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第13話

そんな生活に慣れて、でもやっぱり時々柴田は胸が痛むのをどうしようも出来なくて、ひとりで苦しくて泣いたりもした。逢坂は相変わらずいつ柴田がコンビニに行ってもいて、いつ行っても変わらずにこにこと無邪気に笑っていて、柴田は懲りずにそれに癒されていたりしていた。このままじくじく痛む胸の傷を抱えながら、何でもなくなる日を待つのだろうかと思った。平穏な日が自分にも訪れ、いつか純粋な憧れだけの気持ちを持って真中を見ていたみたいな頃に、戻れる日が来るのだろうかと思った。望みはなくてもそう思うことは勝手だと思っていたので、柴田はそれを、そんな日が来るのを祈るようにしながら待っていた。最早自分ではどうすることも出来なかったから、誰かが何かの意図を持って、自分をここから連れ出してくれるのを、そうやってひとりで苦しくて泣いたりしながら待っていた。待っていたけれど別に、宛てなんてどこにもなかった。 その日、仕事が長引いて疲れた体を引き摺っていつものようにコンビニに行くと、珍しく逢坂の姿がなかった。見知らぬ若い男の店員が2人いて、コンビニの店員はいつも2人だったから、逢坂は今日いないのだと思って、柴田は自分で籠を持ち、いつもみたいに水とプリンと酒を買って、煙草は買わずに外に出た。逢坂は大体いつもそこにいたが、勿論いない日もあった。柴田は自分の中で逢坂とこのコンビニで話すことが生活の一部みたいになっていることを、その日初めて自覚した。そしていつもいるはずだった逢坂がいないことに、少なからず柴田はショックを受けていたし、彼の無邪気な笑顔を見ることや何でもない話ができないことを残念と思っていた。そういえば職場と家の往復の生活がここ何年か続いていて、仕事以外で誰かと話すことなんてほとんどなかった。兎に角今日は疲れたから早く帰って、早く眠ろうと思っていると、後ろから声がした。 「柴田さん」 反射的に振り返って呼ばれたほうを見やると、そこに逢坂が立っていた。いつも目にするコンビニの店員の制服ではなくて、Tシャツにパーカー姿だった。そうして制服を脱いでみると、逢坂も柴田にとっては街で見かける若者とほとんど大差がないように見えた。この分では街で擦れ違っても、きっと自分は逢坂には気付けないだろう、そう思った。逢坂は柴田と視線を合わせると、にこりといつものように微笑んだ。柴田はそれを見ながら少しほっとして、少し嬉しくなった。 「逢坂くん」 「今日、来るの遅かったね、俺の勤務時間終わっちゃった」 「そっか。今日は仕事が長引いてちょっと遅くなった」 「そうなんだ、仕事大変なんだね」 「あぁ、うん。今日はさすがに疲れたな。逢坂くんは、今から帰るところ?」 「うん、待ってたら柴田さん来るかなって思って、ちょっとだけ待ってた」 そう言って逢坂はまたにこっとその人好きのする顔で笑った。その時柴田は何故か心臓の裏がずきっと痛んだのが分かった。真中に傷を時々抉られるみたいに、逢坂にもその傷口に触られたような気がした、何故だろう。何となくいつも感じていた好意を、かなり分かりやすい形にして逢坂が表現したのが、少し怖かったのかもしれない。逢坂と話すのは楽しかったし、心配してくれるのは心地が良かった。笑った顔は無邪気で馬鹿みたいだったけれど、年相応でかわいいと思っていた。けれど今、例えばもっと分かりやすく、逢坂が柴田にそれを伝えてきたら、自分はそれを掴んだり甘えたりしてはいけないのだろうと分かっていた。だって柴田は、まだどんな形であっても、真中のことを強く思っていたし、そのままの自分で彼の優しい気持ちを利用してはいけないと思っていた。どんな形の自分ならふさわしいのか分からないけれど。 「逢坂くん・・・―――」 「じゃ、俺もう帰るね、柴田さんも気を付けて。ばいばい」 「・・・ば、いばい」 だからその時、逢坂が何も言わずに手を振ったことに、柴田は心の底からほっとしていた。不器用に手を振り返す。柴田は逢坂のことを、自分勝手であることは承知でこのまま失いたくないと思っていた。真中に抉られた傷が痛む時に、自分ばかり優しくされて、彼の求めにはきっと応じることは出来ないのに、それは不平等だと思っていたけれど、他にどうしようもなくて結局求めた。その時バイクの駐輪場に向かう逢坂の背中に声をかけたのは、今でも時々思い出すけれど間違いなく自分の方で、それはその時感じた不平等を柴田なりに解消したい気持ちからだった。優しく何にも知らない逢坂の好意を、慰みものにしてはいけないと思っていたけれど、本当は誰より強くそれに縋りたかったのかもしれない。 「逢坂くん」 逢坂はバイクのヘルメットを頭に着けようとして、柴田に気付いてそれをもう一度下ろした。その時の逢坂の真っ直ぐな目に対して、一体どんな顔をしていいのか分からず、柴田の指が困ったように自分の眼鏡のシルバーのフレームを触る。 「あれ、柴田さん」 「逢坂くん、あの」 「なに?」 「あの、いつもありがとう。なんか色々、心配してくれたりして」 それを聞くと逢坂は少し意外そうな顔をして、柴田のことを見ていた。自分たち以外誰もいないコンビニの駐車場で、店名を光らせるだけの照明が、逢坂の顔の左半分にだけ当たって陰影を作っている。他に何か言うことはないか、柴田は言葉を切って考えた。 「いいよ、そんなの。ただの俺のお節介だし」 「そっか、でも色々悪いと思ってる、今度、ご飯でも奢らせてくれ」 「え、ほんとに?」 逢坂は暗がりの中で、つるんとした黒い目をきらきら輝かせて柴田の方を見た。それで逢坂の好意に応えるつもりの柴田の卑怯さなんてまるで知らない顔をして、そして笑った。柴田はそれにまた胸が痛んだ、やっぱりこんなこと言わずに、あのままあっさり帰った方が良かったのかもしれない。一瞬柴田はそう思ったが、次の瞬間ぱっと腕を取られて体が反射的にびくりと跳ねた。 「ほんとに?」 「・・・あぁ、うん」 彼は何かを確かめるみたいに柴田にそれを確かめて、そして返事を聞くとやはりにこりと笑った。

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