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第11話

結局真中が帰れと言うので、やることは沢山残っていたが、柴田は久しぶりに定時で仕事を切り上げて事務所を後にした。家に帰ってからこっそり堂嶋には連絡して、進捗状況の擦り合わせをしておかなければと、家に帰るまでの車の中で考える。結局そんなことをしているから、どこからがプライベートな時間で、どこからが仕事をしているのか、柴田は時々分からなくなる。自宅に帰る前に何か、お腹に入れるものでも買って帰ろうとハンドルを切る。自宅の周りは閑静な住宅街で静かだったが、いかんせんコンビニが一軒しかないのが困りものだった。こんな早い時間に自宅の周りを車に乗ってうろうろしているなんて、何か悪いことでもしているみたいだ、と柴田は運転席で窓から流れるいつもの景色を眺めて思う。 「いらっしゃいませー」 コンビニに入ると煩く響く店内放送と、やる気のない店員の挨拶が降ってくる。ふっとレジを見ると、まだ若そうな眼鏡の男が手元で何やら作業をしていた。先程の挨拶も、自動ドアが開く音に反応しただけで、柴田が入って来たのを見つけているわけではないらしい。彼から視線を反らして店内をぐるり見渡す。店員はどうやら彼だけらしい。柴田は籠を掴むと一番傍にあった栄養ドリンクの棚から二三本見繕って籠の中に入れた。ルーティンみたいに一軒しかないコンビニで買うものは大体決まっている。そこから雑誌のコーナーの前を横切り、ドリンクの冷蔵庫を開けてミネラルウォーターを二本入れる。そこから左に移動して、少しだけ考えてグレープフルーツサワーを一本籠に放り込むように入れた。 「侑史くん!」 不意に名前を呼ばれて、呼ばれた方を反射的に見やる。バックヤードから出てきたらしい逢坂が、コンビニの店員の制服を着て、何やら入った段ボールを抱えてそこに立っている。その顔は少し驚いた表情をしていた。なんとなくまだ時間が早いから、バイトの時間と被っていないだろうなと思っていたが、柴田の時間が早いという感覚は、おおむね逢坂とずれている。少しだけ気まずい気がして、柴田は俯いて眼鏡の角度を直すふりをした。こんなことを逢坂相手に思うことは不毛だと分かっているが。 「おう、ご苦労さん」 「侑史くんなんでなんで。今日早いじゃん、どうしたの?」 「うるさい、耳元で喋るな」 きっと仕事で使うだろう段ボールを簡単に放り出して嬉々として逢坂は寄ってくると、ひょいと柴田の手から籠を取る。重たい腕が軽くなった。取り返そうと手を伸ばすと、逢坂が嬉しそうな顔をしてあっちあっちと指さしながら、柴田の籠を持って先を歩く。 「返せよ、仕事しろ、お前は」 「してますー、接客してますー」 「過剰接客だ」 振り返って逢坂が、無邪気な顔で笑う。相変わらず何も考えていない、馬鹿な笑顔だと思った。柴田はそれを見ながらほんの少しだけ、ささくれだった心が和らいだ気がした。逢坂といると疲れることが多いけれど、嫌なことを忘れることが出来て、それは柴田を時々癒してくれることにも繋がっている。真中と今日話したことを忘れるためには、思い出さないようにするためには、逢坂を部屋に入れるのは昨日ではなくて今日だった、と思いながら小さく溜め息を吐く。逢坂は柴田が後ろでそんなことを考えているなんて、全く想像もしていないお気楽な表情で、柴田が買う予定にしている籠の中を勝手に漁っている。 「侑史くん水じゃなくてさ、なんかもっと栄養のあるもの飲んだほうが良いよ、朝とか食べないんだからさ。野菜ジュースとかどう?すぐ飲めるし」 「えー・・・なんか、味が無理」 「子どもだなぁ、侑史くん」 「お前に言われたくない」 「今結構フルーツ多目なの出てるんだよ、試してみて。侑史くん柑橘系好きでしょ、このほらオレンジの奴とか。多分飲めるよ。あとねー・・・」 そうして勝手に籠の中にパックの野菜ジュースを放り込まれる。柴田はそれを目で追いかけた。一軒しかないコンビニで、逢坂がまだアルバイトをしていただけの頃、同じようにされたことが何度かあったことを思い出した。その時も彼は何かと言って、自分の籠に店のものを放り込んでいた。良く思い出すことが出来ないが、あれは一体どういう経緯だったのだろう。 「侑史くん?」 「・・・あ、ごめん。なんだっけ」 「疲れてるの、早く帰ってちゃんと食べて、寝なよ」 まるで誰かが、誰かのことを心配して言うみたいに。 「お前のせいだろうが」 笑って欲しくて軽口を叩いたが、逢坂はそれにいつもみたいに何も言い返してこなかった。柴田の籠を持ったままレジの中に入って、勝手にバーコードを拾い始める。仕方なく柴田は鞄から財布を出して、合計が出る前に千円札を2枚出す。 「侑史くん煙草は?そろそろ切れたんじゃない」 「・・・あ、うん」 「今週ハイペースだね、まだ週半ばなのに2箱目」 言いながら逢坂が、自分の後ろに並んだ無数の煙草の銘柄から、柴田の吸っている煙草のボックスを取り、そのバーコードも読み取っていく。自棄に手慣れた動作だった。ふと昼間に真中が自分に吸わない煙草を渡してきたことを、柴田は思い出していた。 「侑史くん、昨日作ったご飯、冷蔵庫に入れといたから、帰ったら食べて」 「あー・・・うん。ありがとう」 「はい、おつり」 言いながら逢坂が手を出す、柴田はそれを受け取るために手を出す。お釣りが手のひらに落ちてきて、最後にぎゅっと手を握られる。過剰接客だ、柴田はそれを見ながらまた思う。ぐっと手を引っ張って逢坂の手から抜こうとするが、代わりにぎゅっと締め付けられただけだった。 「ね、次いつ?いつ行って良い?」 「あー・・・暫く無理だな、今忙しいんだ、また連絡するから」 「連絡待ってたら俺堪りすぎて死んじゃう」 握った手のひらの甲、骨が出ているところをべろりと舌で舐められる。背筋がびりびりと痺れた。柴田の手の向こうで、口元だけで笑った逢坂と目が合う。全く懲りていない目をしていて、柴田はそれに心底うんざりしたけれど一方でほんの少しだけやっぱり安心していた。 「お前カメラに・・・撮られてるぞ、これ・・・」 「あー・・・カメラかぁ、カメラいいねぇ、コーフンする」 「なんでもそれと結びつけるな」 ぐっと手を引くと逢坂はあまり抵抗せずに柴田の手を離した。舐められたところだけがすっと冷えて冷たい。下から睨み付けたら、逢坂はにこにこしながら手を振った。 「ばいばい、侑史くん」

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