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番外編「初詣」
写真サークルのメンバーに混じって武田、品川が騒ぐ中、暮羽はひとりキッチンでパスタを茹でていた。
今日は大晦日。
広瀬と暮羽の住むマンションに写真サークルのメンバーと、武田、品川が訪れている。
大晦日に年越しで飲み会をすれば忘年会と新年会が同時にできる、とサークルのメンバーが言い出し、それならと広瀬が場所を提供した訳だ。
年越しなのに蕎麦じゃないのは、サークルに蕎麦アレルギーのメンバーがいるためだ。
そのメンバーだけを蕎麦以外にするのも手間なので、全員パスタという事で了承してもらった。
広瀬と暮羽が恋人同士であるという事は、写真サークルのメンバーには今のところ気付かれていない。
女性に人気の広瀬と、同じく意外と女性に人気がある暮羽が男同士でそういう関係だとは想像もしていないらしい。
気付かれたとしても、サークルのメンバーは2人の関係を受け入れてくれるだろうが。
「1人で大丈夫?」
パスタ鍋を眺めていると、広瀬がやって来た。
「ん、大丈夫だよ」
暮羽は振り向いて微かに笑みを浮かべる。
リビングからは賑やかな笑い声が聞こえていた。
「女の子たちは暮羽の作ったパスタを食べたら帰るって言ってる。男連中はここで雑魚寝して、明日は皆で初詣に行くって話になってるよ」
広瀬はそう言って冷蔵庫を開ける。
ジュースのペットボトルを取り出して、テーブルに置かれていたコップに注いだ。
「初詣?ここらへんに神社なんてあったっけ?」
暮羽は、広瀬がジュースを飲むのを見つめながら首を傾げる。
大学に進学してからこっちの方に出てきたのだが、必要最小限の範囲しか行かないので神社がどこにあるかなど全く知らない。
「駅3つ先にある、ちっちゃな神社だけどね。4つ先に大きな神社があるから、こっちはちょっとした穴場なんだよ」
「へー。そうなんだ」
広瀬の言葉に、暮羽は嬉しそうにうなずいた。
人の少ない神社にしたのは、人込みが苦手な暮羽を気遣っての事だとわかったからだ。
何かというと広瀬は気遣ってくれる。
申し訳ないと思って大抵は遠慮するのだが。
それでも嬉しい事には変わりない。
だが、気遣いも愛情も何もかも、与えられるばかりで自分は広瀬に何もしてあげられていない気がする。
「今からお願い事、考えとかないとね」
広瀬がにこやかに言う。
「ん。俺もう決めてるよ」
「何をお願いするの?」
「それは秘密」
「秘密なの?」
「うん。あ、そろそろ茹で上がる」
暮羽は鍋に目を移した。
ぐらぐらと煮え立つ湯の中でパスタが泳いでいる。
コンロの火を切ると、暮羽は鍋を抱えてシンクに移動した。
鍋の中から網になった内側だけをゆっくりと引き出す。
広瀬は手伝う事がないのでそれを眺めているだけだ。
暮羽はパスタソースを作るのも上手い。
今日は年越し蕎麦を意識して、和風だし醤油味のようだ。
相変わらず料理をするのは暮羽で、広瀬は簡単な料理さえまともにできない。
しかし、暮羽の手料理を食べるのは暮羽の次くらいに好きなので、自分で料理をする気はほとんどないのだが。
逆に暮羽は広瀬と一緒に住むようになってから料理を作る頻度が上がり、それに比例して料理の腕も上がっていた。
そうこうしている内に人数分のパスタを用意した暮羽は、リビングを覗いた。
「パスタができたよ。悪いけど、各自で取りに来て」
そしてそう声をかける。
するとわらわらとメンバーたちがキッチンへ入って来た。
これまでほとんど自炊して来なかった広瀬の家には食器が揃っていないため、パスタが盛り付けられているのは使い捨ての紙皿だ。
カトラリーも揃っていないので、割り箸に加え、プラスチックのスプーンやフォークを買ってきていた。
「美味しそう~」
「雪村さんて料理上手いよね~」
「毎日食べれる広瀬さんが羨ましいなあ」
女性メンバーは口々に言いながら、自分の皿を持ってリビングに戻る。
「雪村って何気に女子力高いよなー」
「広瀬、いい嫁ゲットしたなー」
「俺も雪村なら嫁に欲しいわー」
男連中も冗談なのか本気なのかわからない事を言い合いながら、パスタが乗った皿とフォークを取るとリビングに戻った。
広瀬は嬉しそうに微笑んで暮羽を見る。
「どうしたの?」
「いや、僕ってやっぱり幸せ者だなーって思ってね」
「?⋯⋯まあいいや。これ、快都さんの分ね」
暮羽は広瀬が何故嬉しそうなのかわからずに首を傾げたが、すぐに気を取り直して広瀬に皿を渡した。
そして2人でリビングに戻る。
全員、カウントダウン系の特番が流れるテレビを見ながらパスタを食べていた。
「見事に無言だな」
少々面食らった顔で暮羽がつぶやく。
「やっぱ暮羽、料理上手いわ。無言にもなるって」
「うんうん。広瀬さんいい嫁ゲットしたよなあ」
武田と品川が2人を見る。
「誰が嫁だよ」
暮羽は苦笑しながら、広瀬は相変わらず嬉しそうに微笑みながら、それぞれ座った。
わいわいと楽しくパスタを食べて、年越し番組を見て。
「明けましておめでとーっ!」
誰かが叫ぶと。
皆が一斉に新年の挨拶を始めた。
暮羽はそのテンションについて行けず、少々戸惑っていたが。
武田と品川は他のメンバー同様、大いに盛り上がって騒いでいる。
広瀬は楽しげに微笑みながらその様子を眺めていた。
そして女性メンバーは挨拶を済ませると帰って行く。
残ったのは雑魚寝に参加するサークルメンバーと、武田と品川。
「さーて、次は新年会!体力尽きるまで行くぞーっ」
「ビールが足りないぞ」
「あー、誰か買って来いよ。今日は広瀬の奢りだ」
写真サークル副リーダーの吉原が無責任な事を言っている。
広瀬はそれを聞いて苦笑した。
「場所を提供してるんだから、食べ物は吉原に奢ってもらわなきゃね」
「それもそうですね。副リーダー、買って来るから財布貸して」
「副リーダーの奢りだー」
「バーカ。お前らに奢る金なんか持ってないね」
「もう割り勘にしましょうよ。俺と品川で適当に買って来るから」
言い合いを始めてしまったメンバーに苦笑しながら、武田がそう言って立ち上がる。
「てか、最初から割り勘のつもりなんでしょ」
品川も立ち上がりながら、そう言って苦笑した。
それを聞いたメンバーたちは照れ笑いを浮かべて頭をかく。
「武田君と品川君は場をまとめるのが上手いね」
広瀬がこっそりと言うと。
「そりゃあ、あいつら合コンマニアだからね」
暮羽は呆れた顔でうなずいた。
オールナイトでの新年会も終わり、明け方になってそれぞれが適当に眠る準備を始めた。
空き部屋はいくつかあるのだが、どれも使っていない部屋なので暖房器具がなく、雑魚寝の面々はみなリビングに固まっていた。
武田と品川は上等なソファをそれぞれ占領し、写真サークルのメンバーは毛足の長いラグマットに仲良く並んで横になっている。
リビングは暖房がしっかり効いていて床暖房もあるため、毛布1枚でも充分な温かさだった。
暮羽はいつもなら広瀬の寝室で一緒に眠るのだが、今日ばかりはそうもいかず、久し振りに自分の部屋で横になっていた。
自分用のベッドは一緒に住む前から使っているシングルベッドだ。
滅多に寝ないので布団はまだ新しい。
シーツも糊が効いていて清潔な香りがした。
何だか寂しい。
久し振りに1人で寝てみて、改めて実感する。
ここに来てから常に広瀬の傍に居たから、こうして1人で寝てみると何となく物足りない感じがするのだ。
アパートに1人で住んでいた頃はいつもこうだったのだが、それすらも思い出せないくらいに、今では暮羽の傍にはいつも広瀬がいた。
一緒に暮らし始めてまだ半年も経っていないのに、広瀬のいない生活なんて考えられないくらいだった。
今年も来年もその先も、ずっとこんな生活が続けばいい。
そう思った。
中々寝付けずにごろごろしていると、誰かがそっとドアを開けて入って来た。
「······快都さん?」
薄暗い中、目を凝らすと広瀬の姿が見えた。
「うん。寝てた?」
広瀬は暮羽のベッドに近付く。
「んー、眠れなくてごろごろしてた」
暮羽はそう言ってゆっくりと起き上がった。
「そっか」
「どうしたの?快都さんも眠れないの?」
「そんなとこかな。いつも暮羽と寝てるから、寂しくてね」
「俺と一緒だね」
広瀬の言葉に、暮羽はくすりと笑う。
自分と同じ事を広瀬も感じてくれていたのが嬉しかった。
「良く眠れるように、お休みのキスでもしちゃおうかと思ってね」
広瀬は悪戯っぽい笑みを浮かべて、ベッドの端に腰かける。
「何言ってんの」
暮羽は照れて顔を赤くしながら広瀬を睨んだ。
それでも暮羽は、近付いて来る唇を避けたりはせず、おとなしく受け入れた。
「それじゃおやすみ」
唇が離れると、広瀬はにこやかにそう言って立ち上がる。
「おやすみ」
暮羽は広瀬が部屋を出て行くのを見送ってから再び横になった。
昼前になって、ようやくリビングの雑魚寝の面々が起きだした。
それぞれにあくびをしたり煙草をふかしたり。
部屋数は多いものの、洗面所は1箇所しかないので、洗面の順番待ちをしているようだ。
食事を用意するために早めに起きていた暮羽はこの順番待ちに加わる事は免れた。
暮羽が用意したのは、正月にはおなじみの雑煮。
広瀬の実家と暮羽の実家からそれぞれ餅が届いていた。
雑煮の具はシンプルにもみのりと錦糸玉子と蒲鉾。
暮羽の実家ではいつもこの具で雑煮を食べている。
広瀬の実家では大根なども入れているらしいが、大根はなかったので今回は暮羽の実家にならった雑煮となったのだった。
リビングを覗くと、洗面を終えたメンバーがテレビを見ていた。
それに声をかけて自分の分を取りに来るように言う。
「やっぱお雑煮食うと正月って感じするよなー」
「うんうん。俺、いっつも餅食いすぎて正月は太るんだよな」
「おせち料理もいいけど、俺はやっぱ雑煮だな」
メンバーは口々に言いながら雑煮を食べる。
武田と品川が買い出しの時に買って来たおせち料理もテーブルに並んでいた。
「これ食べたら初詣だな」
「みんなその格好で行くの?」
雑煮を食べながら、武田と品川が周囲を見回す。
「ん、一応よそ行きのジャケットは用意してるぞ」
吉原がそれに答えた。
他の面々もうなずく。
今着ている服の上からジャケットやコートを着て行くつもりのようだ。
「これで雪村が振袖でも着てくれればばっちりなんだけどなあ」
「そうそう。やっぱ男ばっかの初詣じゃ、華がないよな~」
「うんうん。雪村が振袖着てくれたら華になるんだけどなぁ」
メンバーが口々に言うのを聞いて、暮羽は顔を引きつらせた。
新年早々、女装なんて冗談じゃない。
広瀬を見ると。
「確かに暮羽なら振袖も似合いそうだよね」
「快都さんまで······」
暮羽は腕組みをして広瀬を睨む。
「冗談だよ」
「まったく。ほら、食べ終わったら出かけるよ」
降参のポーズをする広瀬を見てため息をつきながら、暮羽は立ち上がった。
そして着替えるために自分の部屋に戻る。
「あーあ。雪村怒らしちゃった」
「吉原さんがあんな事言うから」
「お前らだって一緒になって言ってただろー」
「まあまあ、着替えましょうよ。どうせ暮羽、本気で怒ってる訳じゃないんだから」
また言い合いになったメンバーの中に武田が割って入った。
「そうですよ。でもまあ、食器の片付けくらいはしてあげたらどうですか?」
「それもそうだな」
「確かに。雪村には美味しい料理作ってもらってるし」
「よし。それじゃ片付けよう」
品川の提案にうなずいたメンバーたちは揃って食器を片付け始めた。
「洗う時に割るなよ~」
吉原が冗談めかして言う。
「何言ってんですか。副リーダーも洗うんですよ」
「そうですよ。雪村怒らせる原因作ったの副リーダーでしょ」
「う~、やぶ蛇だったか」
吉原は仕方なく、頭をかきながらキッチンへ向かった。
武田と品川、そして広瀬は楽しげに笑いながらそれを眺めている。
「それじゃ僕も着替えて来ようかな」
広瀬はそうつぶやいて立ち上がると自分の部屋へ向かった。
残された武田と品川はその場で着替えを始める。
暮羽が着替えを終えて出て来ると、食器類は全て綺麗に片付いていた。
「もしかして皆で片付けてくれた?」
「ああ。お前怒らしたお詫びにってメンバーの皆で片付けてたぞ」
「ていうか、俺らがけしかけたんだけどな」
「別にいいのに」
武田と品川が笑いながら言うのを聞いて、暮羽は困ったような顔になる。
本気で怒った訳ではないのでかえって申し訳なく思ってしまったのだ。
「まあ気にすんなって」
「そそ。お前が気にする必要ないって」
「でも」
「いいからいいから」
「ほら、広瀬さんも着替えたみたいだし」
「どうしたの?」
着替え終えた広瀬が暮羽のもとにやって来る。
武田と品川が訳を話すと、広瀬はにっこりと笑った。
「暮羽が気にする必要ないよ。彼らも悪ノリしたの反省してるんだし」
「うん」
広瀬だってしっかり悪ノリの仲間に入っていたのだが、あえてそれは言わずにうなずいておく。
やがて食器の片付けを終えたメンバーたちがリビングに戻って来て、初詣に出かける事になった。
目的の駅で電車を降りて徒歩で約10分。
目当ての神社は予想通り参拝者が少なく、人込みの苦手な暮羽はほっとしていた。
参道を広瀬と並んで歩く。
「何をお願いするの?」
昨夜から気になっているのか、広瀬が訊いてきた。
「だから秘密だってば」
「秘密にされると気になるじゃない」
「聞いたら呆れるよ」
暮羽は気まずそうにうつむく。
きっと暮羽の願いは広瀬にとって大した事ではない。
ただ暮羽が気にしているだけの事で。
「聞きたいな」
「秘密」
「じゃあ、教えてくれるまで今夜は寝かせてあげない」
広瀬はそう言って、楽しそうにくすくすと笑った。
途端に真っ赤になってうつむく暮羽。
「そ、れは、困るんだけど······」
「なら教えてくれるよね?」
「ずるいよ快都さん。それじゃ快都さんのお願いも教えてくれないと」
「僕?僕のお願いはもちろん“暮羽とずっと幸せに過ごせますように”だよ?」
「ストレートに言わないでよ。恥ずかしいよ」
暮羽は相変らず真っ赤な顔のまま、広瀬を睨んだ。
「だって本当の事だからね」
「もういいよ······」
「それで、暮羽のお願いは何なの?」
広瀬は楽しそうに暮羽を見つめる。
そうこうしている内に本殿に到着してしまった。
賽銭を投げ、鈴を鳴らす。
「今年こそ宝くじが当たりますようにっ」
「可愛い彼女ができますように」
「万馬券が当たりますように~」
写真サークルのメンバーたちはそれぞれ好きな願い事を叫んだ。
武田と品川はそれを聞いて苦笑しながら鈴を鳴らす。
「今年も楽しい事がありますように」
「今年も楽しく過ごせますように」
2人の願い事はどうやらほぼ同じらしい。
広瀬と暮羽は顔を見合わせて笑った。
そして今度は広瀬と暮羽が鈴を鳴らす。
願い事は口には出さなかったが、広瀬はやはり先ほど言った通りの願い事をしているのだろう。
暮羽も自分の願い事を心の中で何度も繰り返した。
写真サークルのメンバーと武田、品川は駅ひとつ先の大きな神社にもお参りすると言って駅で広瀬たちと別れた。
広瀬と暮羽は商店街の初売りなどをぶらぶらと見て歩き、外で夕食を摂ってからマンションに戻った。
すっかり日も暮れ、正月の特番も始まっている。
着替えを済ませた後、広瀬はコーヒーを、暮羽はココアをそれぞれ用意してリビングに落ち着く。
「それで?暮羽のお願いは何だったの?」
コーヒーを飲みながら広瀬が訊く。
暮羽は困った顔でココアを冷ましていたが。
「1回しか言わないよ?」
そう言って、ココアを一口飲むと深呼吸をした。
「うん」
広瀬はそんな暮羽をじっと見つめる。
「快都さんと同じような感じだけど、俺の願い事は“快都さんを幸せにしてあげられますように”だよ」
暮羽はうつむき加減で、小さな声でそう言った。
しかしその言葉は広瀬の耳にしっかり届いていて。
気付くと暮羽は抱きしめられていた。
「快都さん?」
「そんなお願いしなくても、暮羽が傍に居てくれるだけで僕は充分幸せだよ。でも嬉しい」
広瀬は心底嬉しそうな笑顔で囁く。
耳元をくすぐっていた唇はすぐに暮羽の唇に辿り着き。
暮羽の口腔を優しく貪った。
新年早々、暮羽から願ってもいない言葉を聞かされた広瀬は自分の理性を保つ気など全くなく。
ココア味のキスを堪能した後は、暮羽の全てを堪能する事となった。
願い事を教えたのに寝かせてもらえなかった暮羽は、翌日ずっとふて腐れていたらしい。
終。
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