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後日談・2
「俺が帰るまで、申し訳ないがここにいてくれ」
「分かった。飛燕 の事は俺が責任を持って見守るよ」
その日の夕刻、額に布を巻いた姿で遠雷が戸の前に立っている。
昂遠は、遠雷が衣服を詰めた荷を背中に背負っている様子を見て、彼だけで行かせて良いものか相当迷っていた。けれど、ここに飛燕 がいる以上、自分は彼に同行できないと理解し、今回は見送ることに決めたのだ。
橙色の空が、遥か遠くまで広がっている。
「ああ。頼む」
それだけを話すと、遠雷は不意に昂遠の身体をギュッと引き寄せた。
予想もしていなかったその行動に、昂遠の眼が丸くなる。
「えっなっえっ!」
「・・・・はぁ」
安心したように息を吐く遠雷の息が耳にかかり、余計に昂遠の鼓動が速くなった。
「・・・うっうぇ?えっえっ」
昂遠の顔は真っ赤に染まり、グルグルと目が回っている。今ならこの頭だけで火鍋が出来るかもしれない。それ程に熱くなった身体をどうにかするのは至難の業だった。
一方、狼狽 えている昂遠とは対照的に、遠雷の表情は始終穏やかだ。
「・・・愛しているよ。昂」
「・・・あ」
ポンポンと優しく背を撫でる遠雷の掌の熱がじんわりと伝わり、段々と落ち着きを取り戻した昂遠もまた、ぎこちない手つきで遠雷の背に手を伸ばした。
すんと息を吸えば、先ほど浴びた湯の残り香が微かに匂って来る。
募る愛しさをどう伝えて良いものか分からないまま、彼はほんの少し伸ばした指に力を込めた。
「・・・嗚呼。俺もだ。愛している」
「・・うん」
柔い肌から伝わるその熱に、昂遠はふうと息を吸い吐いた。
「・・・なるべく・・」
「ん?」
「なるべく早く・・帰って来てくれたら・・嬉しい」
「・・ああ。そのつもりだ」
「・・うん」
「どうか、身体には気をつけて」
「ああ。お前も、けして無理をするなよ。お前は俺がいないとすぐに無理をする」
遠雷の声は、いつもよりも優しくて穏やかだった。
その優しさが不意に寂しさを呼び、昂遠の胸が切なくなる。
「・・・口吸いでもするか?」
「・・・いや」
「じゃあ。帰ってからだな・・」
「・・・うん。まぁ、うん。そうだな」
昂遠の迷うようなその声にクスリと笑みを返しながら、遠雷は声にならない言葉を呟いた。
『・・・・・・・』
「じゃあ、そろそろ行くよ」
「ああ。気をつけて。途中で馬を買うんだぞ」
「ああ。分かってる」
「財布は落とすなよ。あと、怪しい奴にはついて行くな」
昂遠のその声に、遠雷はたまらず吹き出した。彼は本気で心配しているのだ。
「子どもじゃねえんだから、大丈夫だって」
「・・・大丈夫じゃねえから、言ってんだろうが」
「ハハハ!違いない!」
そう笑って昂遠と別れた遠雷は、その日の夜に周里を出て、苜州(ボクシュウ)へと出立した。
周里 から苜州 までは、どれだけ早くとも七日はかかる。
彼は途中、莨都 で馬を一頭買うと、その馬に乗って苜州 へと向かうことにした。
宿を使えば疲れも取れるが、そうも言ってはいられない。
町で日持ちのする干し肉や果物を買い込んだ彼は、敢 えて宿を使わずに森の中を通り、川の側で野宿を繰り返しながら進むことにしたのだ。
苜州 からは芺 公が治める土地となる為、通行証が必要になる。
彼は以前、同地に居た頃に発行してもらった通行手形を確認すると、関所の役人にそれを提出し、中へと入ることにした。
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