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第15話 Side:F
ずっと、ただ無事でいてくれたら。それだけ願っていた。なぜ姿が見えないようにしているのか。その理由は。
「王子には申し訳ないのですが、部下が少々使いすぎましてね」
毛布ごと玉座の前に転がされるのに、大臣が近づいていく。「使った」とは、なんのことだ。無意識に足が一歩出る。大臣が膝を折りしゃがみ込んで毛布に向かって手を伸ばした。捲られた毛布がハラリと台座を落ちていく。
「……、……っ、……ぅ」
落ちた毛布の下から姿を見せたのは、助けに来たその人物だった。酷い格好で力なく横たわる姿はあの日と重なっていく。うっすら開いていた目がユラユラと僕を探して、ようやく真っ赤に充血した瞳が僕を見た。虚ろな光のないその目から、静かに涙が落ちていく。顔はすでに涙でグシャグシャで、髪も乱れきっていた。それが濡れているのは汗か、それとも。
──ふぃ、ん、
声は聞こえなかった。でも確かに唇はそう動いていた。引き裂かれた服と裸にされている下半身、白い肌はあちこち赤く腫れていて、ところどころ裂けて血が滲んでいた。そして、足の間にこびりついた白濁で「使いすぎた」という言葉の意味がようやく頭に入ってきた。まるで全身に冷や水を浴びせられたような気分だった。感情の整理が追い付かない。こんなの、無事だなんて到底言えない。動けなくなる体が捉えたのは、指錠をされたミューの手がほんの微かに動いたものだった。ふるふると震える手を確かに僕に向かって伸ばそうとしている。それからまた唇が動く。そして紡がれた言葉が、またあの日と重なった。
「おっと、まだ動かないでください王子。コイツを返すのは貴方が頷いてから……」
「黙れ、今すぐミューから離れろ」
ミューに向かおうと足を動かした直後、聞こえた声の方を睨み付ける。もう、二度とあんなこと言わせないつもりだったのに。またミューは。僕は、またミューを。
「っ……、止まれ!」
言葉を無視して歩き続けると、大臣が声をあげる。と同時に、大臣が腰の剣を抜いた。それに感化されたのか、隣にいた兵も剣を抜いて僕に向かってその剣を振りかざす。直後、辺りに響くのは金属音。僕に向かって振り下ろされた剣を弾いたのは、遠くから飛んできた一本の投げナイフだった。想定外のことに、大臣が投げられた方角に向き直った。
「な、何者だ!」
「王子への攻撃行為を確認、王族への暴力行為は大罪、だね」
「強制執行対象だな、……さぁ、裁きの時間だ」
その正体は振り返らずとも分かる。飛び込んできたのは異端審査官たちだった。彼らは素早く手にしていた武器を部屋の後方で止められていた近衛たちに渡す。突然の侵入者に大臣が戸惑っている隙に足を動かしてミューに駆け寄り、体を抱えあげるとミューは全身をこちらに預けてきた。もう力も入らないのだろう。
「ミュー……!」
名前を呼んで目を合わせようとするが意識が朦朧としているのか、ミューは反応を示さなかった。先ほどのあれが、最後の力だったのか。
「王子! 早く!」
こちらまで走ってきたアイハが声をあげている。そうだ、ここで固まっている場合ではない。落ちていた毛布を拾い上げて、ミューにそれをかけ横抱きに抱えあげる。その僕に対し咄嗟に剣を向けてきた大臣の前に立ったのはノインである。ノインは特に何も言わなかったが冷ややかなオーラが背中から伝わってきた。敬愛している人物に対する侮蔑の数々。普段は怒りなんて見せないノインでも我慢の限界だろう。
確かに、一見すると今回の外傷は少なかったかもしれない。しかし負った心の傷はあの時と同等かそれ以上のものだろう。たった一晩のことだったかもしれない。だけど、知っている恐怖を繰り返され、落ち着いてきていた恐怖を掘り返された。深い絶望に落とされた。その傷は、計り知れない。もう二度と傷つけないと誓った。そのためにミューに憎まれようと部屋に閉じ込めて守ろうとしていたのに。
その場を異端審査官たちに任せてミューを抱えて広間を兵の間を縫って駆け抜ける。素早く長い階段を飛ぶようにしておりて城を出ると、先に下に降りていたアイハが森からイオを連れてきていた。イオは腕の中のミューを見ると心配そうに顔を寄せてきた。アイハに手伝ってもらい、イオの背中に二人で乗り込む。
「この場は俺たちが片付けます、心配しないでください」
アイハの言葉に頷いて、手綱を握りミューの身体をしっかりと抱え込む。アイハは僕が出発するのを見届けてからまだノインの残っている城の中へ戻っていった。イオは背中のミューを心配しながらも城へ向かって急いでくれた。ミューが落馬しないように体を支えながら、そっとその身を抱き締める。
城に帰ったら、全部話そう。その上でミューがもう城に居たくないと言うのなら、そうしてあげよう。
「もう終わらせて」
ミューの唇が紡いだその一言が、延々と頭の中で回り続けていた。
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