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『血液とも違う・・これは何だ?』
スンスンと鼻を鳴らすとその臭いはこの先から風に乗ってやってきていることが分かり、ますます遠雷 の不安が強くなっていく。
「・・・まさか・・いや・・だが・・」
覚えのある臭いに胸騒ぎが止まらない遠雷は、フラフラと身体を揺らしながら臭いの元を探り始めた。両手を伸ばし何かを探すように歩くさまは何とも奇妙で不気味である。
やがて、その臭いが濃くなる場所を探り当てると、迷う様に足を止めた。
「・・杞憂 に終わればいいのだが・・・」
ゆっくりと瞼を上げれば薄闇に黒い影が差す。
何度も瞬きを繰り返すと次第に黒い影は姿を隠し、ぼんやりとした視界へと変わる。
この光景を何度も経験しているはずなのに、見えないという現実に落胆してしまう。
そんな自身に喝を入れるように、遠雷は腿に一発拳を入れると気を取り直して前を見た。
「・・・・・・・・・・・・」
ザワザワと頭上の木々が言の葉を歌う様に騒めいている。肌を撫でる風は冷たく、何処か不穏な空気を纏っている。
「ここか・・」
遠雷は足を止めながら、苦い表情で前を見た。
『・・・ここへは来ない方が良い。上手く言って昂遠 を遠ざけよう。そうだ。その方が良い』
そう思った遠雷が踵を返そうとしたその刹那、背後から覚えのある声が聞こえ、彼の背が強張った。
「遠雷?」
「・・昂・・」
昂遠の声は低く、不安と戸惑いが滲み出ている。その声に遠雷の背を一筋の汗が伝って落ちた。
『いかん。どうすればいい?どうすれば・・!』
「どうし・・」
「来るな!」
腹の底から怒鳴ったせいか、遠雷の足がぐらりと揺れた。大声に圧倒された昂遠の腕が強張る様子だけがはっきりと伝わってくる。
ざりっと砂を踏む音がやけに大きく響き、遠雷は苦虫を噛みつぶしたような表情で自身の足元に視線を向けて目を閉じた。
「・・・・・・・・これは」
・・来るなと、言ったのに・・・。
乾いた口から発せられる彼の声は乾いていて。
不気味なほどの静寂が待つその先に、先程まで和やかに日常を過ごしていたであろう人々の亡骸がそこかしこに散らばっている光景がぼんやりと視界に入って来る。
昂遠の不規則な足音を耳にしながら、遠雷の手が無意識に伸びていった。
「・・あ・・おい・・昂・・・」
「・・・・・・・・・・」
伸ばしかけたその指は届くことはなく、肩を落としたまま、おぼつかない足取りで進む昂遠の背が少しずつ遠くなる。
「あ・・・」
近いと思っていた距離が離れ、やがて遠くなった。
『こういう時、俺は駄目だな。なんて言葉をかけていいのか分からない』
「・・・・・・・・・・」
腰を降ろし、一人一人の顔を確認するように眺めては手を合わせていく昂遠の動作を眺めながら、遠雷もまた何かを探すように歩き始めた。
「・・・・さて・・と」
最初に感じた妙な違和感。その正体を確かめる為である。
考えてみれば、この光景は何処かおかしい。夜盗や強盗の類であれば屋根には火矢が刺さり、家の中は獣でも暴れたかと言わんばかりに荒れ狂っているのが常だ。
そういった光景を何度も見てきた彼にとって、硝煙特有の焦げた臭いすら感じないこの風景は何処か不気味で、酷く恐ろしいものに思えてならなかった。
十分ほど歩いた先に小さな小屋がぼんやりと見えてくる。
遠雷は躊躇することなく小屋に近づき木の扉に手をかけると、それは軋む音を奏でながらゆっくりと開いていった。
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