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番外編「趣味」
大抵の人間は何らかの趣味を持っている。
趣味のない人生なんて味気ない、と広瀬は常々思っていた。
広瀬はもちろん写真を撮るのが趣味である。
ただ撮るだけでなく、お気に入りの写真をアルバムに綴じたりパソコンに取り込んでCDを作ったりしている。
しかし単純に趣味で終わらせる気はなかった。
現に市の写真展などにも出展しているし、大学祭でも写真展を開いている。
全ては将来のための第一歩である。
何となく経済学部に入ってしまったが、その当時はまだ写真は趣味の領域を出ていなかったからだ。
今は違う。
自分が何を撮りたいのか何となくわかってきている。
そんな広瀬が今興味を持っているのは、他でもない恋人暮羽の趣味についてだ。
読書が好きなようで、決して少なくはない広瀬の蔵書をほとんど読破してしまったし、外出しても必ず書店に入る。
つまり、趣味は読書。
わかりきった事だとは思うのだが、これは本当にただの趣味だと思う。
自分のように、将来に繋がるような“ただの趣味では終わらせたくない趣味”を暮羽は持っていないのだろうか。
広瀬と一緒に住むようになってからパソコンを使ってインターネットもするようになったが、閲覧するのは書籍関連のホームページやオンライン書店などだ。
それ以外では個人のウェブサイトにアクセスし、アマチュア作家のオンライン小説を読んだりもしている。
よほど読書が好きらしい。
しかし、読書の他に趣味はないのだろうか。
ずっとそんな事を思っていた。
しかし本人に訊くのも今更な気がして訊けずにいる。
そんなある日。
広瀬のマンションに、武田と品川が来ていた。
前までは暮羽のアパートを溜まり場のようにしていたが、暮羽がここに引っ越してからはここが溜まり場と化してきている。
暮羽は広瀬に申し訳ないと思っているのだが、広瀬は賑やかで楽しいからいいらしい。
「そう言えば、そろそろ大学祭の写真撮影に取りかかるんじゃねーの?」
武田が暮羽に訊いた。
「うん。詳しい日程が決まれば連絡するよ」
暮羽はうなずく。
心なしか楽しそうだ。
写真のモデルは暮羽の他に広瀬、武田、品川。
いずれも女装である。
暮羽が楽しそうなのは、彼らの女装を見る事ができるからに他ならない。
逆に3人は複雑な顔をしている。
「広瀬さんのおかげで俺らまで女装ですよ~」
品川がいじけたように言う。
広瀬は笑ってごまかした。
暮羽のおかげで女装する事になってしまい、結局武田と品川を道連れにしたのである。
どんな方法で道連れにしたのか。
広瀬も女装してモデルをするなら写真のモデルをする、というのが暮羽が広瀬に出した条件だった。
そして、その見学をしたいと願い出た武田と品川に、広瀬が出した条件が“2人も女装してモデルをするなら見学OK”というものだったのだ。
どうしても見学したかった2人はこの条件を仕方なく飲んだという訳だ。
「そう言えば暮羽さぁ、結局写真サークルに入るのか?」
武田が思い出したように訊く。
「えっ?」
暮羽は目を丸くした。
そこまで考えてはいないようだ。
「今後もモデルを引き受けるつもりなら、写真サークルに入るようなもんだろ?」
「いや、入っても俺、写真の事は全然わかんないし」
「モデル専門でも構わないよ?」
広瀬がにこにこと言う。
「あのねぇ······」
暮羽は肩を落とした。
「暮羽だって事がバレなきゃいいんだからさ。いっその事、女性モデルになっちゃえば?」
品川が楽しそうに言う。
「女性じゃなくて女装だろ」
武田が笑いながら突っ込みを入れた。
それを見て広瀬が楽しそうに笑う。
「俺、女装趣味はないぞ」
暮羽はふくれた顔をして品川を睨んだ。
「お前が女装趣味の持ち主でも俺は別に軽蔑しないけどな~」
品川はのん気に言う。
「頼まれたって女装を趣味にする気はないからな」
「そういえば暮羽の趣味って何だ?」
ふと真顔になって、武田が訊いた。
「そうそう。僕も丁度、訊きたいと思ってたんだけど」
ここぞとばかりに広瀬が便乗する。
「俺の趣味?」
暮羽はきょとんとした顔になった。
「そういや、暮羽の趣味って知らないなぁ」
品川がつぶやく。
「俺はバスケが好きでサークルにも入ってるし、サークル外でスリー・オン・スリーのチームも作ってるぞ。大会にもエントリー予定だしな」
武田が言った。
「俺は油絵ね。美術サークルでも家でも描いてるぜ。ちゃんと絵画コンクールにも出してるしな」
品川も言う。
武田は高校時代からスポーツが好きだった。
今はバスケットサークルに入っているのだが、大抵のスポーツは何でもこなせる。
品川は見かけに寄らず、油絵を描くのが好きなのだ。
そんな2人も、暮羽の趣味は知らなかった。
高校時代からの友人である武田でも、暮羽の趣味は知らないのだ。
隠している訳ではない筈だが、暮羽は自分の事をぺらぺら話すタイプではない。
スポーツや絵画でない事は確かなのだが。
「暮羽、運動は苦手だよなあ。バイクも乗らないし、音楽も特に入れ込んでるバンドとかいないし、品川みたいに絵を描いたりもしないし」
「だよな。なあ、暮羽の趣味って何?無趣味って訳じゃないよな?」
「趣味ねえ」
暮羽は言いたくなさそうにうつむく。
「読書も好きだよな」
武田が言う。
「ああ、読書は好きだな」
「何だよ~。恥ずかしがらないで教えろよ」
品川が暮羽を突ついた。
「······創作」
ぼそりと、暮羽はつぶやくように答える。
一瞬、全員が暮羽を見た。
「創作?」
武田が聞き返す。
「創作って······」
広瀬も目を丸くしていた。
「だから、小説の創作。書くのが趣味なんだよ」
暮羽は口を尖らせて言う。
そして照れくさそうに顔を赤くした。
今まで誰にも言った事がなかったのだ。
「小説書くのが趣味······なんか意外っていうか」
品川が面白そうに言うと。
「お前の趣味ほど意外じゃないだろ。ロックバンドのボーカルでもやってそうななりしてるくせに、油絵が趣味だなんてさ」
暮羽は口を尖らせてそう言い返した。
「なあなあ、今度読ませてくれよ」
武田が笑いながら言う。
うんうんと品川もうなずいた。
「そうだね。読んでみたいな」
広瀬もそう言って微笑む。
「恥ずかしいからダメ」
3人を上目遣いで睨むと、暮羽はそう言った。
「って事は、やっぱ写真サークルには入らねーの?」
品川が訊く。
暮羽は考え込んだ。
「いや、俺で役に立つなら入ってもいいかなとは思ってるんだけど」
「じゃあ決まりだね」
広瀬がにっこり笑う。
「だけど、モデルする時は必ず武田と品川も参加って条件ならな」
暮羽はそう言って2人を見る。
そしていつも品川が見せるような笑みを浮かべた。
「俺、ぜってー暮羽には勝てないわ」
暮羽の笑みを見た武田が観念したように言う。
その横で品川もうなずいていた。
「お前の笑顔は凶器だよ。ていうか兵器だよな。リーサルウェポンていうか何ていうか」
「傾国の美女とは言ったもんだ」
「誰が美女だよ······」
楽しげな品川と武田を、暮羽は呆れたように睨む。
「じゃあ、品川君と武田君も準メンバーで決まりだね」
広瀬がにこやかに言った。
武田と品川は2人で顔を見合わせた後、はあ、と大きなため息をつく。
暮羽は内心ほっとした。
自分の趣味に関する話題を逸らす事ができたからだ。
しかし。
「で、暮羽は主にどんな小説書いてるの?」
広瀬が思い出したように訊いて来た。
暮羽は小さくため息をつく。
せっかく話が逸れたと思ったのに。
「そそ。どんな話書いてんの?もしかしてアダルトとか?」
武田がにやにや笑いながら訊く。
「違うよ馬鹿」
暮羽は口を尖らせてその頭を小突いた。
「で、どんな話?」
品川が訊く。
「思いついたら何でも書くけど、最近は殺し屋が出て来るような、ハードボイルドっぽいのとか書いてるよ」
痛がる武田を横目で睨みながら暮羽は答えた。
「そうか。それで最近そんな感じの本を読んでたんだ」
広瀬が納得したようにうなずく。
「ああ、うん。資料になるし、ネタにもなるから」
「具体的にどんな内容なんだ?」
品川が興味津々といった感じで訊いてきた。
「えっと、ありがちすぎて面白みも新鮮みもないけど······殺し屋が、職業を偽って恋人と暮らしてるんだけど、ふとしたきっかけでそれがバレちゃうって感じの話」
「へえ。面白そうじゃん?書いたら読ませろよな」
武田が暮羽の肩をぽんぽんと叩く。
「どこかの新人賞に応募とかしないのかい?」
広瀬が訊いてきた。
暮羽は少し答えに詰まる。
「納得いくものが書けたら応募してみようかなとは思ってるんだけど」
「じゃあさ、その殺し屋の話が書けたら応募してみろよ」
品川が楽しげに言った。
武田と広瀬もそれにうなずく。
「そうだな。気が向いたらどこかに応募してみるよ」
仕方なく暮羽はうなずいた。
「写真の話になるけど、どんな格好するんですか?」
武田が興味深そうに広瀬に訊く。
今日2人が来たのはその情報収集のためでもあった。
暮羽と違って普通の男顔である2人が、どんな女装をさせられるのか。
「武田君と品川君は暮羽の後ろの方で戯れてる女の子って感じで写ってもらうから、ワンピースとウィッグくらいかな。暮羽ほど凝ったメイクもする必要ないから」
「そうなんですか。それじゃ広瀬さんはどんなカッコするんですか?」
「暮羽と戯れる美女とか?」
「おい······」
楽しげな2人を見て、暮羽はため息をついた。
「僕は後ろ姿だけだよ。だから僕もワンピースとウィッグくらいかな。本格的に女装するのは暮羽だけだね」
広瀬はそう答えて笑みを浮かべる。
「ずるいよそれ」
暮羽は口を尖らせて広瀬を睨んだ。
武田と品川が笑う。
やがて暮羽もつられて笑みになった。
こんな瞬間に、平和だと感じる。
高杉がつきまとって来ていた頃は、こんなに平和で穏やかな時間は全くなかった。
武田と品川がその後仕入れた情報によると、高杉は相変わらず入院しているらしい。
精神科の閉鎖病棟。
一時は落ち着いて来て開放病棟に移ったのだが、高杉のマンションに誰かを監禁していた形跡があったため親もこれを見過ごす訳にはいかなくなり、警察に相談したようだ。
そして病院に警察が事情を聞きに来た時に、酷く興奮して手が付けられない状態になったらしい。
そのせいで再び閉鎖病棟に移され、退院のめどは立っていないという事だ。
もし退院したとしても、暮羽は冷静でいられる自信があった。
高杉なんかもう怖くない。
「暮羽?」
黙り込んだ暮羽を見て、広瀬が声をかける。
「ん、何でもないよ。ちょっと考え事」
「そろそろお昼だけどどうしようかって武田君たちと話してたんだけど」
「あ、じゃあ何か作るよ」
「チャーハンがいいな」
「オッケー。武田と品川もそれでいい?」
「おう」
「いいよ」
「じゃ、ちょっと待ってて」
暮羽はソファから立つと、キッチンへ向かった。
3人がそれを見送る。
「いつも暮羽が作ってるんですか?」
「うん。2人は食べた事ある?」
「結構ありますよ。食材持ち寄って、3人で作って食ってたよな」
「ああ。主に調理は暮羽で、俺らは食材の下ごしらえとかでしたけど」
「へえ」
「こうやって考えると、暮羽って特技は多いよな」
武田は妙に納得したようにつぶやいた。
「特技?」
品川が首を傾げる。
広瀬も武田が何を言いたいのかわからないらしい。
「限られた食材で色んな料理作るのとか」
「ああ。確かに特技だな」
「そう言われればそうだね」
「でも最強の特技っていうか必殺技は······」
「あの笑顔だよな」
「しかも無自覚だからタチ悪い」
「それな」
武田の言葉を品川が続けて、うんうんとうなずく。
広瀬は2人を見て楽しげに笑った。
平和でいいな、と思う。
暮羽や、武田と品川。
楽しい彼らと平和な日常を送る事が一番の幸せだと実感した。
お笑いコンビのような武田と品川の会話に笑いながら、こんな平和な日々がいつまでも続けばいいな、と広瀬は思ったのだった。
終。
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