってるんだけど、あの動画ネタになんの仕事させられてんの?」  その言葉で、また新たな不安が過ぎる。 「それは…その、」 「言えないんだ…あててやろうか?顧客とヤッてんだろ?オレが気付かないととでも思ってた?バカだなほんと。ま、そんなバカなお前が可愛いんだけどさ」 「なんで…?」 「オレの付けてない痕付いてんの。こことここ」  と言って、俺の首を二箇所叩く。 「痛っ!…てか、気付かなかった」 「煽られてんのかと思ったよ、その外国人に」  ユキはまたニッコリと笑った。不気味だ。 「煽ったつもりはないけどね。ただ、彼の辛そうな顔を見ていて放っておく不甲斐ない彼氏はどんなヤツなのかと思ってはいたが…とんでもないモンスターで驚いているところだよ」  デレクの言葉に肩を竦めたユキが、俺の髪を掴んだまま立ち上がった。そのせいで、俺も立たなければならなくて、よろけるのも気にせずユキはそのまま歩き出す。 「ユキっ、痛い!」 「黙れって」  その後ろを相沢が、恐っと言いつつついてくる。  向かったのはアニキのオフィスだった。頑丈な両開きのドアを押し開け、ユキはズカズカとアニキの前へ進む。 「ノックくらいしなさい。それと、廊下で騒がないでくれ」 「聞こえてたんなら話が早いんだけどさ、コイツ一回捨てたんならそのままにしといてくれないとオレが困るんだけど」 「もともとこちらの持ち物だ。どうしようと私の勝手だ」 「なら今ここで、コイツの手足もぎ取って使い物にならなくしてやる。あの動画もオレには関係ない。好きにすればいい」  あくまでも笑顔のユキ(目は笑ってないけど)と、一切表情を動かすことのないアニキの視線がかち合う。  逃げ出したくなったのは、俺だけじゃないはずだ。 「オレは殺してもいいくらいコイツを愛してんだよ。お前にとられるくらいなら、今ここで息の根とめてやる」  と、ユキが空いている方の手を俺の首にかける。 「ユキ、ちょ、シャレんなんねぇっ、ぅぐ…ぁ、やめ、手…はな、し…ぅ」  マジかよ、とユキの目を見て訴える。やめて、離してと精一杯念じるが、息苦しさは増すばかりだ。 「大丈夫、オレもすぐ側に行ってやるから」  ニッコリ笑うユキはイカれてる。俺の悩みなんてユキのイカれ具合の前には可愛らしいものだ。  相沢がやめろよ!と叫ぶ。曖昧になる意識の中で、ふと、アニキが口を開くのが見えた。 「わかったから離しなさい」 「何が?オレアホだからさ、ちゃんと言ってくれないとわかんねぇんだけど」 「もう仕事させない。動画も削除する。だからここを殺害現場にしないでくれ」  パッとユキが手を離した。駆け寄ってきた相沢が、床に転がって咽せる俺の背をさすってくれる。 「話のわかるお兄さんで助かるよ。おかげでほら、マキも死ななくて済んだ」  今までの混乱と、酸欠で余計にワケがわからない頭を抱える俺に、清々しいまでの笑顔を浮かべたユキが笑いかけてくる。  「さて、帰ろ、マキ。何食いたい?ドリア?ホワイトソースあったかな…帰りスーパー寄ってい?」  俺はもう、笑うしかなかった。

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