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番外編「最後に笑うのは」

 まだ夏休みは前半。  品川が仕入れた話によると、高杉はあの後精神状態が不安定になり、日常生活にも支障をきたすようになったため精神科に入院したらしい。  暮羽はもう恐怖も感じなかったが、これで大学で会う事もないとわかり安心した。  そして今日は広瀬と暮羽の住むマンションに武田と品川が来て、暮羽と共に夏休みの課題レポートの仕上げに取りかかっていた。  4人はリビングでテーブルを囲んでいる。 「なあ、学籍番号ってどこに書くんだ?」 「教授名の後ろだろ」 「あ、教授名まだ書いてねーや。それにしてもうちの教授の名前ってなんでこんな長ったらしいんだよ~」 「じゃあ片仮名で書けば?ボンコバラタカヨシって」 「准教授はアヤノコウジユキヒデだったよな」  3人がごちゃごちゃやっているのを広瀬が面白そうに眺めていた。 「君達、いつもそんな感じでレポートやってるんだ?」 「そうでもないですよ。前期とか後期のレポートはゼミのみんなで誰かの家に集まってわいわいやるからもっと騒がしいし。これはやりたい奴だけやってるんです」 「そそ。夏休みのレポートは後期で単位足りなかった時のための保険みたいな感じですから、気楽ですよ」  広瀬の質問に武田と品川が答える。  暮羽は黙々とレポートをまとめていた。  ほとんど終わっていて、後は提出できるようにファイリングすればいいだけなのだ。 「俺達これでも結構真面目なんですよ」  品川が笑いながら言う。  ピンクの頭にピアスだらけの耳の品川に言われても少しも説得力がないのだが。  しかし彼の言葉は嘘ではない。  いつも適当に講義を聴いてはいるが、それなりに理解できているからであって、理解できなくて勉強を放棄している訳ではないのだ。  優秀かどうかはまた別問題かも知れないが。 「レポートのタイトルって何だっけ?」  武田が訊く。 「何だよ今頃」  暮羽は呆れた顔でため息をついた。 「いや、ややこしいタイトルだったから忘れた」 「肝心なタイトル忘れてどうするよ。“十五少年漂流紀から見る、極限状態における集団生活の心理学的考察”だろ」  呆れながらもタイトルを教えてやる。 「十五少年漂流紀から見る、までは覚えてたんだけどな」  ぶつぶつ言いながら武田はいそいそとタイトルを記入した。 「タイトル忘れてもレポートは書けるんだね······」  広瀬が苦笑する。 「できたっ!」  ホッチキスで綴じられたレポートを放りだし、武田は大きく伸びをした。 「これでばっちりだな。残りの休みはのんびり過ごせるぞ」  品川がにっこりと笑う。  暮羽は珍しそうに品川を見つめた。 「どうした?俺の顔に何かついてるか?」  それに気付いた品川も暮羽を見る。 「いや、品川もそんなふうに無邪気に笑う事あるんだな~って」  暮羽はそう言って微笑んだ。  いつもの品川が見せる笑みはこんな無邪気なものではなく、いたずらを思いついた悪ガキのような“にやり”という笑みなのだ。 「暮羽に言われるとは思わなかったぞ」  品川は疲れたようなため息をついた。  武田がくすくす笑っている。 「俺何か変な事言った?そんなふうに笑えて羨ましいなって思ってるんだぞ」  暮羽は武田の笑いが理解できない。 「あのさ。お前って第一印象は無口で無愛想って感じだけど、たま~に愛想良く笑う時あるだろ。その笑顔で何人がくらくらきてるかなんて、全然わかってないんだろうなって思って」  武田はそう言って笑う。 「そうだね。暮羽は自覚がないよね」  広瀬もうなずいた。 「うんうん。普段笑顔を見せない奴がたまに見せる笑顔にどれだけ威力があるのか暮羽はわかってない。俺の笑顔なんか比じゃないぞ」  品川も言う。 「威力って何だよ······」  暮羽はひとりうなだれた。  3人はそれを見て笑う。 「高杉だってその笑顔にやられたんだろ?」 「武田。俺、高杉とはまともに話した事ないよ?」 「写真展だよ。あの写真、微笑んでる顔だっただろ」 「ああ、そういえば」  暮羽はうなずいた。  写真展に出した写真は、何十枚も撮った中で唯一の微笑んでいる写真だった。  暮羽は気安い友人以外に笑顔を見せる事はまずない。  そんな自分でもあんな風に微笑む事ができるんだなと感心したものだ。 「意識しないであの笑顔だもんな。そりゃくらくらきてる奴も多いわ」  品川は納得したようにつぶやいた。 「まあとにかく、暮羽はもっと自覚を持ってもらわなきゃな。広瀬さんも苦労しますね」  武田が言うと、広瀬は苦笑した。 「だから自覚って言われてもさあ」  暮羽が反論する。  自分の顔が良いとは思っていない暮羽に自覚などある訳がない。  むしろ自分の外見に関しては劣等感のほうが強かったりする。  女顔、色白、華奢な体格。  自分の理想とは正反対の外見なのだ。 「暮羽は他人の注目を浴びるくらい眉目秀麗だって事、自覚しろよな」  武田が暮羽を見て言った。 「眉目秀麗って」  自分のどこが、と思ってしまう。 「難しい言葉知ってるなぁ」  品川が感心したように言った。 「でもまあ、ほんとにさ。暮羽の外見は人目を惹くんだから」  武田の言葉に、品川と広瀬がうんうんとうなずく。  暮羽は仕方なく認めた。 「わかった。非常に不本意だけど、俺の外見が人目を惹くのは認めるよ。だけど、だからってどうすればいいワケ?」 「そうだなぁ」  品川が考え込む。 「その顔を目立たなくするには、伊達メガネかけるのが手っ取り早いよな」  武田が言った。  広瀬がうなずく。 「そうだね。伊達メガネでもかけてもらおうか」 「ちょっとちょっと」  暮羽は困ったような顔で3人を見た。  しかし3人はその意見が良いと思ったようだ。 「いや、実はさ、あの写真のモデルは誰なんだって問い合わせ、サークルにかなり来てるんだよ」  広瀬が困ったように暮羽を見る。 「マジで!?」  暮羽は目を丸くした。 「高杉が問い合わせ第1号であんな事になったもんだから、以降の問い合わせには答えてなかったんだけどね。隠せば隠すほど問い合わせも多くなってね」 「マジかよ······」 「だから暮羽、伊達メガネかけろって。モデルがお前だってバレたらとんでもない事になると思うぞ」  武田がぽんぽんと肩を叩く。  暮羽はげっそりと疲れた顔になってうなだれた。  品川が苦笑する。 「大学祭の写真、モデルやってもいいかなって思ってたのにな」 「ほんとかい?」  暮羽のつぶやきを聞いた広瀬が目を輝かせた。 「うん、まあ」 「だったら頼むよ。サークルの連中にも説得してくれって頼まれてたんだ」  安心したようにそう言う。 「あれ、広瀬さんそんな事して心配ないの?」  武田が驚いた顔で訊いた。 「大丈夫だよ。前回と同じく性別不祥もしくは女装で行くから」  広瀬はそう言ってにっこり笑う。  その横で顔を引きつらせたのは暮羽だ。  品川は腹を抱えて笑い出した。 「女装って。マジで言ってんの?」  暮羽は広瀬を睨む。  広瀬はにっこり笑って頷いた。 「今でもかなり美人だからな。女装なんかしたら絶世の美女だぜ。知らないで見たら絶対惚れるわ」  武田が笑う。  品川もうんうんと頷く。 「そのほうが暮羽だってバレなくていいだろう?」 「······」  広瀬のにっこりには適わない、と暮羽は思った。  穏やかな笑顔の裏に、有無を言わせない迫力を感じてしまったのだ。 「とか言って実は女装させたいだけだろ」 「あ、バレた?」 「は〜······」 「実を言うとさ。俺も前から、暮羽が女装したらきっとすげー美人だろうなって思ったりしてたんだよな」  品川が楽しそうに笑う。  いつもの“にやり”に近い笑いだった。  品川がこの笑いを見せる時、暮羽はロクな目に遭わないような気がする。 「よし。女装に決まりだな」  武田もにっこり笑った。 「お前ら他人事だと思って······」  暮羽は恨めしそうに武田と品川を睨む。 「だって他人事だもんな」 「そそ」  武田も品川も、暮羽の睨みなど効く訳もなくしれっとした顔だ。 「そう言えば、武田君と品川君はどうしていつも名字で呼ばれてるんだい?」  広瀬が思い出したように訊いた。  武田と品川は顔を見合わせる。  暮羽が笑った。 「何か変な事言ったかな」 「いや、そうじゃなくて」  品川が首を振る。 「俺と品川、下の名前“コウジ”って言うんですよ。字は違いますけどね」  武田が答えた。  ああ、と広瀬は納得する。  武田は幸司、品川は広次である。 「いつもつるんでるから下の名前で呼ぶと紛らわしいだろ?名字で呼ぶのが定着しちゃったんだよ」  暮羽が言う。  2人は頷いた。 「なるほどね」 「それはそうと、もう昼だけどメシどうする?」  品川が時計を見ながら訊く。 「もうこんな時間か。どこかに食べに行かない?」  広瀬が提案した。  暮羽は複雑な顔になったが。 「いいですね~」 「行きましょうっ」  武田と品川は大賛成だった。  広瀬の行き付けの店はかなりあるようで、今回の広瀬の行き付けの店は暮羽も知らない店だった。  そして。 「快都さんて行き付けの店が多すぎ」  暮羽が呆れたように言う。  もう食事は済んで、4人でぶらぶら歩いているところだ。 「いつも外食だったからね」 「さすが金持ち」  武田が感心する。 「料理が下手なだけだよ」  広瀬は照れて頭をかいた。 「さてと。これからどうする?」  品川が3人を見た。  暮羽は何だか嫌な予感がして仕方なかった。  そしてその予感は見事に的中するのだが。 「それじゃ今度は───」  広瀬がにっこり笑う。  その笑顔を見て品川はにやりと笑った。  武田が暮羽を見て楽しそうに笑う。  そして当の暮羽は大きくため息をついてうなだれていた。  広瀬は携帯を取り出してどこかに電話をかけた。  武田と品川は何やら顔を見合わせてくすくす笑っている。  暮羽は嫌な予感が当たる事を確信したのだった。  ほどなく、暮羽の予感は現実のものとなる。  広瀬の電話が終了し、武田と品川は広瀬に電話の内容をこっそり確認した。  暮羽が3人に連れて行かれたのは、写真サークルや演劇サークルがよく出入りしているカジュアルファッションの店だった。  ─女装─  暮羽の頭にその二文字が浮かんだ。  沈んだ顔になっている暮羽をよそに、他の3人は楽しそうだ。 「こんなのどうだ?」  品川が暮羽にキャミソールを見せる。  暮羽はじろりと睨んで首を振った。  数分後には、暮羽は3人の着せ替え人形となってしまっていた。  そして。  ツインニットにロングのフレアスカートというスタイルで決まった。 「おお、どこから見ても美女だ」  武田が手を叩く。  試着室から出て来た暮羽を感心したように見る。  品川は心底楽しそうににやにやしていた。  広瀬も感心して見つめている。  そして、そこへ男性店員がひとりやって来た。  暮羽は思わず表情を硬くする。  女装趣味がある人間だと思われるなんて冗談じゃない、と思った。  だがしかし。 「とてもお似合いですよ。そのまま着て帰られますか?」  店員は暮羽が男だとは思っていないようだった。 「ええ、お願いします」  広瀬がにっこり笑って財布を取り出す。 「!!」  暮羽は目を丸くして広瀬を見る。 「いやあ、美人ですね~。ボーイッシュな方だな~とは思ってたんですが」  値札を付けたまま着ている暮羽に近付くと、慣れた手つきでその値札を取って行った。  支払いを済ませて、4人は店を出た。  暮羽は違和感なくその服装で歩いている。  その表情はかなり形容しがたい複雑なものだったが。 「そうだ、この服装に合う履物も買おう」  武田が提案した。  広瀬と品川が頷く。  暮羽はもう抵抗する気もなくしていた。  いつもの服装で店に入った時から、店員は暮羽を女だと思っていたのだ。 「なんで俺が女に見えるんだよ······」  虚しいつぶやきだった。  次に入ったシューズショップでも、暮羽を男だと思う店員はいないようだった。  そして、広瀬が選んだサンダルをそのまま履いた。  店を出た所で、今度は大学へ向かった。  暮羽は広瀬が誰にどんな電話をかけていたのか何となく予想できてしまった。  広瀬は写真サークルの副リーダーに「可愛いモデルが見付かったからキャンパスへ連れて行く」と言う内容の電話をかけていたのだ。  やがて彼らはキャンパス内の写真サークルの部室に到着した。  待っていたのはほとんどのメンバーだった。  暮羽を見て歓声があがる。 「リーダー、どこでそんな美人見つけたの?」 「すっげー美人じゃないか」  メンバーもまさかこれが暮羽だとは思っていないらしい。  別に化粧をしている訳ではないのだ。  ただ、女物の服を着ているだけだ。それなのに何故みんな気付かないのか。  暮羽は複雑だった。 「もしかして、雪村さん?」  最初に気付いたのは真美だった。 「え?雪村なの?」  他のメンバーもまじまじと暮羽を見つめる。  そして。 「あ、ほんとに雪村だ」  誰かが信じられないと言った感じの声をあげた。 「やっと気付いたかい。まあ、そういう事だよ。今度も写真のモデルを引き受けてくれる事になったんだけど、正体がバレるとまた問題が起こる可能性もあるから、今回は女装で行こうと思うんだ。反対の人いる?」  広瀬が訊く。  全員、首を横に振った。  武田と品川が楽しそうに笑う。 「全然問題ないよ。雪村って美人だな~とは思ってたけど、ここまで女装が似合うなんて」  副リーダーの吉原が嬉しそうに言った。 「じゃ、今回はこれで行くから。モデルの正体はサークル外にバラさないように」  広瀬が言うと、メンバーは一斉に頷いた。  武田と品川が満足そうに微笑む隣りで、暮羽はげっそりとうなだれていた。  結局、元の服装に着替えさせてもらえないままマンションに戻った。  暮羽は部屋に着いた途端、服を脱ぎ捨ててしまった。 「もしかして暮羽、怒ってる?」  苦笑しつつ脱ぎ捨てられた服を拾いながら、広瀬は暮羽を見つめた。 「別に怒ってないよ。落ち込んでるだけ」  暮羽はルームウェアに着替えて、ソファに腰を下ろす。 「ついつい悪ノリしちゃって悪かったと思ってるよ」  暮羽の横に腰かけながら広瀬が言った。 「あのさ。モデルは引き受けるけど、条件つけてもいい?」  しばらく考えて、暮羽は広瀬を見る。 「何だい?」 「モデルするから、俺のお願いをひとつだけ聞いてくれない?」 「ひとつだけでいいのかい?」  上目遣いで見つめてくる暮羽に思わずキスしたくなりながら、広瀬はにっこり笑った。 「ひとつでいいよ。だけど必ず聞いてくれなきゃ、モデルしない」 「オッケー。どんなお願いでも必ず聞くよ」 「絶対だからね」  にこりと頷いた広瀬を見て、暮羽はにやりと笑った。  いつも品川が見せるような“にやり”笑いだった。  広瀬は何故か、嫌な予感と共に背筋が寒くなるのを感じた。  しかしそこで思考は途切れてしまった。  暮羽からのキスによって。  暮羽の”お願い”を聞いて広瀬が青くなったのは、翌日の朝の事だった。  暮羽の”お願い”とは。  「広瀬も女装して、暮羽と共にモデルをやる事」であった。  それを聞いた武田と品川が大喜びしたのは言うまでもない。  しかし、広瀬の陰謀(?)によって武田と品川も女装を余儀なくされたのだった。  転んでもただでは起きない暮羽と、その更に上を行く広瀬だった。  果たして最後に笑うのは誰なのか。  終。

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